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May 28, 2007

星月夜。

070520_191301つい先日、「鎌倉」にかかる枕詞を知った。
星月夜、というのだそうだ。
私はこの言葉にすっかり魅了されて、ますます鎌倉が大好きになった。

おそらくこれが鎌倉にかかる言葉になったのは、昼間でものぞきこむと星が見えたという「星月夜の井」があったせい、と言われている。
星月夜の井は、鎌倉の江ノ電長谷駅から歩いていけるところにある。
ある時、近所の人が誤って包丁を落としたので、それ以来星の影が見えなくなってしまったのだそうだ。
ちなみに、徳川家康が慶長5年6月に京都からの帰り道、この井戸を見物してから江戸に戻ったという記録が、『新編相模国風土記稿』の記録に残っているそうである。
慶長5年は、西暦1600年。
そう、関が原の合戦のあった年だ。
この3年後に家康が征夷大将軍となり、江戸幕府ができた。
(星月夜の井に限らず、のぞきこむと星が見えるほど深い井戸、というのは、割とあちこちにあったようである。江戸の町民のお話にも、そんな井戸が出てくる。)

枕詞、というのは、視覚的なイメージを喚起する素敵な言葉である、と歴史の先生が仰っていた。
つまり、私のはすべて先生の受け売りなのだが、いままでさして興味が持てなかった枕詞に、がぜん親しみが湧いてきてしまった。
先生は(わりと大胆発言をなさるためか?)「日本語が生んだ最大の発明である」とまで仰った。
たしかに、そうかもしれない。
以下、先生の講義で例にとられた「あしひきの山鳥の尾のしだりをの」という歌のイメージ。
「あしひきの」は、山にかかる枕詞である。
山は裾野が長く、足をひいているようである。
山鳥というのは、雉のこと。
雉の尾は長い。
イメージ的に、「あしひきの」という言葉が、山の裾野を連想させ、それが雉の長い尾と視覚的に重なっていく。

非常に、絵画的な言葉なのである。

立ち戻って、鎌倉をおもう時。
割と多くの人が、山の懐に抱かれ、時間が止まったような、緑の多い風景を思い浮かべるのではないだろうか。
山と山に囲まれた鎌倉特有の地形・谷戸には、朝は遅く、夜は早く訪れる。
それに古のことを思うとき、どういうわけか心は、太陽照りつける昼よりも、しっとり妖しげな夜の方に心を寄せてしまう。古の香りが闇に紛れて、漂ってきそうな気配すらする。
戦を繰り返した鎌倉の地には、闇がしっくりと似合う。
そんなイメージを一瞬にして、「星月夜」という言葉は与えてくれる。
鎌倉そのものの雰囲気を一語で言い当てているのだ。

さて――「星月夜」ときいて、「ゴッホ!」と答えたあなたは、美術中毒間違いなし。
10月28日の予定をあけておきましょう。
よく見かけるゴッホの作品のひとつ、「星月夜」。
きらめく星々と、ひときわ明るく輝く月、夜空をうねり渦巻く雲。
渦巻く雲に感じる不安や、明るい月に込められているだろう、祈りのような、ピュアな気持ちを感じるのは、この作品が精神病院で療養していた頃に描かれたものだからかもしれない。現物はNYのMOMAで見られる。
そうそう、MOMAとゴッホはとても関係が深い。
存命中は不遇で死後にようやく評価されたゴッホのような画家がなくなるようにと、同時代の芸術家を世に紹介するために設立されたのがMOMAなのだ。

ゴッホの絵画の中にある闇も、鎌倉に漂う闇も、私はどちらも、好きである。

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