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April 2011

April 27, 2011

mukougawa

Deguchi


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April 24, 2011

awai

Awai_2

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April 18, 2011

詩
はるが進研ゼミのこくごの勉強で初めて書いた、詩。
ユーモラスで私は大好きなのだけど、からみそって(笑)。
一年生の語彙じゃないよね。日頃のテーブルの上が見えるようです。
赤ペン先生、なんてコメントしてくるのかな(笑)

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April 16, 2011

胃袋の底ヂカラ

8日、さあやの入園式以来、あわただしく一週間が過ぎた。
離れられないさあやのために、一日中幼稚園で過ごしたり、途中まで一緒で泣くのを置いてきたり、あるいは号泣する娘を「おあずかりします」とにこやかにかっさらっていってくださる先生の背中に感謝とちょっとの心配を送りながら、あっという間の、一週間。
小学校からは毎日お手紙が来て、あれを買う人は明日の何時、なにがほしい人は明後日までいくら、提出物は明日までなにとなに……いままで幼稚園ひとつの新学期でも大変だったのに、W新学期はこんなに忙しいものかと毎日毎日気をもむばかり。
うちの幼稚園はバスではなく通うタイプの園なので、毎日お母さん同士が顔を合わせるのがよいところでもあり、こちらも緊張するところ。地域にお友達ができるメリットは多いし、兄弟がいるママからお話を伺えるのが助かる半面、四月がくる度に「お友達づくり社交」にまい進しなければならない大変さもちょこっとある。
はるのときは、年長で役員になってようやく、まわりの人とまともにかかわった感があった。それまでは仕事があったりなんだりで1分1秒でも早く家に帰りたかったし、一体なにをそんなに毎日話したらよいのかまるでわからなくて、降園後一時間も園庭で子どもを遊ばせながらおしゃべりに花を咲かせているママたちの間に入ることができなかった。
でも!それは「男の子ママだから」できたことだったのだと、役員仲間の話を聞いていて思った。
女子はつねにコミュニケーション。
幼稚園年少、たった3歳の子であっても、そこは女子らしい。
そして年少女子のためには、母もまた、女子であらねばならない。

そうした新学期のまるで日常らしい風景の一方で、被災地にいる家族や友人が心配でもあり、さらに言えば、本震以来ずっと腹の底で懸念している誘発地震の可能性について、昨日地震学会で米研究所から出たデータに驚愕と半ばやっぱりという思いとがないまぜになっていて、ピリピリと神経を尖らせている次第である。
震源域の近隣で今回の規模と同じだけの地震が起こる確率は62%(地震活動期と想定した場合。活動期でなければ23%)、否が応にも首都圏直下型地震、東海地震を想起してしまう。

地震だけならなんとか建物の外に連れ出せれば良いが、我が家の南には、昔から氾濫を繰り返している大きな川が広がる。津波が登ってくる可能性は大きい。土地の古老の話によれば昔は大雨のたびにこのあたりは水浸しで、家から徒歩五~十分くらいの場所まではどこも床上浸水していたらしい。洪水ハザードマップでは赤い斜線がひかれている。今回の大震災で各所のハザードマップの改定を待つしかないのだが、鎌倉市と藤沢市にまたがる大きな川のためか、津波のハザードマップではどちらにもなんの記載もない。だいたいこの川の河口が江の島の入口だと、今回調べて初めて知った。

手はふたつしかないのに、三人の子どもをどうやってひとりで守りきれるのか。
幼稚園と小学校、迎えにいくならどちらが先か。
大津波警報が出たらいったいどこに避難すればよいのか。
はるは自分で歩かせるとしても、下二人、特にさあやは走れば転ぶし、たつを抱っこさあやをおんぶしてでは走ることなど到底できない。夜であれば、はるはなにがあっても起きないから、一層面倒なことになる。
子どもが多いというのは、にぎやかで楽しいものだけど、いざというときのリスクヘッジも一層力を入れておかねば、ましてひとりは話の仕方や理解がこちらとは違う宇宙人みたいなひとなのだから…。

……と詳細に悩んだり書いたりおいていまさらなんですが。
本題はそのあと、ね。
そういうときに、そういう考えから自分が逃れたいときに、なにをやりたいか、というのが重要な気がしました。

一番はやっぱり、日々の雑多なことから逃れて静けさに触れる美術館に行きたいところだけれども、電車に乗って遠くに移動することにまだ多少抵抗があって(連れて出るのはもちろん、自分ひとりで出かけていて戻れなかったら困るので一人で遠くに出かけるのも躊躇)。
結局いきつくところは、徒歩五分の本屋さん。

そこで見ているのは、料理家の小林ケンタロウの本です。
このひとの料理は、いかにも、自分が食べたいから作ってます!というストレートさ、潔さが良くて。
前に見たTVで「僕、作るのが仕事なんですけど、食べるのはもっと得意です」と言っていたのが気に入りました。
すなおな人、ストレートなひと、潔いひと、好きです。
実は今年は「料理本を買わない」というのが自分の目標のひとつなので、買ってはこないのですが、まいどそれこそ食い入るように見つめて、帰ってきます。

日々の雑多なこと、それまでの自分のぎゅうぎゅうした気持ちから手を離して、
こころをどこかに飛ばすことができると、
少しだけ気持ちが軽くなるんですね。

そこで考えたんだけど、どういう状況下にあっても、ひとって食べていかねばならんわけなのです。
食べることと生きることって直結しています。
だからこそ、なのか、
胃袋からのストレートな欲求を、料理という形に昇華させてつくりあげているケンタロウの本は、すがすがしい。
元気、でます。
実はみんなそうじゃない?
本を見て、これを作りたいからって買い物に行ってって、そういうのはお客さんのときくらいで、あとは胃袋と相談して何食べようか決めるでしょう?
だからこそ容易に、なんというか、あのひげ面の、目のなくなってにこーっとして「うまそうでしょ?!」と言ってるのが、嬉しそうな顔が、想像できる。
もちろんさすが料理家で、うなる組み合わせだったり簡単な手順だったり、研究されているんだけど。舌の感覚っていうよりも、もっと胃袋的な感じの料理をつくるひとだと思います。
笑うことって力、でます。
ひとの笑顔から受け取る力って、あります。
想像することって、すごく大きな力を生み出すものだと、思います。
それから、料理の本から想像する料理で、なんだかほっこりとなれる。
そうそう、みんなでこういう鍋つついて笑えるの、そういう日、きっとくるよね。
365日×3食、はたらき続けている胃袋だからこそ、かつてのそういった「おいしい記憶」を引っ張り出して、目を覚まさせてくれるような気もします。
またうまいめしくおうぜ、みたいな、ね。
胃袋の底ヂカラです。


さて本の立ち読みで覚えてさっそくつくったもの。
ツナ缶の酒盗あえ。
どんなに品物がないときでも、スーパーで売れ残ってました、酒盗。
非常時に酒のツマミを買い占める人って、さすがにいないんだね(笑)。
「とりあえずコレでやっといて」のときに出す料理、と書かれていました、そこにも共感。
料理も男料理っぽく大胆で、汁をきってツナ缶がばっとあけて、日本酒で洗った酒盗をのっけるっての。
簡単でしょ、でもうまいんです、こういうのって、酒のみだからこそ思いつく、食いしん坊だからこそ考えられるものだと思う。

奮発して買った地元宮城の銘酒で、被災地応援のつもり。

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April 07, 2011

Nagare

2011040601


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April 05, 2011

Akari

Tomoshibi


はる ほんじつ にゅうがくしきをむかえ いちねんせいに なりました。

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April 04, 2011

Kibou

2011040401


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April 02, 2011

Inori

2011040201


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