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July 23, 2008

コローな空

コローな空
今夜は、閉館後の美術館で予定がある。
舞台は上野の国立西洋美術館、コロー展。
美術品泥棒に忍び込むわけではない。
読売新聞のプレミアムサービス「ヨリモ」の会員向けに、夜間ゆったり特別鑑賞会があって、私は微力ながらお手伝いに馳せ参じるのだ。

ふと見上げたら、空がコロー絵画のようだった。
コロー色とも言われる銀灰色に、靄がかったような、風にそよいだ雲。
季節が夏ではなく秋か初春だったらなおのことコローらしい。

これまで格別な印象を持たなかったコロー、お声がけいただいたのを機に勉強してみると、つくづく誠実な人柄に心うたれる。

芸術に人生を捧げるために、結婚すらせず、「生涯の目的はただひとつ、風景画を描くこと」として画業に取り組んだ(申し添えておくが、決して女性が苦手というわけではなく、恋人もいたよう。ただし魂を捧げるのは芸術だけ、という、ある意味とても誠実な対応)。

「木ならまっすぐではなく風にそよいだ形にせずにいられない」と、自然の中の「生命の美」をカンヴァスにうつしとらずにいられなかったコロー。
絵を前にすると、その誠実さが一筆一筆に感じられる。
ただ風景を写すだけではなく、より美しく、理想的な姿になるように、枝の一本にまで神経をつかう。細部に至るまで、生命が感じとれるように。
今回の展覧会の企画意図は、コローが「最後の伝統画家にして最初の近代画家」だったことの再発見。
人物画も多く展示されている。
それまで人物画といえば王侯貴族を描いた注文肖像画だったり、神話や聖書を起源とした神々や聖人の姿を描いたものだったのだけど、コローは市井の人びとを描いたり、民族衣装を着せていたり、その試みの新しさに目をみはる。
鋭敏な感性を持ったシスレー、ドランやピカソなど若い画家たちは、コローの作品に新しさにいち早く気づき、影響を受けた。
(ちょっと脱線するが、コローの影響は日本人画家にも見られるという。明治になり日本で西洋画教育が始まった時に招聘されたフォンタネージが、美術学校での講義で紹介したらしい。その時生徒だった洋画家・浅井忠が、フォンタネージを通して間接的にコロー様式を学んだのと、のちに官費留学をしたフランスで不動のものとなったコローの画業に触れている。同じ頃美術修行に渡仏していた日本画家・竹内栖鳳もルーヴルでみたコローを「これこそ本当の風景画」と評し、いたく気に入った様子を子息や弟子たちにたびたび話していたようだ。
ちょうど日本は西洋と交流をはじめ、模索しながら国のあり方を変容させていた時期。印象派の登場を前に激しく胎動していた西洋美術界と、それまでの暮らしからすべてを革新していく日本との流れが重なり合い、相互に影響しあう礎となる、面白い時期である。)

コローって、もやんとした風景画のイメージしかなかったけれど、こんなに奥深くて面白いんだ、とわくわくする。
緑の絵や水辺の絵も多く展示され、向こう側から涼しい風が一陣、吹いてきそうだ。

夜の美術館。
美術品たちは、久々の夜更かしだろう。
映画「ナイト・ミュージアム」さながらに、思わず動き出してしまうかもしれない。
あるいは、どんなに画業が忙しくとも音楽会や観劇に週2、3度は通ったというコロー本人が、お客様に紛れて覗きにきていたりして…?

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