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August 2011

August 24, 2011

はるの手帳が本に。

帰省してすぐにあけたポスト。
中から、白地に黄色いラインの大き目封筒が出てきました。
印刷されている差出人は、「東京糸井重里事務所」!
あの、コピーライターのかみさまから、です!

以前ご紹介しました、はるの「ほぼ日手帳」の使い方が、
なんとなんと、2012年度版の、『ほぼ日手帳公式ガイドブック』に掲載されたのであります~!!!
ということで、できたてほやほやの見本誌を、送ってくださったのでした。

「コドモのほぼ日手帳」というページに、はるの手帳の写真が、ちっちゃくですが写っていますので、ぜひぜひ、本屋さんやLoftで見かけましたらお手にとって見てやってください。

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August 21, 2011

ニチジョウ。

あの日以来、日常がいかにもろくはかないものだったか、誰もが思い知らされたと思う。

昨晩遅くに、鎌倉に戻った。
けれども、気持ちはまだ、あちらに残っているような気がする。
街全体が、痛みで包まれているような空気で満ちている、あの場所に。

ガラスの破片がささって、出血は止まり、表面の皮膚も再生して、傷なんて見えないのだけれども、さわるとチクチクして異物感がある。
あの感じを、街とそこに住むひとびとはずっと味わっているように思えた。

大学に入って親元を離れて以来、帰省で「まだここに残りたい」と思ったのは、正直、初めてだ。
震災以来、声を失った父もその後電話でも話などしていて、元気になったかに思っていた。
けれども、実際に顔を合わせた父は、元気だよといいながらも、とても痛々しいようだった。
弟も、あの日から長い間、ほんとうに少しずつしか復興していない街の空気に、滅入っていた。
母の白髪もめっきり増えて、ああ、自分がこの場にずっといられたら、なにかしてあげられたら、なにもできなくてもせめて寄り添っていられたら、と切に思った。

道路はどこを通ってもでこぼこして、ときに車がバウンドする。
こちらに戻ってきて、駅から自宅までの道で道路が平らなことに驚くほど、あちらはどこもかしこもぼこぼこしていた。
歩道と車道を隔てるガードレールが地面から波打っているところも、いくつもあった。
瓦の崩れている家、ブルーシートをかけたままの家、ガラスが割れたまま廃墟になっているお店、おもちゃみたいに積み上げられたつぶれた車の山。
沿岸部(塩釜)では、街が少し動き始めているのに、信号がいまだ機能していないところもあった。
山間部(蔵王)では、道路が崩れおちて、補修工事中のところもあった。

実家の真ん中には大きな亀裂が天井まで延びていた。
一部損壊程度だから、被災したなんてとってもいえない、なんにもないようなものだ、と家族は言っていた。
駅から自宅まで乗ったタクシーの運転手さんは、自宅が半壊、実家が全壊で壊したそうで、自宅の前に地割れがあって玄関先の石がそこに落ち、補修のためその空洞にセメントを流し込んだら1トンにもなったのだそうだ。
「そんな量の土って、どこに流れていくんだかねぇ」しみじみと、言っていた。
荷物を届けてくれたクロネコヤマトの配達員さんは「ゆっくりしていかれるのかい?うちは亘理で一階が水(津波)でだめんなったからね、福島も近いから、孫には来るなって言ったんだ」とさびしそうな眼をしていた。

復興に向けて、さまざまな支援は、ある。
けれども、足りない。
ものだけじゃない。ひとも。
なにより、こころ。
平常なこころにまで、心身をときほぐすことが、まだまだ難しい。
たった十日の滞在の間に、震度4規模の揺れが3~4回あった。
それ以下の揺れは当然、頻繁にある。
私たちをのっけている「地球」という怪物が揺れ動いているのだ、その躍動はまだ終わってはいないのだ。

街全体を包む、痛みのようなものは、震災直後からあまり変わらない。
日常が持つ「なにげなさ」は、まだまだ遠い。
ささいな幸福感が与えてくれるものの大きさを、実感した。
なにげなく幸せなことは、ほんとうに、すごいことなのだ。

仙台駅からペデストリアンデッキでつながっている、PARCOへの道に、岡本太郎作品がぐるぐるまわっていた。(生誕100周年『顔は宇宙だ』展、開催中)

久しぶりに会った友人たちの顔は、みんな笑顔で彩られていたけれども、それぞれが、それぞれの大変さと向き合ってそれを内に抱えて、必死に毎刻を生きている様子がみてとれた。
会えなかった友人たち、きっと彼・彼女も、そうなのだろう。
ただただ、祈りを。

なにげない日常が、一刻もはやくに、おとずれますように。

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August 11, 2011

ぬりかえられた地図

ぬりかえられた地図
ぬりかえられた地図
仙台にかえってきました。

四川家実家のリビングに大きく張り出されていたのは、新しい地図。
国道四号線を境目に、海の方が、白紙です。
四号線からやや内側だったここは、辛うじてその被害を受けなかった場所です。

関東にいて見えてこなかった、生々しい空気感。
ここではまだ震災は、かさぶたになっていません。
出血こそ止まっていても、まだ傷口には赤い血がぬらぬらと光っています。

震災から5ヶ月の今日、地元のテレビでは、まだまだ瓦礫の山を映し出しています。
地元新聞のトップは、お盆を前に墓地がなくてお弔いができないという悲痛なニュースです。
お寺も檀家も被害を受け、納骨されたものも納める墓地がない。
コラムでは、北大路魯山人のかき雑炊のレシピをひきながら、気仙沼で「森は海の恋人」運動で知られる畠山さんの活動にふれ、震災でほとんどがながされてしまったカキの養殖施設とその復興を伝え、カキ一粒一粒が死者の無念と再生への希望を背負い育っていると結んでいます。
後半ページの一面は、身元の判明した犠牲者と避難所の一覧で埋まっています。

昨夜タクシーで通ってきた町並みは、お店などに変化はあっても、大きくは違わないように思えました。
けれども、この地図のように、まだまだ、まだまだなにも、です。

テレビの地元ニュースでは、気仙沼のある町の、津波の爪痕がひどく開催できないお祭りを、有志が小さく御神輿や提灯を作り酒を献じているところを報じていました。
提灯に描かれた言葉は、「津波という魔物を、気仙沼という虎に乗って、打ち砕け」。

真っ白い地図が静かに語るもの、重く受け止めています。

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August 06, 2011

マトさん

マトさん
いつの間にかうちではお人形が増殖中です。
このたびうちのこになりましたのは、色白肌に淡い金色の髪が映えるロシア美人。
お人形の名前はマトリョーシカメイデン、「マトさんマトさん」とこの半年私がオークションをみるたび騒いでいたのを見かね、四川先生から許可が出ました。
(先日酔って機嫌のよいときに、さあやがせがんで一緒にブライスの公式サイトを見ていて、「おっ、かわいいじゃん。はまるのわかるよ」とこのかわいらしさに理解を示しはじめました、シメシメ)

久しぶりにお人形服を作って、さあやとふたりできゃあきゃあ言っています。
ときどきたっちゃんに連れ去られるので(ものかげでじっと見つめている)、防御しながら遊びます。

通算5体。
内訳は、さあやの、はるの、たっちゃんと私の、私の。
そしてマトさんは、私のか、さあやと私のか、さあやのか…
仲良く遊びながらも、大人げないけど譲れないんだもん。

平安の世から、ちいさきものはうつくしきかな、なのです。
はー、マトさんうつくしい、癒やされます。

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August 04, 2011

携帯復活!

携帯復活!
直ったとの連絡を受け、携帯屋さんに行ってきました。

目の前に置かれたのは、液晶保護シート付きの、まるで新品の携帯。塗装がはがれていた側面もきれいなっています。塗り直しじゃなくて、「新品」です、明らかに。

報告書に目を落とすと、基板が壊れていた上内部のケーブルの一部も切断、外装ケースも破損とある。
つまり新品支給か…とデータを諦めた私に、携帯屋のおねえさんが、データ再生可能とのことなので、ご確認ください、とやさしく微笑んだ!

おかげさまでアドレスも失わずに戻って参りました。

基盤も変わり外装も変わり、キーも変わり、とにかくなにからなにまで変わっているのに、保障の範囲内で無料修理してもらえていました(安心サポートってほんと大事…)。
けど、そんなに違ってもはや元のとは違う携帯といって過言でないのに、私の携帯っていっていいのかしら〜と、全部新しくなって嬉しい気分の私に、四川先生が絶妙の例えを言い放った。

「そりゃ、あれだよ。脳味噌だけ残して全身サイボーグみたいな…」
…009?

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