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May 16, 2009

からすの声

はるを幼稚園に送った帰り、やけにからすが賑やかだった。
それが、一羽がなくと離れた場所の別のからすがなき、また離れた場所でなき、とコミュニケーションしているような様子だった。
ちょうど燃えるゴミの日、おおかた獲物の情報を伝えあっているのだろう。
日々言葉なきこどもの声に耳を傾けていると、こういった、言葉なき声に少し、親しむように思える。

昔の人たち(といっても、おばあちゃん、ひいおばあちゃんくらいの比較的近い世代)は、からすの声を聞き分けられたのだそうだ。
よく、死人が出る時はからすがなく、なんて言われるが、そういう時のからすは、普段とは違う、禍々しい声なのだそう。
民俗学者が調査した話を目にしたけれど、土地の古老が聞き分けるその声の違い、古老の子どもや孫世代はまるでわからなかったという。
実際、私たちが普段聞いている声とは違うのかもしれないが、声を受けるこちら側の受信機自体が変わってしまったのだろうかと考えた。

先日四川先生が、環境関連の講演会で面白い話を聞いてきた。
低周波の音が人体に与える影響の話で、自分では音が鳴ってると認識できないほどの低周波の音が、脳に負担をかけ、心身に不調をきたすというもの。
しかもこれは日本人にしか起きない現象なのだという。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が気づいたらしいのだが、西洋人には雑音にしか聞こえない虫の声に風流を見いだす民族だからこそ、とのこと。
だから耳で認識できないけれども体に届いてくる低周波の音を感知し、脳で処理しようとして疲弊してしまうのだとか。
音がしないけど動き続けているたとえばボイラーや夜間発電などを原因として、しかも自分の家ではなく住宅地や集合住宅で、そんな被害が出始めているのだそうだ。
被害はあれど、法はなく、救済や低周波音の制限もできないという状況のよう。

話をもとに戻そう。
その低周波音の例からすると、受信機自体には変わりがないのかもしれない。
ただ私たちが、その受信機の操作方法を忘れてしまっただけなのかもしれない。

私たち自身の、奥深いところから発せられるか細い声をとらえられたら、からすが鳴く声の違いも、わかるようになるのかもしれない。
生死に関わるような恐ろしい声はわからなくてよいけれど、森羅万象が発している言葉なき声がわかったら、どんなに素敵なことだろう。
少なくても、移ろう季節や毎日の時の流れを肌に感じられるような、そういう静けさに耳を傾ける昔のひとのような意識を持って、日々を生きてみたいと思う。
(もちろん、日常がそこからまるでかけ離れたものだからなのだけど…)

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