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August 12, 2008

ほほえみのたね。

弟と旅をした。
短い旅だ。
仙台から新幹線に乗って、福島へ。わずか20分ほどの旅。
福島県立美術館の大岩オスカール「夢みる世界」展を見に行った。
件の展覧会、気になりつつ東京都現代美術館会期を逃したせいもあったが、弟と一緒に観てみたかった。
「映像的できっと気にいると思う」そんな文句で映像・CM作家の彼を誘い、山の麓にひろびろと佇む美術館へ出かけた。

弟とこうして出かけるのは、久しぶりだ。
私が仙台で勤めていた頃、休日になると当時の愛車・ホンダの赤いオープンカーを乗り回しては、2人で出かけた。
図書館や海、レンタルショップ(ビデオ屋と呼びならわしている)、蕎麦屋、カレー屋。
約6歳離れている弟だが、私が幼いのか弟が老けているのか、不思議と気が合う。
互いの秘蔵の漫画の貸し借りは今も時々続いている。
新幹線の中では近頃の笑いの壷を紹介しあった(弟は『セイントお兄さん』という漫画、私は漫画ちっくな山口晃の作品集)。

こうしていると違和感があまりないのだけど、弟は数年来、気持ちのバランスをうまくとれないまま過ごしている。
段違い平行棒をあっちからこっち、こっちからあっちと飛び移るような具合で、時々自ら落っこちようとしては誰かに抱き止められている。
もう何年にもなる。
良くなったと思えばまた悪化し、小康状態を繰り返して、這い上がれない蟻地獄の砂の中をグルグルもがいている。
母によれば、冬篭り中の動物のように、食べ物を摂りにときどきのっそりと出歩く他は、自室で寝てばかりだという。彼が私の誘いに応じたのも、母にはちょっとした驚きのようだった。

大岩オスカール展、「見立て」の面白さ、ほんのわずかな発想の転換で世界の見え方が変わること、もの悲しい状況にあってもポジティヴな力が必ず発見できる強さ、そんなものから想像力の復権を感じた。たとえばひしめく摩天楼を庭に見立て花を咲かせた作品の、夢のような美しさ、力強さ、はかなさ。幻想的、ではあるけれども、もっとどっしりと根をおろす、たしかな生命への力を、そこに感じた。
何を思ったのだろう。
弟は、RHODIAの小さなメモ帳にしきりになにかを書き込みながら観ていた。
私なぞよりもじっくり、観ていた。
彼はそこに何を観たろう。
何を感じたろう。

美術館をあとにして、駅で一緒におろし蕎麦をすすって、塩釜にある彫刻専門の菅野美術館に出かけた。
人気のある建築家が手がけた美術館、高校時代の友人が学芸員をしている。シャボン玉、がコンセプトになったという美術館、小ぶりだけれどもとても面白い。
真っ白く、個性的な建物に包み込まれた作品たち、弟は特に、ジャコモ・マンズーの枢機卿像の前で、さまざまな角度から、作品を見ていた。

家につくと、「ありがとう、今日。おもしろかった。」と呟いた。
普段は辛口で「いまいち」だとか「まあまあ」と言った評価しかしないらしい彼のストレートな言葉に、母は驚いていた。よほど面白かったんだろう、と後から言い添えた。

先日『鬱の力』という本を読んだ。
五木寛之と香山リカの対談をまとめたものだ。
それによれば、鬱になる人というのは、生命力・パワーが強いのだが、その出口が見つけられない状態、と表現されていた。
弟が気持ちを惑わせはじめたきっかけは、確かにそんな感じだった。
仕事関係で、彼自身を全否定されたことが、その始まりだった。
セロトニンという脳内の幸福感を司るホルモンが、まるで分泌されなくなった(検査では、値がきっかりゼロだった。)
地下鉄がストライキを起こしたら、バスやタクシーを使えばいい。
でも、脳がストライキを起こしたら、一体なにをどうすればいい?

芸術には力がある。
そう信じている。
私に語りかける言葉にならないメッセージと、弟が感じ取るメッセージは、もちろん違っているだろう。
そのどちらもが、そのときにそれぞれに必要なものであるはず。
千の言葉を紡ぐよりもダイレクトなメッセージになって、まさに力の結晶として、届いてくれているだろう。
癒す/癒されるではなく、もっとポジティヴな、生命そのもの。
それが、心に種を植えつけてくれる。
いつ発芽するか、開花するか、わからない。
でもいつかそれが、すべてを突き破って、ほほえみを生み出してくれる。
そう、信じている。
弟は来週、誕生日を迎える。
プレゼントには、山口晃の作品集をあげようと思っている。

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