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January 29, 2008

ひとひとり。

毎日が「今日か、明日か」とそわそわ落ち着かないこの頃。
初期の頃から「妊娠ってこんなに大変だったっけ?」と思っていたけれど、ここへきてその思いもピークになっている。
起きていればお腹の張り、移動のしんどさ。
寝ているときは腰痛、寝返りひとつうつのもしんどく、寝ている間にこむらがえりになることもしばしば。
そんな中、更にマイナートラブルがいろいろと起こったりする。
人ひとり、いのちを授かるというのは、本当に大変なことだ、と思う。

逆の事例もまたある。
普段の生活はいろいろな束縛も多く、がんじがらめになっていて抜け出せないような気持ちでいるけれども、実は人ひとりが消えてしまうことって、たやすいものだ。
あるサイトで見たところ、1年間に提出される家出人捜索願は、緊急度の低いもので約10万件もあるのだという。

人がひとり、いのちを授かり、そのいのちが地に還るまで。
その過程には、さまざまな道筋があるんだなぁと思う。
一人のうちは、自分が思うような道を歩いてくれば済んだ。
パートナーが出来て、同じ道でも、違う観点があると知った。
そして子どもが生まれると、今度は子どもの辿る道のりを、時に傍で、あるいは離れて、見守る視点も出てくる。
自分の親や祖先たちが繰り返してきたその営みの裏側にある数々の大変さを、なんだかじっくりと考えさせられる。

「家族」というのは、自然にできるものではなくて、作り上げるものなのだということも、わかった。
家族は社会の最小の単位である、なんて教科書には載っていたけれども、それぞれの意見の違いを認め合い、尊重しあう、あるいはぶつけ合う、一番身近で一番難しい存在こそが、家族かもしれない。
一番わかり合えるようでありながら、一番わかりあえない。
そんな気も、するのだ。
親と子、夫と妻、兄弟姉妹でも、その関係性は変わってくるに違いない。
しかしそこに、家族のお互いを思いやる気持ちが欠如したならば、家族というのはバラバラに、いとも簡単に、分裂していってしまうものに思えてならない。
昔はそこに、さまざまな「つなぎ」もあった。
年寄りや地域社会、ご近所など、家族よりも少しゆるい、副次的なつながり。
それが希薄になっている今、家族というのは、やはり構成員それぞれのたゆまなき努力を必要としなければ、存続できない、あやういものになってしまっているのかもしれない。

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