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May 22, 2007

ハムレットの悩み。

中学生の頃、シェイクスピアに心酔して、中でも『ハムレット』がお気に入りだった。
To be or not to be.
かつて現実の中でその問いに遭遇したときに、言葉の重みを実感して、涙が出た。

ここ二週間ほど、とても大事なある存在が、まさにその問いに直面して、苦しんでいる。

社会は豊かになり、暮らしも便利になって、夜でも光がある世界になった。
ほんの100年余りで、暮らし向きががらりと変わったのだ。
しかし、もしかすると人間というのは、そんな急速な変化についていけないものなのかもしれない。
とくに、心は。
医療の進歩によって、昔なら助からなかった病も、命を永らえられるようになった。
科学の進歩によって、さまざまな不可解な出来事に、理由がみつけられていった。
だが、もしかすると人は、ある一定量存在することがあらかじめ決められていて、さまざまな進歩によって救われた命の分、どこか別のところで失われていく命が増えたのではないか、そう思えることすらある。
次々と発生する新型のウイルス、心を蝕んで死に至らしめる病。
そういうものが人智を超えたものの意思によって、「一定量」の法則を守るために生まれたのではないか。
荒唐無稽な話ではあるが、そう思わずにいられない。
(ちなみにこの話は私のオリジナルではない。SF・心理学に詳しい友人と話していた時に、似たような話を耳にした記憶がある)

ひとがひとつ謎を解明すると、別なところで新たな謎が生まれる。

だが、いまだ解明されようもない謎も、残っている。
果たしてひとは、死をくぐりぬけたらどこに行くのだろう。
それを解明するには、さらに気の遠くなるような時間と、さまざまな賢人たちの努力が必要になる。
仮に「終焉」のつもりで死を自ら選び取ったとしても、それは本当に「終わり」なのかどうか、誰にも分からない。

『ハムレット』では、登場人物が、道化一人を残してみな死んでいく。
道化は生き残って語り継ぐことを命じられる。
どちらが辛いのか、私にはわからない。
感情の高まりの頂点で生を止めてしまうことと、感情の浮き沈みを時間を経ながら純化させていくことと。
だがしかし、ハムレットも道化も、それぞれの存在の意義を全うしているには違いない。
ハムレットは復讐劇を行うものとして、道化は語り継ぐものとして。
人が生を与えられた意義というのがあるのだとしたら、彼らは彼らの意義を実践しているのだ。

To be or not to be.
さまざまな文脈の中で、答えも変わっていくだろう。
生きるということは、いかに難しいことか、改めて考えさせられる。

悩んでいる本人に対して、私はいったい何ができるのか。
かつて私が同じ問いに直面した時に、力を与えてくれたり、心を癒してくれたものをすすめるくらいしか、できない。
結局のところ、本人が時間をかけて答えを見つけていくしかない問題でもある。
見守ることしかできない、というのは、自分の無力さを痛感させられ、もどかしいものだ。
とはいえ、やはり周りが手綱を引くのは間違っている。
どんなに苦しくとも、自分で自分の道を選び取らなければ、決して本来的な意味での生には、たどり着けない。
生の、意義を感じ取り、実現するためには。
本人が、ゆっくりと自分本来の生を取り戻すことを、祈ってやまない。

このブログをご覧の方で、心が病になったとき、
「こんなものがとても良かったよ」というものがある方はぜひ、お教えください。
よろしくお願いします。

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