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November 2007

November 29, 2007

鎌倉産院事情。

家から一番近い産婦人科が、たまたま鎌倉で唯一の出産施設である病院だ。
救急体制が整っている総合病院なので、ついいつもの調子で予約などせずに訪れたら、「完全予約制で…」と難色を示されてしまった。
それもそのはず、改めて電話で問い合わせてみると、「初診の予約は1ヵ月以上先」になる、とのこと!
市内のここでしか産めない、という事情もあって、多くの妊産婦を抱える病院、もちろん他に婦人科の患者もいるのだから、予約がとりにくいのも仕方なかろう。

しかし、いまや私は妊娠後期の身。
2週に一度検診に訪れなければならない時期に突入しているのである。
妊婦検診だけなら他の病院でも対応してくれるはず…とインターネットであちこち探してみたのだけれど、いずれも「~○○週までの妊婦検診」の○○部分が、私にとっては既に過去であったりする。
結局、「週数が近いので、やむをえぬ事情ということで、受入できます」と仰ってくださった、総合病院にお世話になることになった。
無理やり押し込めてもらった、という状況だろうか。
いざ診察に出かけていくと、接する医療スタッフ一人ひとりが、本当に申し訳なさそうに、「待ち時間が長かったり、予約が取りづらかったり、本当にごめんなさい」と仰るので、無理に詰め込んでもらった私はかえって申し訳ないようだった。

全国に先駆けて高齢化している、鎌倉である。
子ども関連事業は結構充実しているらしいというハナシも聞くのだけれど、国全体がいくら「産めよ増やせよ」と声高に言っても、近年下降の一途を辿った出生率におされ相次いで廃院した産院の影響が妊婦に来るのでは、産みたくても産みにくい状況である。
私など、海外からの情報不十分な上での転院で、しかもまた渡り鳥のように里帰り先に転院していく予定で、数回の検診のみちゃっかりお世話になる身の上であるから、肩身が狭いような気すらする。

診察には、はるも一緒に連れて行った。
上記のような混雑具合、当然長~い待ち時間に、暴れん坊放題の彼が耐えられるはずもなく、助産婦外来の壁を叩いたり、私の膝の上に座って前屈体操を始めたりと、大暴れ。
しかしながら、赤ちゃん、というのは、ちょっとずつわかってきたらしい。
助産婦外来で子宮の大きさを測ったり、心音を聞いたりしたら、はるは自分の洋服をまくって、「はるも、あかちゃん、いるの!」と診察を要求し、爆笑された。
そうそう、診察の一番はじめの問いは、「あなたは日本人ですか?」からだったのには、こちらが思わず失笑してしまった。
同じアジア人である中国からの転院だからだろうけれど、北京でも私、中国人と間違われていたもんなぁ(笑)。

ずっと気になっていた採血検査(本来は初期にするもの)もようやく済ませられたし、今のところ「動きすぎの際にお腹が張る」以外の異常はないし、性別もとうとう確定したし、ようやくちょっとだけ肩の荷が下りた。
病院で騒いだ時に、はるには「注射」という一言を持ち出すと効果があることもわかった。
診察室を出る時に、はるが呟いた一言「赤ちゃん、楽しかったね」が意味不明ではあるけれど…、それがはるなりの「赤ちゃんが来る」ことにつながる認識のステップだとしたら、嬉しい。
出産予定の仙台の病院は、兄弟立会いはできないのだけれど、はるも一人の「家族」として、赤ちゃんを彼なりの方法で迎えてくれたらいいな、と思う。
…できれば、赤ちゃん返り以外の方法で…(笑)

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November 28, 2007

おい、しゃむ!

ときどき、「奥さまは魔女」のDVDを観る。
予定と予定の合間の、ほっとくつろぎたい時、はると一緒のおやつの時などに、サマンサとダーリン、タバサ一家を観て、笑って、和むのだ。
たまにはるが、「ママ、しゃまんしゃ、みようか」と誘ってくれることもある。
いいよーと応じて、ソファで寛ぎながら、またはやりかけ仕事の手を動かしながら、はると一緒に「奥さまは魔女」鑑賞が始まるのだけれど…

近頃、矢鱈に言葉を吸収する、はる。
テーマソングを鼻歌演奏するだけではなく、ついに、「奥さまは魔女ごっこ」をするように!
「はる、だーいん」と言って、自分の車にのり、「おい、しゃむ!しゃむ~」と私(サマンサらしい)を呼ぶのだ。

いくら自分が好きで観ているものだとはいえ、人様を「おい」なんて呼ぶ子どもにしてしまってはいけません。
そこで賢明に「誰かを呼ぶときは、おい、と言ってはいけない。それはダーリンだけなのだ」と説明すると、「わかった!」と笑顔を見せるけれども、次の瞬間には「おい、しゃむ!」。
そんな応酬が日々続いている。

一時期はパパが「だーいん」と呼ばれていたのだけれど、昨日あたりから「ラリー」(ダーリンの親友)にキャスト替えさた。
それまでは、日中、私とふたりの時は、はるがダーリンなのだそうで、パパが帰ってくると、パパがダーリン、私がサマンサ、自分は「しゃましゃ(タバサ)」に、変更。
そしてついに、(たぶん、ダーリンは車に乗るものと思っているため)、はると私が固定キャスト化し、出たり出なかったりするラリーが、その性格上パパに配役されたものと思われる。
一体いつまで、続くのやら。

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November 27, 2007

腹幅感覚。

妊婦って、こんなにしんどかったかしら、と近頃思う。
まず第一に、お腹が重苦しい。
重さに耐えかね、地球の重力が恨めしく思えるときがあるほどだ。
しかもそれだけではなくて、中身がしっちゃかめっちゃかに動く上、その一挙手一動足がズシンズシンと響く。
パニック映画で巨大化した怪獣が町を踏みしめる心地が、ほんの少し分かる心持になる。
いや、どちらかといえば、踏みしめられている町の心地だ。

そんな中、一番に困るのが、車幅ならぬ腹幅感覚の欠如。
日に日に大きくなるお腹なのだけれど、そのせり出し幅がいまいち掴めておらず(昔から私は身体感覚が良くないところがある)、あちこちにぶつけて歩いてしまう。
(もっとも、ちょっとやそっとぶつけたくらいでは、ぶつかった相手の方が飛んでいくことが多いのだけど)
たとえば目の前をはるが突然横切る時。
冷蔵庫のドアや引き出しを開けた時。
うすく開けた襖の隙間を通る時。
ボコッと軽くお腹にぶつかって、ため息とともに、ああまたお腹が大きくなった、と実感する。

一応大事なナマモノ入りのお腹なので、保護しなければと思って、腹巻タイプの腹帯をいつもするようになった。
夏生まれのはるの時は、出産が近づくにつれて暑くなったため、ほとんどしていなかったはずだ。
夏生まれのはると、冬生まれの二番目。
一番目と二番目という違いもあるだろうが、考えてみると、つわりの時から対照的だった。
はるの時は揚げ物や肉類がすごーく食べたかった「喰いつわり」だったし、今回は何も食べられず、ごちそうはフルーツと小倉餡。
はるの時の今頃は、記憶を辿ると一日15時間以上眠りに眠っていた。
今は眠くても無理に起こしてくれる小さい人がいるせいか、せいぜいが8時間。
いつも体のどこかに疲れがあるようですっきりしない。
でもそれは、睡眠時間の短さだけではなくて、眠っている間にも、ドカ、ボス、と内側から重力たっぷりに蹴られて、眠りが浅いせいもあると思う。

はるの時も、こんなふうに腹幅感覚のなさに悩んだっけかなぁ。
日に日に成長するお腹が、懐かしいような、違和感あるような、ここ数日なのでした。

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November 26, 2007

まいにち、たべるもの。

071123_200501帰国以来、毎日食べているものがあります。
それは、納豆と焼き芋。
焼き芋は、昼間時間の空いている時に、アルミに包んでオーブンに放り込み、50分ほど焼き上げています。
焼きあがるとちょうど、小腹のすく頃なので、カフェオレと一緒におやつに。
それに、ちょっと甘いものが欲しい時にも強い味方なのです。
納豆の方は、朝か夜か、どちらかには必ず食べています。

実はこのふたつ、中国では食べたくて食べたくて、でも食べられなかったものたち。
納豆は、日本食を扱っているお店ではたいてい手に入りますが、とっても高級品。
毎朝納豆を食べるのが習慣だった四川先生は、五ヶ月間耐えていました。
たまに買ってくる1パック、それに日本料理屋さんで納豆をつかったメニューがあると、とっても嬉しかったっけ。
焼き芋の方は、10月に入った頃から、マンションとなりのスーパーの入り口に、あの特有の甘いにおいがたちこめはじめ、うっとりと吸い寄せられていたのですが「“十大毒小吃”に入っていたから…」と止められ、とても切ない思いをしました。

だから、というわけでもなく、単に好きなわけなのですが、毎日毎日毎日飽きもせずに食べています。
それから、以前よりもずっと、野菜を食べているように思います。
野菜については、あちらであまり食べられなかったこともありますが、それとは裏腹に、多彩な料理に触れたのも刺激になりました。
そんなわけで、図書館にいくと大抵、中華の家庭料理の本を借りて帰ってくるこの頃。
納豆をはじめとする日本ブーム(?)が去ったら、きっと四川先生は「中華料理が恋しい」なんて、言い出しそうなので。

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November 25, 2007

船便がとどきました。

北京から送った船便が、昨日届いた。
三週間弱、予想よりもとっても早いご対面。

日本語でことを済まそうと、現地の日本企業ブランチに連絡を入れたのが、たしか一月前くらいのはず。
「北京から日本に送る荷物は、とっても高いよ」と伺っていたのだけど、いただいた見積書は、私達の想像をまるで超えていた。
「引越し」とは言っても、家具つきのマンションで暮らしていた私達、さすがに本は多いけれど、その他は身の回りの衣類やお土産品ばかり。嵩のある荷物でもない。ダンボールにしたら、少し大きめのもの(みかん箱くらい)で7、8個になろうか。
実際にいただいた見積もりは、余裕を持っても3立方メートル、とのことだった。
3立方メートルというのがどのくらいのものかイメージがわかないけれども、たしか数年前、大手引越し業者の国内単身者用の引越しパックが2立方メートルでだいたい2万円くらいだったような気がする。
だから、単純計算で10万は覚悟…と思っていたのだけれども。
出てきた見積もりは、船便でその3倍、航空便では5倍のお値段だった。
海外引越しというと、大体は企業の方が行うのだろうから費用は会社持ちで済むのかもしれない。
しかし、私達のようなタイプの滞在者には、おいそれと払える額ではないのである。
ここでも、海外での暮らし、というものがいかに大変であるか、またその中でも留学や企業の海外赴任のように整ったシステム外の滞在者にとって難問が多いかを、痛感せざるをえなかった。

引越し業者についで浮上してきた手段が、郵便局経由での宅急便、それから物流会社経由での宅急便。
結局引越し業者は見送って、Nさん・社員さん方のお力をお借りし、料金などを問い合わせていただいた結果、国際郵便局から宅急便を送ることにした。

引越し業者と宅急便の、料金に次ぐ違いは到着までの時間だ。
引越し業者が発送後航空便1週間、船便2週間ほど、というのに対し、郵便局経由の宅配便では、航空便1ヵ月、船便2~3ヶ月、といわれた。

それから、手間とリスク。
引越し業者は、梱包もしてくれるし(自分たちでやるから、と言っても、料金は割り引かれない)、自宅まで引き取りに来てくれる。
郵便局は、梱包は基本的にある程度済ませてから国際郵便局に直接持込し、担当者が荷物のひとつひとつを確認するのを待って封をするスタイル。

私達は結局、全て船便の形で荷物を送ることにした。
私の本は、大半を泣く泣く捨ててきた。
航空便にしたかったお土産などは、ちょっと大変だけれどもスーツケースにぎゅうぎゅう詰めにして、飛行機で持ってきた。
ふたつあるスーツケースの片方は、お土産だけで一杯になった。
もうひとつのスーツケースには、身の回りの衣類の一部と、四川先生がすぐに使いたい資料のみ。
それでも、お互い3つ~4つの荷物を抱え、体中に荷物を縛り付けているような出で立ちでの帰国となった。
だが言い換えれば、それだけで済んでしまうほどの荷物量だったということでもある。

そんなわけで、荷物が届くのは、年末くらいかな、と思っていた。
でも結局、3週間ほどで届いた。
案外やるじゃん、と思った。
終りよければ全てよし。
こうして住みなれた書斎でキーボードを叩いていると、まるで夢の中の出来事だったかのような、はるかな北京である。
瑣末なところからだんだんと記憶が薄らいでいく。
それで希釈された「印象の中の北京」は、なんだかとても、親しみ深くて味わい深い町のように思える。

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November 24, 2007

鬼、来たりぬ。

071123_195902昨日、お散歩がてら、近所の行政センター内で行われているバザーに出かけた。
お目当ては、はるの冬物衣類。
でも、始まってから一時間後に到着したせいか、もともと出店が少ないせいか、考えていたような品にはめぐりあえず、本人が気に入った玩具など手にして、視線を泳がせていたのである。

すると、ふと、簡易椅子に腰掛けたおじいちゃんと目があった。
ダンボールに新聞をしいて、その上に並べているのは、写真のようなもの。
そう、鬼おろしである。

「兵隊に行く前は、こういう手仕事が好きでね、趣味で作っているものだから」と、おじいちゃん。
なんとおじいちゃんの手作りだそうで、1000円という破格のお値段。
カンナをはじめ、鎌倉の正宗で購入した研ぎ出し2本など様々な刃物を駆使し、さびないように真鍮の釘を打って丁寧に仕上げてある。
以前どこかのデパートで見た鬼おろし、確か4500円という値段がついていて、とても買えないと断念したのだったから、「すごい!」と飛びついた私。
すると、今度はおじいちゃんが驚いた。
「知っているんですか?」
というのである。

鬼おろしでつくった大根おろしがおいしい、というのは、どこで仕入れた知識だったろう。
実家ではないことは確かで、たぶんどこか居酒屋さんででもめぐり合った知識ではないかと思われる。
鬼おろしで作った大根おろしは水っぽくなく、大根本来の甘さを感じてとてもおいしい。
ここ数年凝っている「昔ながらの暮らし」の本でも、ときどきお目にかかる、私にとっては「いつか欲しい憧れの台所道具」のひとつであったのだ。

ところが、私たちくらいの年代で、鬼おろしを知っている人というのは、案外少ないらしいのだ。
「何度かこうやって売ってますけれどね、あなた方のようなお若い人が知っているのは、本当に珍しい。」
栃木の人ですか?と聞かれたので、もしかすると、栃木ではポピュラーなのかもしれない。
食いしん坊なだけなのに、「たいしたもんだ」なんて誉められて、照れくさかった。
ふと、「たいしたもんだ」が口癖だったうちのおじいちゃんを思い出し、なつかしい気持ちにもなった。

さて、そんなお値打ち「鬼おろし」。
ほくほく帰宅する途中、スーパーでかきあげを購入。
四川先生は海老とネギのかきあげ、私は小柱と三つ葉のかきあげ、はるは「はる、えび!えびよ!」と言って売り場から離れなかったので、はるだけ海老天。
それぞれに、鬼おろしでつくったたっぷりの大根おろしをのせ、天つゆをかけていただいた。
それまでのおうち天丼とは、まるで違った味わい。
サクサク天ぷらが一段とさっぱりとして、大根の甘みが加わって、なんともたまらない。
北京での長い「野菜欠乏気味期間」を経たせいなのか、大根そのものの味がこんなにおいしいんだ、と感激すら覚える。

「鬼おろし、知らないなんて、今の若い人は勿体ないよね」とぽつり呟くと、「実は俺も知らなかったよ。知ってるっていうから驚いたよ、本当は10年くらい歳サバ読んでるでしょ?!」と、四川先生。
身近な人のそんな言葉に、食いしん坊はさらに目を丸くしたのだけど、こんなにおいしいものを、本当に勿体無い。
これでみぞれ鍋なんてしたら、おいしいだろうなぁと、料理に思いを馳せる時間がさらに楽しくなった。

歯がたくさんついていて、鬼の歯みたいだから鬼おろしなのか。
大きい=鬼の連想からの、鬼おろしなのか。
あるいは、おいしくて鬼も鬼をやめてしまうから、鬼おろしなのか。

そうそう、鬼おろし、私が惹かれていた理由は実はもうひとつ。
大根おろしを作ると3回に1回は手も一緒におろしてしまう私なのだけど、これだとその心配もないのである。
欲しい方いらしたら、センターに問い合わせれば譲っていただけそうなので、ぜひご一報を。
よろしかったら、ご試食に、うちに立ち寄られませんか?

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November 23, 2007

虹、隠れて見えず。

和の暦をぱらりと開いてみたら、今日は二十四節気では「小雪」、そして七十二候では「虹、隠れて見えず」と添えてあった。
「小雪」というのは、寒くなって雪もちらつく頃との意味合いだと思っていたのだけれど、実際の意味は、寒さもまだ厳しくなく雪も大ならず、だとのこと。
「虹、隠れて見えず」というのは、季節が冬に至る――つまり、陰陽では陽から陰へ至る――ことに伴い、空には虹が見えなくなるのだそう。
昔のひとたちは、季節の移り変わりを、そういう風に数えていたんだ、と思うと、いまよりもずっと、豊かな暮らしをしていたのだとつい思えてしまう。
現代は便利で快適だけれど、こういう先人の知恵というか感性は、引き継いでいきたい。

気持ちのいい青空が映える今日の鎌倉。
郷里は雪も降る季節になったという。
今年は夏も暑く、冬も例年より寒いよう。
仙台で冬の大半を過ごすことになるため、ちょっとひるんでいるのだけど…もっとも、妊婦の私はいつもよりも体温が高く暑がりなはずなので、あまり関係ないか…?

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November 22, 2007

変身願望、あるいは…

Sn390653はるのピーターパン好きが、いまだ続いている。
ブームは、北京暮らしがひと月を切ったくらいから始まった。
最初は「ちーぱーぱん」だったピーターパンも、近頃はちょっと原型に近い発音になってきた。
箪笥の掃除中に、昨年のハロウィン用に買った衣裳を見つけたので、はるに見せてみると、目がきらきらと光り輝いた。
「はる、ピーターパンになる?」
「はる、なる!!!」
そして、子ども部屋から、ピーターパンのフィギュアを持ってきて、自分と一緒に鏡に映して喜んでいる。

Sn390654そこまでなら、なんとなく「嬉しいんだろうな」と想像もついた。
でも私が驚いたのは、その次の展開だった。
今度は、帽子の中に何かをいれて、ゴソゴソやっている。
「ホタル!」と見せにきたのでのぞいてみたら、なんとティンカーベルを入れていた!
そう、ディズニー映画「ピーターパン」の序盤では、ピーターが帽子の中にティンクをいれるシーンがあるのだ!それを見たマイケル(末っ子)が、「ホタル!」と言う。

どうやらはるは、すっかりなりきっている様子。
今年はハロウィンに参加できなかったけど、来年こそは…。
でも幼稚園に通い始めると、ピーターパンよりも「何とかレンジャー」とかに興味が移ってしまうかな?

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November 21, 2007

詩と美術。

高橋睦郎、という詩人がいる。
強い関心を持って接してきたひとではないのだけれど、興味の対象のすぐそばに見える名前でもあり、印象が残っていたひとでもある。
コクトー展の図録に見た名前であったり、蜷川幸雄のギリシア古典の脚本であったり、そんなところで見かけた文字の連なりであった。

『詩人の食卓』という、高橋睦郎の本を、AMAZONの「カート」に放り込んだのは、いつのことか覚えていない。
たしか、なにか料理のことを調べていて、絶版書『コクトーの食卓』を調べる時に、ついでにひっかかってきた一冊ででもあったろうと思う。
はっきりとはわからないが、数年前のことだろうと思う。
その時は購入せずに、「今は買わない」のリストに加えたまま放置していた一冊だった(ちなみに、私は常時そんな本が60冊以上、ある)。

久しぶりにAMAZONにアクセスし、カートの中身を何気なく見ていたら、妙にこころ惹かれた。
ああ、きっと今、読むべき本なのだろうと思って、注文をした。
手元に届いた本を開いて、あっと驚いた。
挿絵・装本を担当したのは金子國義。
文字を連ねるひとと、それを形にするひととの漠然とした印象が、重なり合った。
これ以上の取り合わせはない、と思えた。

これは詩人が経験した暮らしのエッセイだ。
はじめに献立が掲載されているが、その料理について語られるわけではない。
料理は詩のように、そこに添えられているのだ。
詩人が語る暮らしは、その一言ひとことが、小気味いい。
そこはさすが詩人の生み出す言葉なので、ひとつひとつの話の奥深くに、なにかひどく深いもの――歴史だとか英知だとかそういったものの集積であり、永遠に解けない謎のようなもの、喩えるなら「いのち」そのもののような、実感はあるけれども考えても考えの尽きないもの――が横たわっているように思えた。

まだ読み始めたばかりだが、詩人は今、逗子の暮らしを語っている。
よく見知った地名が見られると、ちょっと嬉しくもなる。
海近くに生活する印象や、市場のことなどが語られている。
一言ひとことが、それ以外に有り得ないだろう、と思えるほど的確な表現で、それはまるで彫刻家が木や石の中に「あらかじめ形がある」と感じて手を勧めるのに似ている、と思う。

本のそれぞれのページは、便箋のような、原稿用紙のような、古い和綴本のようでもある罫線で囲まれている。ぴしりと整った罫線の中に踊る文字は、よく見かける教科書体であるのに、ついつい活版印刷の古い文字面のように錯覚しはじめる。
すると途端に、詩人の語る暮らしが、目の前に時間のヴェールを従えて現れてくるような気になってしまう。
頭の中に投影される海の水面の輝きにも、どこかフィルムに映されたようなよそよそしさがたち現れてくる。
表紙はもちろん、本の見開きなどに、自由闊達に踊る金子國義の筆のラインがそこに重なり、ノスタルジックなようでいてモダンな思いに寄り添っていく。

各回の書き出し(献立)は例えばこうだ。
「十一月 水

十一月の小夜食
湯豆腐  逗子相模屋本苦汁絹豆腐 松前昆布
      ヴォルヴィック水 青織部行平鍋
薬味   紅葉おろし みじん分葱
      青九谷そばちょこ
燗酒   金沢銘酒福正宗
      ロイヤル・ドルトン筒茶碗」
そしてエッセイは、水買いの話から浄水塔、砂漠や泉の話にひろがっていき、ミニチュア浄水塔である家庭用浄水器や、ミネラルウォーター、水の味覚に収束する。
一枚の画をじっと眺めているような気になる。

詩人と美術家というのは、実は良く似た存在かもしれない。
手段が言葉であるか美術であるかの違いだけで、彼らが格闘している対象自体は同じで、呼び名が便宜上違っているだけのように思える。
そんなことを、ぼんやりと思いながら、研ぎ澄まされた言葉に触れるのは、初冬の夜長には、至上の愉しみなのである。

『詩人の食卓』
文 高橋睦郎
絵 金子國義
(平凡社1990年)

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November 20, 2007

ゆっくりと、幼稚園児にむけて。

Sn390656昨日、幼稚園の面接に――というか、心構えとしてはほとんどお話を伺いに――出かけてきた。
近所にある3園の中で、漠然と心ひかれた幼稚園。
そこはお寺の敷地内に付属している園で、お寺の敷地である山一体が幼稚園児の活動範囲となる「自然児育成所」のようなところだ。
元禄時代の門を通り抜けて、元禄の民家を真正面に見据える幼稚園の基本方針は、「のびのび」。
園舎の裏手がさつまいも畑で、その後ろを流れる浅い川では、夏にザリガニがとれるという。
二階、年中さんの教室からは、ひろびろと連なる山の、鮮やかな竹林が見える。
この季節、ところどころにぽっちりと、紅葉が顔をのぞかせていた。
昔ながらの木守が残った柿の木も(昔は、木守といって、翌年の収穫を祈って木の神様のためにひとつ実を残して収穫したらしい)。

一説には「喧嘩をさせる幼稚園」とも言われるそうで、昔ながらの人の暮らしのことわりを、子どものうちから学べる環境にある。
お話を伺っているうちに、私が毎日通いたくなってしまったほどである。

「幼稚園に通えるのか?!」という心配も、園の先生や、市の療育グループの先生方のご指導で、とてもいい形になりそうだ。
今一番問題視しているのが、北京でさらに増長したはるの「俺様度」なのだけど、出産で帰省するとまたそれが悪化する恐れがある。その状態で4月から幼稚園――というのは、はるがどれだけどんなふうに育つのかもわからぬ中で、なかなかに難しい課題なのでもあった。
しかしそこは、専門家の方のご提案は的確である。
1学期中は、現在のグループを引き継いで慣らし、幼稚園には2学期から…という形に、落ち着くことになった。
正直、幼稚園をはじめ学校体制というのは「融通がきかないもの」と思い込んでいたし、そんなフレキシブルな対応をしていただけることにも驚いた。

Sn390655そんなわけで、ちょっとゆっくり目ではあるけれど、はるも来年から幼稚園児になれそうだ。
お兄さんお姉さん方に遊んでいただいて、少しだけ垣間見た幼稚園タイムは、はるにとても大きな「憧れの場所」として記憶されたらしい。
「もっと遊ぶ!!」と大泣きして帰ってきたし、家についてからもずっと、「ようちえん、ようちえん」と言っている。
幼稚園よりも動物園に入りたいと言っていたところからは、一歩、オトナになったかな(笑)?

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November 19, 2007

いのちのこと。

近頃、いのちというものについて、考えることがある。
哲学的考察だとか、宗教的な思索のような難しいことではなくて、ただ、うすぼんやりと考えている。
コーヒーを飲みながらふと、とか、お鍋にかけた野菜が煮えるまでの間にふと、とか、そういうとぎれとぎれの思考の中に、そのテーマはよく登場する。

どちらかというと、いろいろなことに「物語性」を読みたがる癖があるためか、生来の妄想癖のせいか、そのとぎれとぎれ思考はあちこち素っ頓狂な方向にも飛んでいく。
「運の強弱」という曖昧な表現に妙に納得させられることがあるように、もしかしたら人の生命には、肉体の強度以前に強さの度合いがあるのだろうか、とか。

考えるようになったきっかけは、自分のお腹にいる子どもと、ふたりのおばあちゃんのこと。
このブログをご覧くださっている皆さんがご存知のように、胎児にはいろいろな「暮らしにくい」状況であったはずなのだけど、今のところちゃんとおなかにはりついていてくれている子ども。
四川先生のおばあさまは、来年で100歳を迎えられる。
昨年から施設でお暮らしになっているけれども、とてもお元気でいらっしゃる。
私の祖母は、北京から帰ってくる直前に死の淵に立ったのだけれども奇跡の生還を遂げて、ピンシャンしはじめた。一時は延命装置のお世話にもなり、誰もが口にこそ出さないけれど、ひとつの結論を頭に思い描いていた。その状態からの回復は難しいだろうと思っていたのに、みるみる回復し、年齢的に厳しいだろうという手術もこなし、今は普通の食事をしてリハビリをしている。意識もはっきりしている。

哲学でも宗教でも医学でもないけれども、こうなってくると、なにか現代の科学ではとききれない「謎」のようなものが、身近にあるように思われてくる。
その最たるものが、いのち。
ある時突然に、場合によっては不条理に、ぶつりともぎとられてしまうことさえある「いのち」。

人はどこから来て、どこへ行くのか。
肺活量みたいに、強さに差があるものなのか。
宗教で言うように「徳」を積むことでそれが変わるのか。

答えもなかなか出ないから、考えっぱなしで、深めることもない。
あ、野菜が煮えた、と思ったら、そこでストップしてしまう。
つきつめて考えていたら、それこそ命がいくつあっても足らないかもしれない。

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November 18, 2007

罪悪感の消えた日。

ここのところ、いろいろなことに押しつぶされているような気がする。
自分で自分の時間を生きていない、そう感じることがとても多いのだ。
もっとも、果たして「自分で自分の時間を生きて」いると実感したことがあるのか、と問われると、それも非常に心もとなく、いかに自分が主体性なく、日々の暮らしにさらわれ漂流しているのかに改めて気づいて、愕然としたりする。

年を経たせいか、少し考え方が変わってきた。
さらわれて出来上がる人生なら、それもまた一興。
きっとどこかに、自分らしさの片鱗というものが、見え隠れするのではないかとも思う。
ふとうしろを振り返った時にこそ、その自分らしさのようなものが、見えるのではないかと思う。

忙しい時に限って、読みたい本にであったり、無性にやりたいことができたりしてしまうのは、人の常かもしれない。
選択肢はもちろん、それをどこまで実現できるかも、その人自身によって違うだろうけれど、全部ができるから偉いものでもないし、ひとつもできないからと自分を責めるものでもないように思える。

どこまで何をするか。
その線引きができることこそすごいことなのだ、と私は、強く思う。

例えば今私は、子育て中で忙しい(はず)。
だけどこれが終ったら、きっとまた別の「忙しい理由」が生まれる。
いくつになっても、いつもいつも「忙しい」と言っていそうな気がする。
ついつい、いろいろなことを後回しにしがちだけれど、後回しにした結果、結局できなかったということが、個人的経験では多い(つい先日まで呻っていた北京観光しかり)。
でも、それはそれでよいと思うことにした。

なんだか、そうやって積み上げられた毎日というものが、案外「しあわせ」という形なのかもしれない、と思うようになった。
言い訳しなくてもいいし、罪悪感を感じなくてもいい。
自分自身の許容量を広げることにばかり、関心が向いていたけれども、広げる必要なんかなく、ただその許容量を知りさえできれば、生活というのは、忙しいようでいて案外うまくまわっていくもののようだ。

…などと、考えていること自体が、近々に「やらねばならない」家中の大々々掃除の、言い訳かもしれないけれど(笑)。

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November 17, 2007

けやきの思い。

先日、仙台に日帰りしてきた。
はつ雪降る前日だったという仙台、その日はほがらかに晴れあがり、とても気持ちのいい日だった。

仙台――というと、一度でも訪れた人なら、けやきの並木道がきっと印象的であろうと思う。
私自身は故郷が好きな方ではないのだけど、けやき並木だけは別。
高校生の頃ヴァイオリン片手にレッスンに通う傍ら、けやき並木を見やり、仙台を離れる時がきたら、さぞかし寂しいだろうなぁ…と考えたことは、今でも鮮明な記憶として残っている。
いくつかあるけやき並木、当時は、行きつけの喫茶店もいずれかのけやき並木の並び道であったり、けやきが見える場所だった。
そういえば、その後好んで出かける場所も全部、けやきのそばのように思う。
もちろん、冬場の豆電球によるライトアップも、物心ついたときからの楽しみで、デートスポットでもあるその場所だが、天邪鬼らしく一人で物思いにふけりながら見上げるのが大好きだった。
いまだに、友人達との待ち合わせには、並木道界隈をつい指定してしまう。
そんな、特別な思い入れのある場所なのだ。

ところでそのけやきの一部が、切られてしまうのだという。
地下鉄建設に伴い、44本が移植・伐採という運命を辿る。
そのけやきの記憶を、アートの形で残そうというプロジェクトに、お誘いをいただいた。
44人のアーティストが、それぞれ1本の樹を担当し、その樹から感じたことをアートにする。
けやきの伐採反対運動でも、政治的な意図を持ったものでもない。
ただ作品として、その記憶を残す目的のもの。

アートという手段――つまり人の想像力が生み出す形となって、新しいいのちを与えられる、けやき並木。
作品はWeb上で公開されるそうだ。
私も、私なりのけやきを、形にさせていただく予定。
だけれどそれ以上に、アーティストたちの自由な脳をとおりぬけた「新しいけやき並木」に、興味がわいている。
けやきに別れを告げるのは寂しいことでもあるけれど、アートという生命を得たけやきは、また永いいのちをいきるに違いない。

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November 16, 2007

おそろしや。

ちゃんとした和ダンスのない我が家。
「いつか桐の箪笥を…」なんて夢みたいなことを言っている間にどんどん時は過ぎ、しかも留守にしたため着物には最悪の環境となっていたこの5ヶ月間。
ようやく片付けの手が着物類にまわり、収納を開けてみると…なんとなんとなんと、一番の「宝物」着物が、大変なことに!
母から譲り受けた、とっておきの訪問着。
それははじめて見た時からうっとりと見入ってしまうほど美しく、着る機会こそないものの憧れの一枚でありました。
クリーム色地にあっさりと、しかし丁寧に描かれた梅と紅葉の柄。そこにアクセントのように、江戸紫色の光琳菊が咲く、優雅でしっとりと美しい、大好きな着物。
そこに、ポツポツと黄色い斑点や、もやっとした黄変のシミが浮き出ていたのです。

正直なところ、これがいつ出たものかも、よくわかりません。
もしかしたら母からもらってきた時には既に、ちょっとダメージの気配はあったのかもしれません。
だけど、ここまでひどい状態ではなかったはずなのです。

頭の中が真っ白になってしまいました。
もともとこれは、祖母が母に作ってくれた着物だと聞きました。
母方の祖母は、大きな染屋さんのお嬢さんだったひと。
贅沢をする人ではありませんでしたが、日常の着物は全て大島紬だったという着物好きであり、日本画を趣味にしていた祖母が、母の嫁入りに当たって誂えたという、思い入れのある着物なのです。
祖父は母の誕生直前に他界しており、祖母は、母にとって唯一親と呼べる存在でした。
時間の経過を言い訳にしても、これは明らかに、私の管理が悪かったせい。
憧れの一枚ということを抜きにしても、なんだか、祖母の母への思い自体を自分が踏みにじってしまったようで、ひどく心が痛みました。

諦めるにも諦めきれず、着物屋さんでそんなお話をしていたら…
たまたま同じお店にいたお客さんで、お着物に詳しい方が、「黄変にも段階があるものよ。早めに悉皆屋さんに相談してご覧なさい」と教えてくださいました。
「ちょっとでも薄くなれば、大丈夫!昔の人は、毎日毎日着物着ていたんだから、ちょっとの痛みなんて気にしなくて平気よ」とも言い添えていただき、希望が見えてきた気配。
というわけで、本日早速、Webで見つけたとあるお手入れ専門店に、訪問着を託すところです。
時を同じくして、着物のための桐箪笥も(本当に桐なのか疑わしいくらい安い奴だけど)、届く予定。
着物雑誌の「収納」特集で、こんなおそろしいことが二度と起きないように、勉強中です。
ホント、着るのが好きなだけじゃいけないないと思い出した、着物生活3年目を迎えた晩秋なのでした。

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November 15, 2007

留守中の事件。

071114_134601家の中だけではなく、家の外でも、私達がいない間に、いろんなことが起こっていたようだ。
以前ときどき宿舎内でみかけていたうさぎが、増殖していた!
昼のぽかぽか陽気に誘われてか、ちょうど我が家の前で食事をしている姿に、ほぼ毎日出くわしている。
かわいいのはいいんだけれど、やはり小さい子どもが遊ぶ公園の砂場などでは、トイレ化被害などもあるらしく、「うさぎにエサをやらないでください!」という回覧板がひっきりなしに回ってくる。

とはいえやっぱり、秋のやわらかい日の中でもこもこのっそり動く野(良)うさぎは、見ていて和む。

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November 14, 2007

幼稚園旋風。

近年、うちの近所の幼稚園では、ほとんど戦争といってもいいほどの応募激化が噂されていた。
朝5時から願書受け取りの列に並ぶのはもはや常識で、一番乗りはたいてい前夜から。
そしてその長蛇の列が少しずつ進み出す7時~7時半には、もう願書がなくなっていて、受け取れなかった親達は他の園にダッシュして、また列をつくるのだという。

例年そんな話を聞いていたので、願書配布の当日(11月1日)に鎌倉にいない私達は、幼稚園は入れないもの、とハナから諦めていた。
だったら、ゆっくり一年過ごして、2年保育にしよう――と、そう決めていたはずなのだけど。

毎週1回通っていた療育グループに早速顔を出したところ、幼稚園に入らないにしても、はるはもっと親から離れて子供たちの間での社会性を身につけたほうがいい、と勧められ、幼稚園と同じようにお弁当を持って、母子分離形態での保育を行う施設に通ったらどうかと提案された。
4月というのは出産後すぐのことでもあるし、正直、来年の今頃になったらゆっくり幼稚園準備――なんて暢気に構えていた私には晴天の霹靂。
頭を悩ませていたところに、公園で会ったママトモさんから「今年は割と幼稚園あちこち定員割れのところ、あるみたいよ?」との情報が!

どうせ4月からどこかに通ったり送り迎えやお弁当作りをするのなら、近所にあって歩いていける方が便利なはず。
そんな親の勝手な都合で、急遽幼稚園へ電話して状況を聞いてみたり、療育グループの先生に相談してみたり、慌しく「幼稚園旋風」が始まった。
トイレ事情があまりよくなかった中国では、うまくいっていたところを中断せざるを得なかったトイレトレーニングを再開したり、「並ばない」「横入り」「自分が一番」という独自ルールの一人っ子政策・中国の文化的影響を払拭するべくガミガミ注意したり、野菜嫌いを克服させるべく食事をさせたり…
急に「がんばって幼稚園入ろうよ!」が口癖になった私に、はるは反発を覚えているらしく、口答えするようになった。
その台詞がふるっていて、「ようちえん、いや!はるちゃんは、どうぶつえん!!」。
「あー…たしかに動物かもね。」と、四川先生と二人で思わず苦笑してしまった(笑)。
どうやら、仙台でおじいちゃんおばあちゃんが連れて行ってくれた動物園が、よほど印象的だったらしい。
得体のしれない「ようちえん」よりも、楽しい「どうぶつえん」に毎日行きたい、というのは、当然といえば当然かも…?

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November 13, 2007

お出迎え。

071113_140001山のように積まれた郵便物の中から、サプライズが出てきた。
差出元は、昨年から加入している、歌舞伎役者の後援会。
文春新書から、菊五郎についての本『菊五郎の色気』が出版されたことを記念して、本が届いていたのだ!
嬉しくて嬉しくて、早速読みふけりたいのをじっと我慢。
じりじりしながら郵便物の区分を終え、ちょっとだけのぞいてみる。
すると、うっかり外れてしまったカバーの影に、なんと菊五郎直筆のサインが!
同封の書状を開いてみると、「菊五郎が皆様のために心を込めて署名いたしました」との一文を発見。
しかも一緒に、菊之助が主演した映画「怪談」の招待券までついていた。
こちらはさすがに上映が終ってしまっているので使えないけれども、ああ、日本に帰ってきて良かったなぁとしみじみしたのでした。

5月の菊之助のお富を観てから発ち、帰ってきた11月にも菊之助の女形が観られる(しかも演目の中には尾上家の家の芸といわれる「土蜘蛛」が!!)。
菊之助の女形が一番に好きな私にとっては、ああ、日本に帰ってきて良かった~、とつくづく思える瞬間です。
ルーツとなる中国の文化を体感してきた後では、その後独自の美意識に支えられた日本ならではの美しさに触れられる機会が、嬉しいばかり。
初・桟敷で楽しむ予定の観劇日まで、この本で楽しませていただいておりましょう。

サプライズの嬉しいお出迎えなのでした。

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November 11, 2007

無事帰着。

お蔭様で無事に鎌倉に帰ってまいりました!
久しぶりの我が家、懐かしい!嬉しい!の前に、マスクが必需品(笑)。

家の中は、近所の方がご厚意で定期的に風をいれてくださり、お掃除までしてくださっていたのですが、5ヶ月間の歳月を埃・塵・黴としてしっかり溜め込んだ築50年コンクリ建築、何をするにも掃除の日々です。
おっきなお腹を抱えては、何事にもフウフウヒイヒイ。
ひとつやったらすぐ休み、次にとりかかってはまた休み、と悠長なもので、なかなかざっと快適にはなりません。
見かねた四川先生が、ジャージ姿で家中のお片づけをしてくれましたが、はるが遊ぶ玩具ひとつとっても、洗濯しなくちゃ病気になりそうな有様。

ハウスクリーニングサービスが便利よ!と義母に教わり、早速見積もりをとることにしました。
ところが、見積りの下見に来てくれた会社さんには「古いコンクリの建物の1階ですからね、一番おすすめは引越しで2階以上を狙うことかな?」なんていわれてしまうことに(笑)。

はるは久しぶりの自分の玩具や絵本がよほど嬉しいらしく、子供部屋いっぱいを散らかして遊んでいます。
また、散らかし/片付けのイタチゴッコのはじまりを予感させます。
こうなると、もののない北京の暮らしが少々恋しいかも?

日常生活がまっとうにできるまでには、まだまだ時間と労力が必要ですが、やっぱり我が家は落ち着きます。
さて、心地よい我が家のために、今日も気合を入れて、お掃除するとしますか。

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November 02, 2007

世界遺産に・2。

Sn390604四川先生の両親と、万里の長城を訪れた。
ケーブルカーで上ったのだけど、ただでさえ風が冷たくなってきた北京。
山の上にある長城は、とても寒かった。
風がとても強くて、ぐらぐら振り子状に揺れるケーブルカーも恐ろしく(笑)、ケーブルで上った先では、手がかじかんで温度を失っていた。

歴代の皇帝が2500年かけて完成させたという長城。
車がケーブルカー乗り場に近づくにつれて、山の丘陵のいたるところに、長城を見ることができる。
よくもまぁ、こんなものを作ったなぁ、とつくづく驚かされる。
北京に来た当時は、大陸のスケールの大きさに驚いたけれど、その締めくくりがこれ、といった感じだ。
中国って、すごい。

そして今日で私とはるの北京暮らしもおしまい。
この記事が皆さんの目に触れる頃には、既に飛行機に乗っている予定です。
初夏の光まぶしい空は、いつの間にか秋の空気透き通る空に変わっていました。
五ヶ月間は、本当に短い間の出来事のようにも思われます。
名残惜しい、北京。
堪能した、というには余りにも出不精ではありましたが、それなりに、ゆるゆると楽しい暮らしをさせてもらったように思います。
もちろんご時勢柄、心配なことも多々あったけれど、今となってはそれも良い思い出。

いつかまた、四川先生や、大きく成長したはると一緒に、それから今はおなかにいる子も一緒に、北京を訪れられたらいいなぁ。
(でもその前に、自分だけで遊びに来てしまうかも!)
楽しい北京、心残りは次の機会に見送って、四川先生の両親と一緒にまずは生まれ故郷へ。それから四川先生と一緒に、鎌倉に帰着します。
というわけで、このブログは、また1週間ほどお休みします。

それでは皆さま、来週末まで、再見!

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November 01, 2007

世界遺産に・1。

Sn390581皇帝が春分・秋分に豊作祈願を行ったという天壇の記念殿、ここをぜひ訪れてみたかった。
ここ数年「いのり」というものに興味がある。
いのること、つまり宗教それ自体というよりも、いのりという行為をとりまく周辺環境に、なにか心惹かれる。まだ、一体何に惹かれるのか、うまく言えないのだけれど。

よくわからないけれど気持ちのいい場所、というのが存在する。
なぜ気持ちがいいのかわからないけれど、気持ちがいい。
その「なぜ」にあたる部分と、いのりを行う場所で感じる奇妙なすっきり感には、共通点があるのだと思える。
そこに、とても興味をそそられる。
その「すっきり感」「なぜ」の、答えが。

科学以前の世界ではよりそれを身近に感じられただろうと思う。
だとしたら、国の主が、わざわざいのりを捧げるために作った場所というものには、ただの史跡という以上に、意味があるのではないかと思われた。
世界遺産に登録されているという建物自体には、実はあまり興味がなかった。
この場所それ自体の意味が、知りたかった。

もちろん、一度訪れたからといって、わかるものではなかった。
儀礼に使われた器類や、歴史の展示も、中国語がわからないし、英語をゆっくり読む気力もなく、内容はわからずじまい。
それでも、やはり感じるところがあるというか、すぅっと胸が晴れるような思いがした。
勉強してから来ないとわからないな、と思うこともあったけれど、やっぱり「すっきり」した。
「いのり」というところに潜む何かを、もっと探ってみたいと思った。

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