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December 12, 2008

蓮根の毎日。

ときどきかなしくなる。
いつも懸命に前を向いてひたすら走っているような気がするけれども、自分が「こうありたい」と思うように、行動が伴えていないこと。
その結果、自分の足元が、ちっともしっかりとしていないこと。
まだまだ足りない。
全然なにもできていない。
そういう思いでいっぱいになる。

自分が今できる精一杯を、無理にならない範囲内でやっているとは思う。
でもそれが、我慢ならない。
本来なら、「ちょっとだけ無理」をしたら、もっと良くなることがたくさんあるからだ。

もちろんデメリットはその「ちょっと無理」が度重なると体にテキメンに現れてくること。
それに、「ちょっと無理」というのは、「とても無理」とは違って、「がんばっちゃったな感」(反省と諦観に近いながらも非常に充実した達成感)がなく、進行してからでないと自覚症状があまりなく、常習化すること。
でも基本的には、「ちょっと無理」するくらいじゃないと、自分で納得のいく成果があげられない。
「…仕事Mだよね」と、誰かに言われたことがあるけれど(笑)、たぶん当たっているような気がする。

一番かなしいのは、そういう状況を、自分で自分に言い訳してブレーキをかけねばらないこと。
とかく時間が自分の思うように使えず、やるべきこと、やらなければいけないこと、やりたいこと、それぞれがどれも中途半端な状態になっているような気がする。
泥の中に埋まって沈み込んでいるような気がする。

「いま、自分にできることを。」
でもそれって、「最大限に」できることを、だったら、もう少し違うのに、と思う。
何においても。
今の自分は、自分で自分に縄をかけて、くくりつけている状態。
…誰しも、こういう逡巡を抱えながら、毎日を送っているのかもしれない。

本を読んだ。
俣野温子さんの本。
タイトルは『育児に疲れを感じたら』。
図書館で見つけたとき、手に取らずにいられなかった。
子どもを愛していても、家族がどんなに大切でも、自分に与えられた責任との葛藤の中で悩む人は多いだろう。
それはこの「子育て中」という特殊な環境のせいだ、と、この本を読んでそう思った。
そこに書かれていたのは、まさに私そのものだった。
ああ、こうやって、乗り切ってきた素敵な先輩が、世の中にはいるんだ、そう思った。
本にはこうあった。
「母親の役は責任と重い荷物を背負わされる
とても過酷な側面を持ち合わせていて
自分の持てる幅がせまいと
人生という長い道のりは困難を極めます。
子どもとの関係は育てているのではなく
育てられているのです。」(『育児に疲れを感じたら』俣野温子著より引用)
ああ、そうか。
こういった日々は近視眼的なもので、少ししたら、「あの頃が懐かしい」なんて目を細めるほどに、大切なものなのかもしれない。
がむしゃらにただ突っ走ったり、自分に必死でブレーキをかけてあるいた日々が。

子育ては大変だ。
けれどもその何倍もの喜びも、そこにはある。
天国は幼子のようである、というけれども、幼子たちは本当にそれぞれに奔放で、生命に溢れ、信じられないエネルギーの塊で、こちらが振り回されてしまう。
そんな中で自分自身のあり様を一定に保つ、というのは、本当に難しいことだ。
体調にしろ心の状態にしろ、あるいはなにか生み出したり作り上げる際のクオリティにしろ。
がんばっている人をみると、自分も、と思うのだけれど、その思いをそのまま行動に投入できないのが、もどかしくもなる。

かといって、子どもたちと近しく過ごす日々を手放す気には到底なれず、いっそのこと保育園やベビーシッターに預けて、自分は仕事に生きる、という道も選択できない。

欲張りなのだ。
私は。

泥の中からすっくと伸びてまっすぐに咲く蓮の花。
そうなってみたいものだと、胸にひめつつ。
まだまだ泥の中の「蓮根」です。

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