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November 17, 2007

けやきの思い。

先日、仙台に日帰りしてきた。
はつ雪降る前日だったという仙台、その日はほがらかに晴れあがり、とても気持ちのいい日だった。

仙台――というと、一度でも訪れた人なら、けやきの並木道がきっと印象的であろうと思う。
私自身は故郷が好きな方ではないのだけど、けやき並木だけは別。
高校生の頃ヴァイオリン片手にレッスンに通う傍ら、けやき並木を見やり、仙台を離れる時がきたら、さぞかし寂しいだろうなぁ…と考えたことは、今でも鮮明な記憶として残っている。
いくつかあるけやき並木、当時は、行きつけの喫茶店もいずれかのけやき並木の並び道であったり、けやきが見える場所だった。
そういえば、その後好んで出かける場所も全部、けやきのそばのように思う。
もちろん、冬場の豆電球によるライトアップも、物心ついたときからの楽しみで、デートスポットでもあるその場所だが、天邪鬼らしく一人で物思いにふけりながら見上げるのが大好きだった。
いまだに、友人達との待ち合わせには、並木道界隈をつい指定してしまう。
そんな、特別な思い入れのある場所なのだ。

ところでそのけやきの一部が、切られてしまうのだという。
地下鉄建設に伴い、44本が移植・伐採という運命を辿る。
そのけやきの記憶を、アートの形で残そうというプロジェクトに、お誘いをいただいた。
44人のアーティストが、それぞれ1本の樹を担当し、その樹から感じたことをアートにする。
けやきの伐採反対運動でも、政治的な意図を持ったものでもない。
ただ作品として、その記憶を残す目的のもの。

アートという手段――つまり人の想像力が生み出す形となって、新しいいのちを与えられる、けやき並木。
作品はWeb上で公開されるそうだ。
私も、私なりのけやきを、形にさせていただく予定。
だけれどそれ以上に、アーティストたちの自由な脳をとおりぬけた「新しいけやき並木」に、興味がわいている。
けやきに別れを告げるのは寂しいことでもあるけれど、アートという生命を得たけやきは、また永いいのちをいきるに違いない。

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