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October 24, 2007

北京観光、ここからスタート。

私とはるの北京生活も、残すところ一週間。
もろもろの食い倒れ以外では、お出かけした観光地はわずか1箇所・琉璃廠のみ。

来週は、はると私の帰国に合わせて四川先生のご両親がみえるので、一緒に北京観光をして、大陸に別れを告げることになります。
それに先立って、行きたいところはもちろん山のように…
両親が興味を持たないような、私好みのマニアックな場所にはいけないと嘆いているのを見かねた四川先生が、病院からの帰り道の半日、両親を空港に迎えに行く際の半日、そしてさらに1日、時間をとってくれることになりました。
それぞれの予定には、四川先生セレクトの「行ってみたい料理店」が昼または夜の食事に組み込まれ、双方利する(?)手はず。
私は北京のガイドブックを、四川先生はグルメガイドを、それぞれめくりなおし、リストしなおし、大忙しです。

北京に来てからというもの、日々の食材を買物する場所や、生活用品をそろえる場所についての情報は積極的に得てきたように思うけれど、「観光」視点で見直してみると、楽しげな、街の別の表情が顔をのぞかせて、とても新鮮。
例えば住み慣れた場所を、別な視点から見てみると面白いのに似て、今更ながらに中国の「異国情緒」溢れるところに興味を惹かれます。
それはまるで、よく知っている名画の、裏に流れる歴史や文化の一端を知った時に流れる感動に似ています。
そしてもちろん、よく知っている場所の、歴史の積み重ねの中に生まれた一瞬の輝きを見つけた時の感動にも。

こうやって改めて見てみると、そう出歩いていたわけでもないのに、やっぱりここは自分達にとって「生活する場」だったと思われました。
愛着とともに感じるその感覚こそが、私の宝ものです。
仙台、山形、東京、川崎、鎌倉、サンフランシスコ、パリ、そして北京。
私がかつて過ごしたどの街でも感じたこと――特に二十歳の記念になったパリで、強く。――それは「どんな場所も、人が生活をする場所である」ということ。
その場所に生きる人たちが、喜怒哀楽し、食べ、愛し、楽しみ、うつろう生を人それぞれのかけがえのない物語として綴っていく場所。
言葉で表現するのは難しいですが、その同じ感覚を体感できることこそが、素晴らしい何かをもたらしてくれるように思えるのです。

私にとって、旅することは、いつもどこか歯がゆさを残します。
それは、その地の表面を知る時間しか、得られないから。
もっと、土地の奥――歴史や、文化や、ふとした人々の仕草、あるいは表現など――から漂ってくる、得体の知れない大きな空気のようなものに、包み込まれたいと思ってしまうからです。
たぶん、欲張りだから、なのでしょうが。

今回の滞在のしめくくりに北京のあちこちを廻ると、この街を今よりももっと好きになるような気がします。
決して「楽しい」ばかりではなかった滞在でしたが(笑)、それさえも、愛おしいような、センチメンタルな気分。
夏休みの終わり数日に感じる、朦朧とした寂寥感。
私にとっての「人生の夏休み」、これからの未来に、どうつながっていくのでしょうか。

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