« June 2010 | Main | September 2010 »

July 2010

July 11, 2010

おやすみします

ブログの更新をいったんお休みします。
再開のめどはついていません。
すぐに書き始めるかもしれないし、この先しばらく書かないかもしれません。

誰かと1対1の会話だと虚勢をはってしまうことがあり、ここでフラットに書くことで気持ちをいくらかやわらげられていたのですが、やわらげちゃいけないんじゃないかという気がしてきました。

みなさんからいろいろお優しい気持ちをいただいたこと、本当に感謝しています。
なんだかいろいろ書くことで心配をかけるばかりになってしまうみたいだから。
もうしばらく、書きません。
閉じこもります。

そのうち、また。

| | Comments (4)

July 06, 2010

あなたが心配。

5日、今後継続的にかかわっていく、発達障害のこどもの専門クリニックに行ってきた。
今までの養育歴・療育歴、母子手帳ほか、はるの6年間の歴史一式を携えての訪問。
事前に送付されてきた問診票を書くのに毎日2~3時間、机の前で頭を抱えて、悩みながらいままでのことを思い出しつつ、向かった。
記憶は読んだ本の知識に紐づいていく。
あれも、これも、この障害のせいだったのかと思うような形で、結びついていく。
考えれば考えるほど、わけもなく悲しくなってみたり、はるの成長ぶりに涙が出てきたりで、なかなか記入が進まずに、結局まる一週間以上がかかった。

この日は初診のみ、次回以降の検査の計画を立てるのみ。
次回は臨床心理士が2種類の検査を行い、その次に担当した心理士から検査の結果を聞いて、さらに次に診断がつくのだそうだ。

通っているのは小児神経科という専門のドクターで、一般の小児科のようにあちこちにはなく鎌倉市内にもいらっしゃらないので、最寄りは横浜か横須賀だ。
それぞれクリニックによって特徴があって、横須賀は1回の診察で検査~診断までがつくのだという。
私たちは、じっくりと丁寧に子どもを診てもらえたらと思い、診断まで4回かかる横浜のクリニックを選んだ。

予約時から、ソーシャルワーカーが間にはいってくれて、先生との間を取り次いでくれる。
多くの目があるということは、子どもをさまざまな視点から見てくれる目が増えることでもあり、それだけさまざまな立場からの支援をいただけるように思えて、ありがたい。

帰宅後、実家に経緯を報告した。
母が、「はるも心配だけど、あなたが心配。」と言った。
いわく、小さいころからストレスを受けやすい体質で、自分で自分に毒素を作りだして嘔吐をくりかえす自家中毒の常習犯だったから(私の記憶では幼稚園時代ひと月に1回は自家中毒を起こして町の大きな病院に注射されに行っていた)、いろいろと抱え込みすぎて心身のバランスを崩すのでは、とのこと。私がバランスを崩したら、はるはもとい、旦那様もさあやもたつも、みんなに影響が及んでしまうから。
それを聞いて、私は、はるにとってそんな風に考えられる母親であるだろうか?と非常に気にかかった。
そんなふうにはできていないように、思えるのだ。
彼の痛みも辛さも、私はわからない。

病院に行く前に、実は大事件があった。
はるがトイレに閉じ込められたのだ。
近頃「男の子トイレ」に入りたがるので、駅でトイレに行きたがった彼を入口まで見送り、私はさあやとたつを連れて入口付近で待っていた。
ところが、5分まっても10分まっても出てこない。
人のいない商業施設くらいならば非常時としてズカズカ入り込んでしまうが、人通りの激しい駅の男子トイレにズカズカ入り込めるほど私の心臓は強くない。
たまたま清掃員のおばちゃんがいてくれたのは、天の采配だった。
中に幼稚園児の男の子がいること、入ってからだいぶ長い間出てこないことを告げると、はるが個室のカギをしめたはいいもの開け方がわからなくて閉じ込められているらしいことがようやく判明した。
おばちゃんの話では、ずっと話声がしていたから、大人の人といるのだと思った、という。
容易に想像がついた。
つまりはるは、困っていたのに取り乱しもせずに、たぶんいつもの調子で「おかしいな、鍵が開かなくなってしまった、困っちゃったな」などとブツブツブツブツ呟いていたに違いない。
家のトイレでも同じようなことが昔あった、そのときもはるは騒ぎもせず、助けを呼ぶこともせず、ただブツブツブツブツと呟いていた。

自分の手に負えない困ったことが起きた時、彼は助けを呼べないのだ。
その状況を知らないから。
これは私の推測だけど、もしかするといつも困っているから、ふつうの人のように「困ったとき」が特化していないのかもしれない。

清掃員のおばちゃんに救出されて出てきたはるは、おどおどした顔で私の顔色を見ていた。
叱られるとでも思ったのだろう。
それは、私は彼が困っているときに叱ったことがあるからなのだと思う。
だから彼は、困ったら叱られると思い込んでいる。
そしていつも困っている。

悲しい悪循環のように思えてならない。

困ったときに頼れる相手がいないと思い込んでいるのだ、たった6歳の子どもが。
人生の経験値が6年分しかない子どもが。
そうしてきたのは、他でもない、私なのだ。

知らなかったこととはいえ、「仕方ない」という一言では済ませることができない重いものが、ここにはある。
あるのだ。

この6年分のはるの悲しみと苦しみの集積を、私はこの後の取り組みで氷解させてあげられるのかどうかもわからない。

そうしたとき、母のように「あなたが心配」と、およそ一般的な知見では心配ではなさそうな私に対しても慮ることができるほどには、私は母性もないし人間性も磨かれていないように思う。
しかしそもそも、そんな人間性、磨いたところで出てくるのかどうかもわからない。
迷宮の中にいるようだ。
自分のいやなところばかりが突きつけられ、先が全くわからずに不安な中。

…とこんなふうに、すぐにストレスに感じやすいので、仕事だったら休んだり辞めたりもできるけれど母を辞めることはできないので、うまくやりすごすことだけを考えようと思う。


「あなたが心配」と、まず相手をおもいやってあげられる母のようなひとであれるように。
面と向かっては照れくさくてとても言えないのだけれど、お母さん、ありがとう。
はるのことを告げたときに、神様に選ばれた子なんだねとあなたが言い換えてくれたから、私は前向きにがんばれているような気がします。

| | Comments (3)

July 03, 2010

ことば

診断を受けた翌日からはるが登園拒否をして、三週間目に入った。
ポツポツ登園していたのが、またぱったり途絶えてしまった。
無理はしないほうが、と言われながら、負担をかけないように原因をさぐる、まいにち。
ひどく柔らかいものを、へこみがつかないように細心の注意を払いながら、指を押し当てるような日々を過ごしている。

ようやくどうもお友達との関係でつまづいているようだとわかってきた。

三週間。
たぶん最初は体調がほんとに悪かったのだと思う。
そこに、診断のこととか、私たちが対応を変えたことの戸惑いや安心も加わって、彼自身の中でも様々な葛藤が起こって、結果、少し心を落ち着かせたいのかもしれない。
最初はお腹が痛いと言って、吐いてしまっていたのに、小児科で検査をしてもなんの結果も出ない。
専門家と相談して「お腹が痛くなくてもお休みしたいならそう言えばいいんだよ」とハードルを下げてみたところ、腹痛はたちどころに消えてしまった。
かといって、それが登園につながりはせず、朝「どうする?」ときくと、「熱があるかも」と自分の額に手をあてて、熱ないねと私が確かめると今度はさあやの頭に手をあてて「妹が熱でいけない」と言い出す。
行きたくないなら無理しないでいいよ、行けたらとても楽しいと思うけどと言うと、小声で「僕、お休みがいい」と言う。
毎日毎日毎日、自分の手を額にあててから、さあやの額にあてる。
毎日毎日毎日、行きたくないなら無理して行かなくていいよ、と繰り返す。
今日は?ううん、というような、阿吽の呼吸はない。
曖昧なものを彼は嫌うため、今日は?の後ろに省略されたものがわからないからなのだ。

曖昧さを嫌う傾向に配慮、というのは、口で言うほど簡単なものではなくて、説明をするこちらのほうがすり切れてしまいそうになる。
例えば、うまく脱げない、というTシャツの脱ぎかたを教えるのに…
手をばってんのかたちにして裾を持ってバンザイ
→バンザイしても頭を縮めないから脱げずNG
Tシャツの左袖の部分だけを右手で持って左腕を体の方に縮めるんだよ
→手が縮まらなくてNG
(最初のバンザイに補足して)襟を持ち上げて頭を中にひっこめて、頭の後ろの部分をひっぱるんだよ
→文字通り、頭の後ろの髪を必死に引っ張っていてNG
…かける言葉ひとつにものすごい神経を使うから、キリキリしてきてしまう。
慣れればいいって話なのだろうけど、そして本人はずっとそういう細かな中で生きているのだろうけど、大雑把な私には結構なる試練だ。

言葉ひとつの難しさ。
正確で明確な含みのない言葉を探して話していると、ときどき虚しくなってきてしまう。
そしてまたふと、考える。
普段使っている言葉はいかに曖昧で、行間を読む、雰囲気を楽しむものが多いことか。
たぶん彼にはそれがストレスとなってしまうのだろう。

気にしすぎると声かけられなくなりますよ、と臨床心理士に言われたけれども、いままさにその状態になりつつある。
下手に話すよりも、なにも言わずこちらで全部やる方がよっぽど楽だ。

言葉って、本当に、難しいものだなあ。

| | Comments (0)

July 02, 2010

音のあふれる家

きのう6歳になったはる。
お誕生日プレゼントの先駆けで5月にディズニーシーに出かけたのだけど、今年はいろんなことがあったことも手伝って、はるの中にある芽のひとつを伸ばしてあげられたらと考えた。

彼は耳がとてもよいという特性をもっているらしい。

どうも私はアイディアに乏しいから、耳がいい、即、音楽と考えた。
安直かもしれないけど、でもあながち違ってもいない。
昔から音楽は大好きなのだ、生後6ヶ月から音楽のビデオを食い入るように何度も何度も繰り返してみたがっていたもの。

そこで、今年ははるに音楽そのものを贈ろうと思い立った。
コンポが壊れてから二年、CDを聴きたいからと新しいコンポをねだるたび、PCで聴けばいいのにと言われて終わっていたのだけど、はる専用のCDプレイヤーをかってあげ、気になっている楽器の音楽を、与えてあげようと思い立った。

相談したのはその道のプロ、音楽家であり公演のプロデュースも行う才媛ゆずちゃん。
なんと彼女ご自身の宝の山からクラシック音楽の様々なCDをはるのために届けてくださった!
アイネクライネナハトムジーク、ラプソディ・イン・ブルー、協奏曲、管弦楽曲、などなど…
はるは大喜びで、早速CDを入れ替えて聞こえてくる音を楽しんでいる。

ひさしぶりに、音楽があふれる我が家。
音楽の好みが違う四川先生も私も、はるのためならというのもあるし、クラシックだからというのもあって、大人しく聴いている。

気持ちに添う音に、であえる楽しみ、はるにはとくに、味わってほしい。

| | Comments (4)

« June 2010 | Main | September 2010 »