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July 26, 2009

居心地のよい空間。

こどもたちがふらりとやって来る。
しゃぼん玉やコマで遊んでいると、やがて近所のおじさんがやってきてスポーツチャンバラ教室がはじまり、それが終わった頃にお誕生日ケーキ持参で親子が来てお誕生会が開かれ、夕方の風に誘われておじいちゃんが縁台に涼みに来て、今日は隅田川の花火大会だと教えてくれた。

そんな緩やかな時間が流れる空間に、研修でお邪魔をした。
徳川将軍家の菩提寺・増上寺からほど近い、芝の家、というところ。
港区と慶應大が一緒に行っている地域コミュニティ再生事業なのだけど、緩やかで自然で心地のよい空間がそこにあった。
周囲を高いビルに囲まれ、増上寺はおろかそのすぐ近くの東京タワーさえ見えない。そんな中にぽっかりと取り残されたように、二階建ての家ばかりが並ぶ住宅地があり、その一角に昔ながらの日本住宅をリノベーションした芝の家がある。

こどもにコマのまわし方を教わった。
手早くひもを巻くのがコツだという。軸の方から回すのは「きのこ回し」というのだとも教わった。

お誕生日ケーキを作ってきたお母さんにケーキとミルクレープの作り方を教わった。
さっぱりしたおいしいクリームの秘訣はタカナシの生クリームで、タカナシのはコクがあるけどさっぱりしているらしい(同じくらいの値段でナカザワのもおいしいけどタカナシよりちょっと乳くさいのだそう)。今日のケーキが爽やかなのは桃のうす切りが挟んであるせいで、さらにケーキのスポンジがちょっと固めだったから、ネスティーの粉末のピーチティを生クリームと一緒に塗ったこと。
冷凍クレープにマスカルポーネチーズと生クリームとお砂糖を混ぜたのを塗って、桃の薄切りを挟んでミルクレープにしてもおいしいこと。

おじいちゃんからは地域の歴史の話をいろいろ伺う。
昔はこの通りはいろは横丁といって、道路にご近所さんが集まって木枠を設置して、流しそうめんをしたんだという話。
江戸好きでと増上寺の話をすると、芝神明の「め組の喧嘩」、相撲取りと鳶の親方の喧嘩と大岡越前の名裁きの話に始まり、あのビルはもとは薩摩の殿様のお屋敷だったとか、あっちのビルは有馬の殿様のお屋敷で化け猫騒動があって鶏が育たないから墓を作ったなんて話、昔鈴ヶ森刑場があったとこに交番があったのだけど警官が夜になると頭痛を訴えてお寺で見てもらったら夏の夜にあついと「出て」きちまう(!)せいってんで交番がなくなった話。

おじいちゃんと話した縁台の横には、壁沿いに上へ上へと伸びたゴーヤーが、ししとうくらいの大きさの赤ちゃん実をならしていた。
どこからか、風鈴の音。

もうとにかく、居心地がよくて気持ちよくて、素敵に寛いできてしまった。
お昼にはまかないの席に混ぜていただき、枝豆ごはんと肉野菜炒め、空心菜炒め、卵と野菜のスープをご馳走になる。
お誕生日ケーキとフルーツパンチをいただく。
ご近所からバナナが届く。
振り返りミーティングでは僭越ながらおやつに焼いていったパウンドケーキも差し入れさせていただく(抹茶とあずきの和三盆味、くるみと干しぶどうのキャラメル味)。
帰りには、慶應大の無農薬畑でできたぴちぴちのお野菜(トマト、ピーマン、なす)をお土産にいただいた。

独特の時間感覚に包まれた、とても居心地の良い空間。
なんというか、人のあたたかさ、それを作り出そうとする人たちのエネルギーをたくさん感じた一日だった。
今回は研修という形でのお邪魔だったけれども、もしこういった場所が近くにあったら、意思を持ってそこを訪れる、というよりも、ふうっと吸い寄せられてしまうだろうと思う。
そのあたたかさに包み込まれたくなってしまう場所なのだ。
もちろんそういった場所をつくる人たちが、とてつもないエネルギーを使っているのに肩に力をいれすぎず、自分というものに素直にそこにあることを大切になさっているからこそ、この特別な空気ができあがるのだと思う。

おべんきょう、で訪れたはずなのだけど、そういったこと以前に、素直に楽しんできてしまった。
気持ちがいいなぁ、と心から思った。
もちろん全員が全員そう感じたわけではなかったし、鋭い視点で見ている人ももちろんあって、ただ空間を味わって楽しんでいた自分を反省したりもしたのだけれど。
それでも、本当に素晴らしく素敵な体験をさせていただいたように思う。
研修というお題目がなければ、場所柄、自分から見つけられる場所とは思えないけれども、いつからか失われてしまった「人々があつまってできるあたたかさ」に触れられた気がした。
それはとても懐かしいようでもあるし、また、とても新しいようでもあった。

終了予定が後ろ倒しになったのだけど途中で帰りたくはなくて、家に着くと22時にほど近く、四川先生からはかなり冷たい態度で相当厳しいことを言われた(たぶん、頼まれたビールを買いそびれたせいもあった)。
いつもなら相当へこんで浮上できないのに、この日ばかりは得た感動があまりにも大きかったものだから、四川先生には悪いけれども、謝るも反論するもなく、ただ自分が体験したことを話した。
四川先生は時折質問を差し挟みながら聞いてくれた。
(実はこういう時間がとても勉強になる。今までeラーニングや演習の時間に得た知識、感じたことを総動員して話す、貴重な機会になるから。学者の性なのだろうか、四川先生の視点は大きくて、非常に核心をついたことを聞かれるので、自分自身の視点や理解できていない場所が発見できて、とても勉強になるのだ)

この日体験した場所は、特別なプログラムがあるわけではないし、サービスということにガチガチに凝り固まっているわけでもなく、自然に、あるがままに、それでもなにかとても大切なものを守りながら、ゆるやかな時間と空間を構成していた。
「これもワークショップだと私たちは考えているんです」と、ここの受け入れを実現させてくれた講師の方がおっしゃっていた。
今までに見てきたいくつかのワークショップとは違う形であったけれども、この場所を体験できたこと、私にとって大きな何かを与えてくれたように思う。

ワークショップデザイナー育成プログラムも、あと2日と総合課題を残すのみとなった。
もうすぐ、終わる。
この勉強をはじめた頃を振り返ってみると、少なくとも、未来に対してポジティヴな働きかけを行っている人たちがこんなにもいると知り得たことが、大きな財産であるように思う。

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Comments

コメントしようと思いつつ、すっかり遅くなってしまいましたが。

zokさんのこの回の文章を読んでいたら、いろいろ考えるところがありました。普段の自分の生活を見つめなおしてみたくなりました。

人と人とがあつまったときの、あたたかさ。

zokさんはやっぱりそういうものを感じとる天才だし、だからこそご自身もそういう関係を作りだせる方なんだと思います。

今後とも、こんな私ですが、おつきあいくださいね。
では、お身体にくれぐれもお気をつけて!

Posted by: kaname | August 01, 2009 at 03:25 PM

kanameさん、過分なお言葉いただきあたふたしています~。嬉しいような、もったいないような…。
私自身、そうありたいとは思いながら至らぬところばかりで…気がまわらない、もしくは気づいても手一杯でどうにもできない、そんなことばかりです。もしかしたら、みんなそう思っているのかもしれませんね。
この日すごく感銘を受けたのが、「自分に素直である」ことでした。自分の気持ちや体の状態をチェック&共有する作業の後に、場が開かれてやがて閉じられていくんです。
人と人の関わり合いの中で、自分の素直さを保つことってなかなか難しいことでもありますが、例えば子どもは、そういう部分を見破ってくる。だからこそこういう場では、素直にあることが真剣勝負のスタートラインになるんですよね。
大人も子どもも真剣に遊ぶし、楽しむし、叱りもする。
気持ちの動き、それによる関係性の微細な変化、そうしたものに気づくことが大切なんだと改めて思いました。
勉強になりました~。
どなたでもウェルカムなところなので、機会ありましたらぜひ、足を運ばれてみてください!

Posted by: zok | August 02, 2009 at 09:02 AM

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