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December 19, 2007

クリスマスと手帳。

今年はいつになく、我が家にクリスマスソングが流れるのがおそかった。
昨日からふと流し始めたクリスマスソングたち。
ひところは、年に1枚必ずクリスマスソングのCDを買っていたというのに、今年はどうも気忙しくていけない。

この頃になって、もうひとつ気になりだすのは、来年の手帳のこと。
(そして、本来気にすべき年賀状は、クリスマスから帰省までの数日間に、狂ったように量産される。来年もまた元旦到着は見込めない…?)
新しい手帳に切り替える時期と、今年使っていた手帳を参照する時期のタイミングを計るのが、結構難しい。
こればかりは、毎日が連続して続いている以上、1月1日にぴっちり入れ替える…というのとも、ちょっと違う。
ところが、早々に新しい手帳に切り替えた途端に今年使っていた手帳に書いてある情報が入用になったり…

クリスマスを強く意識するようになった頃と手帳とは、私の中でなんだか不可分の思い出だ。

こどもの頃にもクリスマスはお祝いをしていたのだけど、それよりもお正月を迎える雰囲気の方を強く覚えている。
その頃は、ひいおばあちゃんも健在で、曾祖母、祖父母、両親、弟と7人の大所帯で暮らしていた。
学校が冬休みに入って、父が仕事おさめを迎えて、全員で大掃除をして、お正月用のお餅をつく。
餅つき機のブザーがなると、大人たちは片栗粉を手にまぶして、ラップをひいた大きな密閉容器に移したり、熱~いつきたてのお餅をちぎって丸くして、お盆に並べていった。
その横で私と弟は、つきたておもちの、柔らかで熱いのの切れ端を、「味見」といいながら、ねちねちと食べていた。
恒例の餅つきは、毎年だいたい2回、多い時では3回も行われ、餅つきの日は一日餅つき機の様子を伺いながら、正月の準備をするのだった。
30日には「お年取り」といって、昔は山形のおじおばと従兄弟たちもやってきて、近所に住む親戚たちもやってきて、本当に盛大だったものだ。
昔から連綿と続いてきた風習の方が、外来の新しいイベントごとよりも印象的であったのは当然だろう。
中学3年の頃、家の新築中に曾祖母が他界して、新しい家で迎えるお正月から少し、静かになった。
私は高校生になった。

高校生になると、親友とクリスマス雰囲気の町を歩くのが好きだった。
今はお互い二児の母になった彼女と、よく繁華街を歩いたものだ。
その時に見つけた、マーガレットなんとかというイラストレーターの手帳が、人生で一番最初に買った手帳だと記憶している。
高校1年生の頃だ。
手帳を持つと、不思議と予定を書き込みたくなる。
予定とも日記ともつかないものを書き連ねては、喜んでいた。
家族から離れて、自分の予定というのが生まれてきた頃と、ちょうど重なったのだろう。
以来、クリスマスの時期になると、ああ来年の手帳…と意識をするようになった。

それにしても、手帳というのは、1冊あれば充分役目を果すのに、ちまたには素敵なものが多すぎる。
毎年2~3冊は手元にある、と白状したら、四川先生が目を丸くしていた。
例えばある年は、一般用に使う手帳(システム手帳)をメインで使い、月齢の手帳(月手帳だったか、満月手帳だったか、そんな気になる名前だった)でその日の気分を見たり、風水手帳で運気を調べたり、和暦の書かれた手帳で季節を確認したりした。
実用性においては、シンプルで機能的な手帳が一番、と思っているのだけど、そういったビジネスライクなところには現れ得ない付加価値をつけられてしまうと、ついふらふらと手に取ってしまう。
毎年、購入時には「これは日記用」「これは創作のアイディア用」「これはこどもの用事用」なんて言い訳をして手に入れるくせに、メインの手帳以外使い通したことがない。

フランスにご旅行なされたKさんが、ミュージアムで見つけられたと、とても素敵な来年の手帳をお土産にくださった。
使うのがもったいないくらい、とても美しい手帳で、手にとって見惚れているだけで幸せなのだけど、この手帳だけは、なんとしても書きとおそうと心に決めている。
来年生まれるこどものことを書こうと思っているのだ。
こどもの成長のこと、それだけではなくて、折に触れて気にかけたことや、季節のこと、素敵だと思ったことなど。
大人になった時に、へその緒と一緒に手渡してあげるつもり(…なので、責任重大!)。
美しいもの、きれいなもの、素敵なもの、そういうものを伝えてあげられたらなぁと思う。

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