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May 2007

May 31, 2007

ヘイフラワーとキルトシュー。

聞くからにかわいらしいこのタイトルは、スウェーデン発のかわいい!!映画のもの。
ヘイフラワー、キルトシューという名を持つ姉妹のお話です。

インテリア、姉妹はもちろんママや個性的なお隣さんたちの洋服も、髪型も、とにかく「かわいい!!」。
とってもガーリーでロマンチックで、もし私が小学生、中学生、高校生の頃にこの映画を観ていたら、間違いなく部屋をこんな風にペイントしたり飾り立てたりしただろう…と確信できるほど。

やさしくてしっかりもののヘイフラワーに家事を任せているママがキュートで、ちょっと羨ましくもありました。
ああ、こんなにしっかりした娘がいたら…楽ができるなぁ、いいなぁ、なんて(笑)。

芋のことしか頭にない研究者のパパも、家事が苦手なママも、わがままな妹キルトシューも、みんな好き勝手ばかりだけど憎めない。家庭崩壊寸前の家族をとめたものは…とにかく、カラフルな、想像だにしなかったもの!

乙女も、かつて乙女だったひとも、きっと好きになれる映画のはず。
特に『ロッタちゃん』好きには、自信をもってお勧めします。

次の休日に、ガーリーな世界は、いかがですか?

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May 30, 2007

なっとく、の。

070516_153001_1このお花の名前、ライスフラワーというんですって。
なっとく、です。
大きさも、ちょうど米粒くらい。
言いえて妙です。

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May 29, 2007

暴君、睡眠をゆるさじ。

070520_214701はるが最近、寝せてくれない。
私が疲れて先に寝ていると、まぶたを持ち上げたり、目の中に指をいれようとして(!)起こされる。
一度二度ならまだしも、暴君はくどい性分らしく、四度五度起こされる。
そうして起こされた私は、目が冴えて眠れなくなってしまうのだが、なかなか私が起きないと、はるは私の携帯をいじっているらしい。

ある日そうして起こされて、時間をみようと携帯をあけて、驚いた。
待ちうけ画面が、はるのどアップだったのだ。
普段は春信の美人浮世絵を待ちうけにしているので、そのつもりで開いた時にこのどアップがあると、とても驚く。
どうやら私が起きない間、ずっと携帯で遊んでいたらしい。
30枚以上もの、なにをとったのかわからないデータが並んでいた。
本人は「えへへ」と照れ笑い。

私を起こすのは、はるにも骨のおれる仕事なのか、私が起きると自分は寝てしまう。
一緒に寝ればいいのに、と理不尽な思いばかりする、このごろなのである。

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May 28, 2007

星月夜。

070520_191301つい先日、「鎌倉」にかかる枕詞を知った。
星月夜、というのだそうだ。
私はこの言葉にすっかり魅了されて、ますます鎌倉が大好きになった。

おそらくこれが鎌倉にかかる言葉になったのは、昼間でものぞきこむと星が見えたという「星月夜の井」があったせい、と言われている。
星月夜の井は、鎌倉の江ノ電長谷駅から歩いていけるところにある。
ある時、近所の人が誤って包丁を落としたので、それ以来星の影が見えなくなってしまったのだそうだ。
ちなみに、徳川家康が慶長5年6月に京都からの帰り道、この井戸を見物してから江戸に戻ったという記録が、『新編相模国風土記稿』の記録に残っているそうである。
慶長5年は、西暦1600年。
そう、関が原の合戦のあった年だ。
この3年後に家康が征夷大将軍となり、江戸幕府ができた。
(星月夜の井に限らず、のぞきこむと星が見えるほど深い井戸、というのは、割とあちこちにあったようである。江戸の町民のお話にも、そんな井戸が出てくる。)

枕詞、というのは、視覚的なイメージを喚起する素敵な言葉である、と歴史の先生が仰っていた。
つまり、私のはすべて先生の受け売りなのだが、いままでさして興味が持てなかった枕詞に、がぜん親しみが湧いてきてしまった。
先生は(わりと大胆発言をなさるためか?)「日本語が生んだ最大の発明である」とまで仰った。
たしかに、そうかもしれない。
以下、先生の講義で例にとられた「あしひきの山鳥の尾のしだりをの」という歌のイメージ。
「あしひきの」は、山にかかる枕詞である。
山は裾野が長く、足をひいているようである。
山鳥というのは、雉のこと。
雉の尾は長い。
イメージ的に、「あしひきの」という言葉が、山の裾野を連想させ、それが雉の長い尾と視覚的に重なっていく。

非常に、絵画的な言葉なのである。

立ち戻って、鎌倉をおもう時。
割と多くの人が、山の懐に抱かれ、時間が止まったような、緑の多い風景を思い浮かべるのではないだろうか。
山と山に囲まれた鎌倉特有の地形・谷戸には、朝は遅く、夜は早く訪れる。
それに古のことを思うとき、どういうわけか心は、太陽照りつける昼よりも、しっとり妖しげな夜の方に心を寄せてしまう。古の香りが闇に紛れて、漂ってきそうな気配すらする。
戦を繰り返した鎌倉の地には、闇がしっくりと似合う。
そんなイメージを一瞬にして、「星月夜」という言葉は与えてくれる。
鎌倉そのものの雰囲気を一語で言い当てているのだ。

さて――「星月夜」ときいて、「ゴッホ!」と答えたあなたは、美術中毒間違いなし。
10月28日の予定をあけておきましょう。
よく見かけるゴッホの作品のひとつ、「星月夜」。
きらめく星々と、ひときわ明るく輝く月、夜空をうねり渦巻く雲。
渦巻く雲に感じる不安や、明るい月に込められているだろう、祈りのような、ピュアな気持ちを感じるのは、この作品が精神病院で療養していた頃に描かれたものだからかもしれない。現物はNYのMOMAで見られる。
そうそう、MOMAとゴッホはとても関係が深い。
存命中は不遇で死後にようやく評価されたゴッホのような画家がなくなるようにと、同時代の芸術家を世に紹介するために設立されたのがMOMAなのだ。

ゴッホの絵画の中にある闇も、鎌倉に漂う闇も、私はどちらも、好きである。

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May 27, 2007

花暦、睡蓮。

070516_152701植物園の花を少しご紹介します。
これは、温室にある睡蓮。
その名も、エルドラド。
黄金色の花が、とても鮮やかです。
太陽の強い日差しの下で見ると、なお素敵。

睡蓮のある温室には、幾種類もの花が咲き、ひとくちに睡蓮といっても多くの色があるのだと驚かされます。
睡蓮というと、モネの絵を思い浮かべる人があったり、クレオパトラの愛した香りを思い浮かべる人があったり。

クレオパトラが愛した蓮の香り、ここでもきくことができます。
多くの睡蓮の中で、その芳香のために香水に使われるのが、ニンフェアという種類だそう。
美しい青紫の花が咲く、気高い蓮の花です。

ちなみに、ご存知でしたでしょうか、モネの庭に咲いていた、モネが描いた睡蓮って、実は日本から輸出された苗なんですよー。
モネは浮世絵のコレクターで日本贔屓だったので、その他にも藤の花など日本の花を多く庭に植えていたのです。
モネの庭に太鼓橋があるのは(絵画にもあるし)ご存知の方が多いのですが、あれは亀戸天神の太鼓橋をモティーフにしているんだそうですよ。
ちなみに余談ですがその同じ亀戸天神の太鼓橋、もうひとつ偉大なものを生んでいます。
その太鼓橋から芸者衆が考案した、現在の帯結びのメジャーどころ「お太鼓結び」。

そんな連想を働かせると、お着物でモネを観にいきたくなるかもしれません?

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May 26, 2007

中国を知るいくつか。

事前にあちらの雰囲気を感じたいと思って、いくつか映画を観ました。

『宗家の三姉妹』
『北京ヴァイオリン』
『胡同のひまわり』

いずれも中国語で会話されていて、ひとつふたつ、聞き取れる単語があったことが嬉しかった!
(無勉強でもわかるような「好」とか「不」とかだけですけれどね…)
映画って偉大です。

特に気に入ったのは『宗家の三姉妹』。
女優さんが美しいのはもちろん、時代背景や政治の話がとても分かりやすく学べて、勉強になりました。
登場してくるのは、孫文や蒋介石、帳学良、周恩来、宗慶齢など、高校の世界史の授業でであった「名前だけ覚えている」人たち。
名前という「点」が、人間関係、政治環境などという「線」になり、時代という「面」になり、三姉妹の数奇な運命や家族の結束などを感じとることができました。
そういえば、上にあげた三本は、どれも「家族」をテーマに扱った作品です。

過去にさかのぼってみると、アジア映画は人並みに観ているのですが、また観たいと思うアジア――とくに中国映画は、衣装デザインや映像が美しいものが多いです。
その色彩の美しさ、色彩バランスの美しさに、いつも見とれてしまうのです。

色彩感覚と、太陽光に関係があること、ご存知でしょうか。
たとえば北の国(流行の北欧デザインを思い浮かべてみてください)は、日照が限られているし、気候も割りと涼し目。そうなると色彩も、空気の中の透明感をそのまま色に反映したような、すっきりとした、あるいは渋い色合いが好まれます。
反対に、南の国(熱帯付近を思い浮かべてみてください)は、太陽に近い分、色鮮やかで色自体にも勢いがある。
ちょっと乱暴に日本国内で花に置き換えたら、北海道のリラや青森のりんごの花と、沖縄のデイゴの花のような違い、でしょうか。
かつてフランスで北から南に旅をしたとき、窓外の町並みの色がみるみる変わっていくのが面白く感じました。
北では白壁にダークな茶色や黒の木でデザインが施されているのに対し、南では、壁自体かさまざまなパステルカラーに塗り分けられていました。

中国も、北に南に大きな国。
北と南で色彩的にどんな差があるのか、とても興味があります。
そして、私が「好きだ」と思う色彩は、地理的にみるといったいどのあたりに多く使われている配色なのか…
あまりたくさんの町は訪れませんが、実際に肌で感じてきたいと思っています。

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May 25, 2007

お勉強

お勉強
中国語の勉強をしていると、はるがやってきて、一緒に発音練習をします。
そのうち、このトラックをかけろ、次はこっち、といった具合で指定しはじめます。
やがて私を追い出して、PCを占領するようになり、CDに合わせて「まー!」などとやっています。

おかげで私はすっかり、勉強したいところを勉強できないのでした…(言い訳ですが)

ちなみにはるが好きな発音は、「五味」といわれる味の表現の「酸」「甜」「苦」「辣」「咸」。
国境を超えた食いしん坊です。

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May 24, 2007

緊急告知!講座やります。

本日、正式リリース!の講座情報です。
私がプロデュースしている「アート+ハーブ講座」の、最新情報です。
今回は、「アート+ハーブ講座」初の、東京での開催です。
ご興味おありの方、ぜひ遊びにいらしてください!!

上野の国立西洋美術館+ギャラリーで、モネの「睡蓮」をイメージした香水を自分で作る講座を開催します!!
「睡蓮」とひとくちに言っても、実に200作以上あるのをご存知ですか?
好みの香りが人それぞれにあるように、「睡蓮」と聞いて思い浮かべる絵も、人それぞれかもしれません。

この講座では、国立西洋美術館常設コレクションの中にある「睡蓮」を見て、
その絵のイメージ(もしくは、頭の中にある「睡蓮」)を香水(オー・ド・トワレ)にします。

アロマテラピーの考え方では、気になる香りは、必要な香り。
いくつかの気になるアロマオイルをブレンドして作り上げた香水は、熟成の期間を経て、あなた自身にフィットする、特別な香りになります。
絵の印象を香りにとどめ、あなた自身を心地よくさせてくれるひとときをお楽しみください。

+++「アート+ハーブ講座」 モネをきく週末+++

日時;2007/6/16(土) 13:00-17:00
場所;国立西洋美術館+ギャラリー空(途中でギャラリーへ移動します)
価格;¥5,000 (国立西洋美術館チケット付)
講師;香水づくり/ハーブ研究家、上級ハーブインストラクター・宍戸多恵子、
    アートのお話/1級アートナビゲーター・鈴木えり子さん
申込期間;2007/5/25(金)~2007/6/12(火)まで 
申込方法;HERB AND CRAFT、またはe-mailへ、お名前、ご住所、お電話番号、メールアドレスを明記の上お申込みください。
(複数でのお申込みご希望の方は、申込まれる方全員のお名前と、代表者の方のご住所、お電話番号、メールアドレスをご連絡ください)
お問合せ;e-mail

++++++++++++++++++++++++++++++++

※ボランティアしてくださるアートナビゲーターさんを2名程度、アートナビゲーター事務局を通じて募集予定です!
ボランティアさんには国立西洋美術館ミニブック(ミニ解説書)とチケットをお渡しいたします。

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May 23, 2007

ダイエット作戦。

070520_214201ただいま、ダイエット中。
いえ、私の体の話ではないのです。
荷物のお話。

どうしても五ヶ月も別天地に赴くとなると、持っていきたい身の回り品が多くなるもの。
こと私においては、本が、とても重要な荷物になる。
(他のものはさておき、あちらではなかなか入手困難なものの筆頭だからだ)
五か月分の本、となると、それは結構な量になる。
送ろうにも、あちらの住所は現地でしか契約できないため、実家を経由するなどの手段を通してしか届かない。
ロストバゲッジ、という最悪の可能性だってある。
そうなると、重い荷物を自分でなんとか持って行くしか、道はないのである。

だが、賢明な皆さんなら既にお気づきの通り、座席1つあたりの預け荷重量というものが、各航空会社には定められているのだ。
エコノミークラスなら、20kgまで。
スーツケース自体の重さが既に、7.6kgある。
となれば内容量の上限は、12.4kg。
はる一人よりもやや軽いくらいしか、詰め込めない。

試しに、持っていきたい本の総重量を軽量してみた。
アナログな体重計なのでちょっとこころもとない結果だが、それでも17.5kg…すでに予定オーバー。
もちろんスーツケースには、本だけをつめこめばいいというものではない。
はるの絵本や、当面の衣類、そして向こうではなかなか手に入らないといわれている日本食類が、詰め込まれるのを待っている状態なのだ。
スーツケースは2つ、私と四川先生それぞれが持っていく予定ではあるが、四川先生とて研究書を山のように抱えての渡中になるため、お互いがあまった荷物をたらいまわしにして、積載可能重量の奪い合いになることは必至だ。
実に、難しい選択だ。

そんなわけで、ここのところ毎晩のように、体重計に本を積み上げて試算中である。
(結局、ロストバゲッジ覚悟で、大半は落ち着いた後に実家から送ってもらおうと段取り中)
北京に滞在してらした方から、日本の絵本の出版社が北京にお店を構えていることも伺ったので、極力私の本を積み込み、はるのものは本当に必要な、そしてはるが気に入ってやまないもののみを持ち込む予定、許せ息子よ。
できるだけ文庫に限っているのだが、なんだか、小型の図書館を移動させる感がなくもない。

今年も受験を検討している江戸検定関連書籍――とくに問題集は、何冊も何冊もあるため、一度全てを解いて、分からなかったものだけをコピーして持ち込もうか、と考えている。時間との戦いになるのだが…。

そうやって一進一退する佳境の中にありながら、本屋に立ち寄ると必ず「これは持っていかなければ!」という本に出会ってしまう運命をほとんど呪いつつ、今日も本のダイエット作戦は続くのである。
体と同じで、一時はダイエットに成功しても、必ずリバウンドするのが、心憎いところである。

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May 22, 2007

ハムレットの悩み。

中学生の頃、シェイクスピアに心酔して、中でも『ハムレット』がお気に入りだった。
To be or not to be.
かつて現実の中でその問いに遭遇したときに、言葉の重みを実感して、涙が出た。

ここ二週間ほど、とても大事なある存在が、まさにその問いに直面して、苦しんでいる。

社会は豊かになり、暮らしも便利になって、夜でも光がある世界になった。
ほんの100年余りで、暮らし向きががらりと変わったのだ。
しかし、もしかすると人間というのは、そんな急速な変化についていけないものなのかもしれない。
とくに、心は。
医療の進歩によって、昔なら助からなかった病も、命を永らえられるようになった。
科学の進歩によって、さまざまな不可解な出来事に、理由がみつけられていった。
だが、もしかすると人は、ある一定量存在することがあらかじめ決められていて、さまざまな進歩によって救われた命の分、どこか別のところで失われていく命が増えたのではないか、そう思えることすらある。
次々と発生する新型のウイルス、心を蝕んで死に至らしめる病。
そういうものが人智を超えたものの意思によって、「一定量」の法則を守るために生まれたのではないか。
荒唐無稽な話ではあるが、そう思わずにいられない。
(ちなみにこの話は私のオリジナルではない。SF・心理学に詳しい友人と話していた時に、似たような話を耳にした記憶がある)

ひとがひとつ謎を解明すると、別なところで新たな謎が生まれる。

だが、いまだ解明されようもない謎も、残っている。
果たしてひとは、死をくぐりぬけたらどこに行くのだろう。
それを解明するには、さらに気の遠くなるような時間と、さまざまな賢人たちの努力が必要になる。
仮に「終焉」のつもりで死を自ら選び取ったとしても、それは本当に「終わり」なのかどうか、誰にも分からない。

『ハムレット』では、登場人物が、道化一人を残してみな死んでいく。
道化は生き残って語り継ぐことを命じられる。
どちらが辛いのか、私にはわからない。
感情の高まりの頂点で生を止めてしまうことと、感情の浮き沈みを時間を経ながら純化させていくことと。
だがしかし、ハムレットも道化も、それぞれの存在の意義を全うしているには違いない。
ハムレットは復讐劇を行うものとして、道化は語り継ぐものとして。
人が生を与えられた意義というのがあるのだとしたら、彼らは彼らの意義を実践しているのだ。

To be or not to be.
さまざまな文脈の中で、答えも変わっていくだろう。
生きるということは、いかに難しいことか、改めて考えさせられる。

悩んでいる本人に対して、私はいったい何ができるのか。
かつて私が同じ問いに直面した時に、力を与えてくれたり、心を癒してくれたものをすすめるくらいしか、できない。
結局のところ、本人が時間をかけて答えを見つけていくしかない問題でもある。
見守ることしかできない、というのは、自分の無力さを痛感させられ、もどかしいものだ。
とはいえ、やはり周りが手綱を引くのは間違っている。
どんなに苦しくとも、自分で自分の道を選び取らなければ、決して本来的な意味での生には、たどり着けない。
生の、意義を感じ取り、実現するためには。
本人が、ゆっくりと自分本来の生を取り戻すことを、祈ってやまない。

このブログをご覧の方で、心が病になったとき、
「こんなものがとても良かったよ」というものがある方はぜひ、お教えください。
よろしくお願いします。

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May 21, 2007

ベランダからこんにちは。

070519_113602はるの最近のお気に入りは、ベランダ。
どういうわけか家の前は、小学生のお兄さんお姉さんたちがキャッチボールする場所になっているようで、その姿を鑑賞するのがはるの近頃の楽しみのひとつなのです。
時々は構ってもらって嬉しいみたい。
(なんだか、家からこどもを出さないだめ親な感じがして、私としては微妙なのですが)

私の重要なコレクションのひとつ、ピーターパンの人形を持って、はるはベランダにでかけます。
「あっ、ピーターパンもってるよ、この子」
などと、お姉さんに構ってもらったあとの表情、ご覧ください。
とっても満足そう。
ひとしきり構ってもらって、私に報告(?)に来るときは、こんなふうに、とってもご満悦の様子。
でも、背景をよく見ると、私のベランダ用下駄や植木が蹴散らされ、やはり私としては、複雑な心境なのでした(笑)。

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May 20, 2007

キリギリスのため息。

中国語のすばらしいテキスト『ときめきの上海』を手に入れたお話を以前書いた。
その後、テキストは「第3話」以降、使われていなかった。
昨日までは。

諸々の事情により停滞していた動きが、ここへきてようやく見え始めた。
大陸へ渡る日がおぼろげに見えてきた。
そうなると、語学をウォーミングアップ程度にでも学んでおかなければ、苦しい思いをするのは自分である。
CDを何度も何度も繰り返して聞きながらようやく1課終える苦しみと、いざその言葉しか通じない国にでかけてみて崩壊後のバベルの塔状態(ひとびとはそれぞれの言葉がまったく何を言っているのかわからなくなっていた)になる苦しみと、ふたつにひとつ。
私にとってはどちらも非常なる難問だが、理屈で考えたら、語学をやるべきなのは言わずもがな。
しぶしぶ「第4話」を開いた。
ちなみにテキストは、第44話まである。
先は長い。
そして残された日は短い。
まるでかつて過ごした夏休みの終わり一週間のようである。

人は追い詰められると、現実から逃避しようとする。
その表れが、裁縫熱であったのだ。
ミシンをかけている間は、縫い目をじっと見つめて、頭は別の妄想に浸ってばかりいたのだから。
ああ、あんなに服ばかり作らずに、少し(一日一話だけでも)やっておけばよかった、と思う私は、小学生の頃からもしかすると何も変わっていない、「アリとキリギリス」の常に後者なのである。

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May 19, 2007

お花のおうち。

070516_145401こどもの頃、お菓子の家に憧れた人は少なくないはず。
しかし、大人になると、お菓子の家から、お花の家に興味が移る人もいるはず…?

植物園に、お花のおうちができました。
屋根の部分がぜーんぶお花でできているのです。
花好きにはきっとたまらないこのおうち。
うっとりとため息をつきながら写真を何枚もとる女性の姿、たくさん見かけました。

さて…
うっとりするのは、なにもガーデニング愛好家だけではありません。
「おうち」というシチュエーションだけで嬉しくなっちゃう、こどもたちも歓声のすごいこと。
親御さんがひとしきり写真をとったあと、移動を促してもがんとして動きません。
おうちに出たり入ったり、かくれんぼをしたり(のぞかれてすぐ見つかるのですが、それがまた楽しいらしい)。
はるのような小さいこどもたちの目には、よほど遠くから見ない限り屋根の花が見えないのですが、それでもいいらしい、だってそれは、「おうち」だから。

お菓子、お花、あるいは木の上など、いろいろなバリエーションはあるものの、そんな「ちいさなおうち」に憧れた経験のない人は、いないのではないでしょうか。
「ちいさい」ことこそが、素敵なことなのです。
絵本『ちいさいおうち』を思い出しました。
決して大きくなくていい。
まわりがどんどんかわっていってもいい。
おうちが小さいからこそ、その特別なよさがあるのです。
あの絵本が愛されるわけは、意外とこんな身近な「居心地のいい」体験に、ひもづいているのかもしれません。
必ずしもおうちじゃなくても、押入れや机の下など、狭くてちいさな場所が居心地がよかった経験、誰にもあることでしょう。

ちいさな夢を思い出させてくれたちいさいおうち、はると私のお気に入りの場所になりました。

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May 18, 2007

パパ、ママ、なっとう。

はるがようやく「パパ」「ママ」を正しい用法で使えるようになりました。
ところが、驚くべきことに、はるははるなりに、2語文で話しているようなのです。
「パパ、ごにゃごにゃごにゃ」
「ママ、もにゃもにゃ」
と、後半部分は全く解読不可能ながら、懸命に話しているようなのでした。

言葉の発達を目的にした療育グループに通い出して、はや一年です。
4月末から今年度の療育グループが始まり、はるは一段階進んで、毎週月曜日にそのグループに通うようになりました。
グループが以前にもまして楽しいらしくて、「なっとう、なっとう、ねーばねば」という、とてもシュールな手遊びがお気に入り。
というのも、今度のグループには男性の先生が混ざっていて、男の子の好きそう~な電車ごっこなどを取り入れてくれるので、はるは先生が大好きなのです。
大好きで大好きで、他の子のところを順番にまわってくるのも待ちきれずに、大声をあげてアピールするほか、わざと電車に見立てたマットレスから転げ落ちて気を惹こうとしてみたり、とにかくいろいろ遊んでもらおうと必死なのです。
その先生の得意技「なっとう」は、グループの最中はもちろん、寝る前真っ暗な部屋の中でも何十回と繰り返していて、納豆という言葉を耳にするとスーパーだろうが食卓だろうが、ところ構わず自分でリズムをとりながら「なっとう、なっとう、ねーばねば」と手遊びをします。

「好き」という気持ちがここまで波及するのにびっくり。
だんだん言葉への興味が膨らんで、自分の中に溜め込んでいる言葉も多くなってきたよう。
はっきりした発音で言える言葉は「パパ」「ママ」くらいのものですが、ディズニーの「スティッチ」は「いっち」と言えるようになったし、「ミッキー」は「いっい」、トイストーリーの「バズ」は「あむ」、その他にも、動物の名前や食べ物の名前など、徐々に真似をするようになってきました。

はるもあと一月半で三歳です。
話し出したら、ものすごーくおしゃべりになりそうな雰囲気です?!

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May 17, 2007

裁縫熱、収束へ。

070516_005901熱もようやく下火になりつつあります。
別の予定が入ってきたので、そちらに注力するよう、気持ちを切り替えるためです。
私はとても不器用なので、一度にひとつのことにしか気持ちを向けられません。
裁縫熱はしばしお休みをして、次にいかねばならないときが来たようです。

そこで。
一旦しめくくりとして、旦那さんのヘンリーネックのTシャツを作りました。
紺色にカメの形がぽつぽつある、ダブルガーゼの生地です。
とても気持ちの良い肌触りで、作っている私も心地よいもの。

今回の裁縫熱で、学んだところがいろいろとありました。
まず、メンズでは、一旦形を作ったあとに、旦那さんに合わせて微調整が必要だということ。
(水色のシャツの時には頭が入らなくて、結局前身頃の開きを広げたし、今回のヘンリーネックのシャツでは、首元が苦しそうだったのでボタンの位置をずらしたり)
男性の体形というのは複雑なんだなぁと改めて思いました。
慣れ親しんだ自分の体型なら、経験値からそれに合わせた最適な型を探したりできるけれど、旦那さんやはるには、一旦作ってみて着せてみないと、まだつかめません。
これも、地道に経験を積んでいくしかないのかしら。
それから、やはり天然素材の肌触りの良さ。
人は、肌から敏感に多くの感覚を感じ取っていると気づかされることでもありました。

さて。
生地屋さんのセールでまとめて購入してしまった大量の布をどうするか。
今取り掛からねばならないことが一段落したとき、また裁縫をする気になれるのか。
こればっかりは、まったく、裁縫の神様の思し召しに頼る以外ありません。

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May 16, 2007

峠を越えて。

070516_010001_2図書館で借りてきた洋裁の本に、とても素敵な形のキャミソールがありました。
前身ごろが花びらのような、ラインのきれいなものです。
本当はこの本、着物を洋服にリメイクする本でしたが、あえて和柄の洋布を使って仕立ててみました。
なかなかかわいい形に仕上がったのですが…

実際出来上がってみて、着てみたら。
うっすら感じていた不安が、現実化しました。
おなかが、出るのです。
確かに、キャミソールは夏の洋服。
とはいえ、腕だって出せない私にとって、おなかが出るなんて、言語道断。
あちこちにスナップを付けてとめてみたりするのですが、やっぱり、デザインには勝てません。
あきらめて、中に一枚着てから、キャミソールを着る方向で着用しようかと思っています。

…ふといたずら心から、はるに着せてみたら、エプロンのようになって、なかなかかわいかった。
もしはるが女の子だったら、迷わず「ワンピース」ということに、無理矢理言い訳して、着せていたかも。

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May 15, 2007

リメイク、リメイク。

070516_010102もしかすると、リメイクというよりも、リペアという方が、適切なのかもしれません。
お気に入りのジーンズは、ひざに穴が開いてはや2年。
それでもやっぱりはき心地が良くてはき続けているのですが、旦那さんがそのたびに渋~い顔で見つめます。
どうも彼の目には、お行儀が良くないように映るらしいのです。
(それから、ジーンズ1本も買えないのかと、悲しくなるらしい。別のジーンズも持っていて、でもやはりこれが好きなだけなのですが…)

なんとかしなくちゃなぁ…と時間ばかり経っていたのですが、ついに、和柄の布を縫いこんでみました。
穴は今後も広がるかもしれないから、布を結構大きめに、しかも伸び縮みするように斜めに、縫いました。
最初からこういうデザインだと無茶を言えば言えなくもない(縫い目ががちゃがちゃなのは別として)。
そうしたらふと、おしりのポケット下の部分も擦り切れてきていることに気づいて、こちらにも急遽布を。
着物でもおしりの部分には「居敷あて」といって別布をあてて補強することがあるけれど、ジーンズも同じなんだなぁ、なんて思いながら、つくろいました。

これで、また、心置きなく着られます。
でも、いまどき、「つぎ」をあてたジーンズをはいているのって、珍しいでしょうね。
昔はセーターの肘の部分や、ジーンズのひざの部分がパッチワークされている服を着ている人をよく見かけたものだけど、最近はデザインでそうなっているもの以外、みかけなくなりました。
布の寿命は、一般に百年なのだそうです。
流行がこまめに変わる中、つくろってまで着たい服に出会うのが、なかなか難しい時代になったのかもしれません。

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May 14, 2007

峠にさしかかり

峠にさしかかり昨日のシャツに気をよくして、ついに、念願のジャケットに着手。
紺色の麻の生地で、夏のジャケットを仕立てました。
シネマの中の素敵な洋服を作る趣旨の洋裁本で見て、憧れていたジャケットです。

ちなみにタイトルは「ベニスに死すのジャケット」。

本当は前見頃だけで30個も、びっしりとボタンがついているデザインなのだけど、私はあっさり10個だけにアレンジしました。

我ながらなかなかの出来。

ビョルン・アンドレセンの美しさを思い返しながら、コーディネートを楽しみたいです。

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May 13, 2007

大物に挑む

大物に挑む熱はまだまだ続いていています。
ついに大物に手をだしました。

多くの裁縫初心者と同様、私にとっても鬼門であり、今後もそうありつづけるのが「襟」と「袖」。
作るものは極力このふたつを避けたデザインだということ、ご存知でしたでしょうか。

ところがある日ついに旦那さんが言い出してしまいました。
「いいなぁ、俺のも作って」
恐れていた一言でした。
旦那さんは、「襟なし」も「袖なし」も、嫌いなのです。
もはや避けては通れません。
かといって自分の服ばかり作っているのもさすがに気がひけて、承諾せざるを得なかったのです。

格闘すること8時間。

襟と袖という鬼門・裏鬼門に加え、男物は文字通り縫う長さも布の面積も広い大物。
それでもなんとか、出来上がりました。

水色の、コットンのシャツです。
(そう、もうひとつ、ボタンホールも下手なので、ボタンホールもなるべくないデザインを選んでつくりました)

表からはなんとか見られるようになりましたが、やっぱり襟つけのときに見頃同士の寸法が合わず、袖つけも同様で、不可思議でした。型紙通りなのに、なぜ合わないのか、全くもって謎です。
そんなわけで、襟の内側がちょっとひきつれていたりするのですが、旦那さんは喜んでくれ(いい人だ)、「今度着る」といってクローゼットにしまいこみました(果たしていい人なのか?)

休日に近所で着る分には、あるいは部屋着なら、いいと思うのですが…?
活躍するのかどうかは、神のみぞ知るところ。

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May 12, 2007

小休止

小休止
裁縫の合間に小休止。
はるが口にいれているのは、なんと角砂糖。
近頃喫茶店で覚えてしまいました。

喫茶店で角砂糖をコリコリやりながらミルクを飲むのが大好きです。

私は洋裁の本を見ながらカフェオレを、はるは動物の絵本を見ながら角砂糖とミルクを。
洋裁小物(布やボタンやリボン)を買いにお出かけしたときの、もうひとつの楽しみです。

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May 11, 2007

熱上昇傾向。

070508_092301リバティの生地が届いて、早速ワンピースをつくりました。
先日のワンピースと同じ型紙を使って、胸ぐりのあきを少し大きめにして涼しくしました。
ウェスト部分のリボンを変えると、雰囲気も少し変わってくるのが楽しくて、リネンのリボンを使ってみたり、サテンの紺のリボンを使ってみたりして、表情の違いを楽しんでいます。

昨年からつくっている「かぶるだけ」タイプのワンピースは、とても重宝。
少しずつ少しずつ、自分の好みに型紙を作り変えて、マイナーチェンジしていこうと思います。
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May 10, 2007

微熱継続中。

070506_231401今度はプチ・リメイク。
ユニクロの、シンプルな黒ニットのカーディガンの表情をかえてみる。
ボタンを、四角い貝ボタンにつけかえて、襟元にトーションレースをつけてみた。
ぐっとシックになった印象。
先日のキャミソールや、昨日のワンピースとも、相性がいい。
単にジーンズに合わせても、映えるようになった。

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May 09, 2007

熱上昇傾向。

070506_231101まだ川崎に住んでいる頃(2年ちかく前になる)に手に入れた、薄手の化繊の生地で、ワンピースを作った。
落ち着いたピンク色の、光沢のある記事なので、ちょっと「よそゆき」な雰囲気だ。
首元には玉レースを飾り、写真には写っていないけれど、裾にも玉レース(こちらは三角形の形になっているもの)をあしらった。
甘くなりすぎず、そっけなさすぎず。

こと、手作りの服においては、そのバランスがとても難しいように思われる。
そんな悩みもまた、ひとつの楽しみであるのだけれど。

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May 08, 2007

裁縫熱。

070504_224501おとといはリバティの生地について。
昨日ははるの服について。
そう、勘の鋭いあなたならおわかりのように、私は今裁縫熱の真っ只中です。

裁縫熱は突然やってくるもので、今回も、なんの前触れもなく突然にやってきました。
しいていえば、押入れに入っている生地が無事かどうか見た途端。
前回の裁縫熱のときも、熱にうかされてさんざん作りまくったのですが、今回もご他聞にもれずに同じ事を繰り返しそうな雰囲気です。
ここのところ数日、一日ひとつは何かを作っています。

今回の裁縫熱で最初に作ったのが、写真のキャミソール。
なんと、型紙ナシで、持っているキャミソールを参考にして、作ってみました。
長方形をぱつんとふたつに分けて、下部分にギャザーを寄せ、上部分は左右幅を少し縮めて、合体させるだけ。
この生地は上下の柄が合っていないのに違和感が出るかも?と思ったので、連結部分にはレースをあしらってみました。とても簡単です。
とも布でひもをつけたら、あっという間にキャミソールの完成です。
(実際のところは、不器用なために「あっという間」に半日経ってしまうのですが)

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May 07, 2007

水仙少年。

070505_201201水仙とかけて少年ととく。
その心は…そう、ナルキッソス神話です。
我が家にも、水仙になってしまいそうな少年が一名。
鏡を覗き込んで微笑み、ときにはチュウしていたりするのです(!)。

過日こどもの日、はるに洋服を作ってあげました。
ノースリーブのカットソーとパンツのセットです。
ひとまねこざるのプリント生地、それも、はるの大好きな動物の柄です。

気に入ったのか、まだ布の段階から抱きかかえて歩いていたほどで、私が作っているところをちょくちょくのぞきに来たりして、切れ端をじいっと覗き込んでいたり、動物の名前を読み上げていたり(相変わらず「ん」のイントネーションだけですが)。
だから、なのか。
出来上がったら「うわあ!!」と目をきらきらさせて、着てくれました。
こういうの、親冥利に尽きるというものです。

で、そこまではよかったのですが。
鏡を見せてあげたらうっとりと見ほれて、くるくる回ってみたりして、あらゆる角度から洋服を楽しんでいるかに思えました。
私に鏡を持たせて、書斎にいるパパのところまで歩いていき、はるの後ろをついてあるく鏡を一歩ずつチェックしていたりもしました(笑)。
が、実はかわいらしい「自分自身」に見ほれていたよう!
服を脱いでからも、ずっとずっと、鏡を手放さずに、時折鏡をのぞきこんでお話していたりするのです。

見惚れるあまり、水仙に、なりませんように。

070506_231601裾の広がったデザインの、動きやすそうなトップス。自分で洋服を着られるようになった時、後ろと前がわかりやすいように、後ろ見頃はプリントをさかさまにしてみました。デザインは、伊藤まさこさんの『こはるのふく』から。

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May 06, 2007

花柄の誘惑。

洋裁の本を見ていると必ず出会う、リバティ社の素敵なプリント。
その多彩なデザインやカラーバリエーションを見ているだけで、うっとりとしてしまう。
近頃は市販のお洋服にも、リバティの生地を見かけるようになった。

ファブリックデザインが美しいだけじゃなく、
まるで絹のような、つるつるてろてろのやわらかな手触りと、軽さ。
そこに惹かれて、ついまた手を出してしまう…という人、案外多いのでは。

普通の生地よりもお高めなのだけど、一般のお洋服にくらべたらもちろんリーズナブルだし、何よりも着心地が格段にいい…はず。
そう、私はまだこの生地を使ったことが、一度しかない。
それも、はるの洋服の裏地に使っただけなのだ。
しかしながら、縫っている間にもするするとすり抜けていってしまいそうな生地に、すっかり魅了されてしまった。

ついひと月ほど前に洋服屋さんでリバティの服を見て、翌日行った時にはもうなかった。
逃げた魚は大きいというけれど、そうなってしまうと、情熱ばかりが先走るものである。
生地ばかりの値段では、既製服の半分以下であることも手伝って、情熱は前に突き進むのみ。
ああ、もっとお裁縫の腕が良かったら!!
でもこの際、それは関係ないともいえる。
いったん火がついてしまったら、24時間風呂のように適度に燃え続けるのが私の裁縫熱だ。
早速布の通販やオークションを利用して、生地を手に入れはじめています。
できあがりを、お楽しみに。

リバティ・プリントは、布の通販サイト「maru10」でぜひご堪能を(私がみた中ではここが丁寧に紹介していました)。たっぷりお楽しみあれ。
maru10 国産定番柄 (3ページあります)
maru10 07春夏ライン

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May 05, 2007

カメラ小僧


先日書いたハリネズミカメラ、すっかり気に入ったひとが一名。
カメラの使い方は怪しいものだけど、形にひかれたのか小さいながらも機械っぽいところにひかれたのか、離さない。

近くまでの散歩にもカメラを持ち歩くのだ。
そしてときどき、思い出したようにフィルムを巻いたり、シャッターボタンを押したりする。
(レンズ窓を開けずにシャッターを切っていたりするので、わかってやっているわけではないらしい)

はるの手に握られると、あんなにこぶりなカメラが、ちゃんとカメラらしく見えるから不思議だ。

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May 04, 2007

中国経験者からの忠告。

最近友人たちからお餞別をいただくことがままある(みなさまありがとうございます)。
極楽三十路堂の面々からも、すばらしい贈り物をいただいた。
Oは北京を一度経験しているそうだ。
Iが「なにが一番不便だったか?」を問うと、
すかさず「肌が荒れたこと!!!」と答えたそう。
黄砂よりも粉塵よりも言葉よりも、肌荒れ、とのこと。
(ちなみにOはプロ顔負けの美容アドヴァイザーであるが、不思議なことにまったく美容とかかわりのない仕事をしている。才能がもったいないと常々Iと私は思っている)

それで、ご時勢のことなどもいろいろと考えて(液体の機内持ち込み禁止とか)、美容マスクを贈ってくれた。
SK-Ⅱのマスクである。

あちらでは、外国人だと知られなくなかったら、すっぴんで古い服を着て歩けばいいそうなのだが、すっぴん、というのが意外に大変かもしれない。いろいろ保護してくれる第二第三の皮膜がないということだから。
マスクは一月に一度程度で良いらしいので、どきどきしつつ使わせていただこうと思っている。

極楽三十路堂の面々は既に北京のガイドブックを購入して、夏のヴァカンスについて計画を練っているそう。
…もしかすると私よりももう詳しいかもしれない?
ちょっと先に、ちょっと長く行っている身として、研鑽を積まねば。
まったく、気のひきしまる思いである。
ANAのパンダジェット就航も間近だし、今年の中国は、面白いかもしれない。
(ちなみに今出ているBRUTUSでは北京を特集していて、特にアート好きにはおすすめらしい)

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May 03, 2007

初、初日観劇。

070501_102501歌舞伎座ではいま、團菊祭がはじまったところだ。
いつもは舞台写真購入を意図して、中日以降にチケットをとるのだけど、今回は中国行きの件もあったので、はじめて初日に観劇してきた。
実に、華やかである。

芝居の楽しさに、芝居以外の楽しさも加わって、芝居通が好みそうだと思った。
どんなところかというと、台詞をとちってしまう役者さんがいたり、あるいは華やかな夫人の姿を拝見できたり(今回もひときわ華やかな團十郎夫人・希実子さんと、菊五郎夫人・富司純子さんを拝見)、観客の中に意外な人が紛れていたり。
この日は、小泉前首相がいらしていて、芝居が終わったあとの出口が騒然としていた。
ミーハーにもその流れの中で流されて、握手していただいてしまいました、私(笑)。

この日の演目は、三津五郎と松緑の「泥棒と若殿」、團十郎と菊五郎の「勧進帳」、海老蔵と菊之助の「与話情浮名横櫛」、芝翫の「女伊達」。
もう、すばらしい舞台であった!!

勧進帳は、昨年11月に、海老蔵の弁慶・菊之助の富樫で見ているのだが、さすが團十郎&菊五郎の舞台はそれはそれは迫力で、ああ芸というのはこういうことなのだと、芸事の奥深さを改めて見せていただいたような気がした。
團十郎が花道を去っていくラストでは、おそらく芝居通の方からなのだと思うが、
「たっぷり!!」
「ごゆっくりおねがいします!!」
という掛け声が飛んで、それに応えていただいて、たーっぷり!堪能させていただいた。

「泥棒と若殿」では筋の面白さと、役者さんそれぞれの持ち味(&洒脱さ)がまた素敵。
コメディテイストで進んでいくお話に笑いながら、最後にはほろりとさせられて、お芝居の楽しみを改めて感じた。
芝翫の風格はさすが、の一言。
私は舞踊のことはちっともわからないのだけれど、なんというか見ていてとても気持ちが良かった。

そして。
お目当ての、海老蔵×菊之助。
海老蔵の与三郎、若旦那ぶりが面白かったのだが、そのとき座席の後ろから「地が出ているね~」と男性のささやき声が。関係者の方なのかしら?
青いくっきりした縞の着物に、淡藤色の絞りの羽織(裏はなんと花柄!)が、なんともぼんぼんらしさを出していてとても素敵。
そして――菊之助。
語りだしたらとまらなくなるので、とても婀娜っぽくて美しくてうっとりと見惚れてきた、とだけ申しておきましょう。

ああ、本当に、中国に行く前に、菊之助(の女形)が見られて良かった。
さすがに、狂おしいほど見たい「NINAGAWA十二夜」頃には日本にはいないと思うので、
次の菊之助の舞台は帰国後のお楽しみということになる。
伝説作の再演、見逃すのは本当に断腸の思いなのだけど、
こちらの中国行きも一生に一度のこと(?)なので仕方あるまい。
(※七月大歌舞伎@歌舞伎座 「NINAGAWA十二夜」平成19年7月7日~29日)

そんな風に思わせてくれる、とびきりの役者さんなのです。
早く帰ってきて菊之助の舞台が観たい(女形の舞台なら最高)。
夏の松竹映画『怪談』公開を前に、
菊之助ブームが来てしまうかもしれないけれど(ブームはあまり好きじゃない)、
やっぱり白塗りしている菊之助が一番素敵です。
ずっとずっと舞台を見続けていきたい、役者さんです。

余談:
菊之助の写真展が6日まで丸ビルで開催されているらしい。早速今日にも足を運ぼうと思っている!

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May 02, 2007

はりねずみカメラ。

070429_141501トイカメラ、本屋さん好きならきっと一度は見たことがあるだろうと思う。
ずっと気になっていた私も、ついに先ごろ、手に入れたところだ。
懐かしい感じの写真がとれるというから、これをもって旅に出たら、思わぬ写真ができあがるかもしれない、というの期待を胸に。

トイカメラを手にしたら、ふと、9歳のクリスマスプレゼントに、カメラをもらったことを思い出した。
1984年、アメリカでのことだ。
その頃私はどうしてもカメラがほしくてほしくてほしくて、そうしたら両親が、本当にカメラを買ってくれた。
子供のおもちゃ用に作られたものではなく、ちゃんとしたカメラだった。
その頃のカメラのほとんどがそうだったようにフィルムは手巻きで、フラッシュもつき、フォーカスは自分で合わせてくれるという、「大人と同じ」すごいカメラだったのだ。
実際そのカメラで写真をたくさん撮った。
アメリカでも、もちろん帰ってきてからも。
中・高の修学旅行はもちろん、大学に入ってからもずっとそのカメラを使っていた。
卒業旅行以降だろうか、デジタルカメラが隆盛になってからそのカメラは、現役をようやく退いたのだった。
引退の頃にはフラッシュがつかなくなったり、フィルムが巻けなくなったりしていた。

トイカメラの現像写真例は、そのカメラでとった写真にとても似ていた。
粒子の粗い感じで、なつかしい風景に思えた。
カメラが1000円で買える時代なんだ、ということに、とても驚きもした。
小型のキーホルダーかと思いきや、カメラ、なのだ。
そのわずか1000円のカメラは、やっぱりフィルムが手巻きでときどき巻けなかったりして、私を子ども時代の思い出に引きずり込んでくれたりする。
昔は、フィルムがうまく巻けていなくて、せっかく撮った写真が全部だめになってしまったこともあったっけ。

そんな頃、時間はもっとゆっくりと流れていたような気がする。
トイカメラはなんだか、その頃の時間を取り戻してくれるもののように思えた。

ためしに1本取り終わって、カメラ屋さんに持っていってから、現像代がすごくかかるのに気がついた。
24枚撮り、現像&プリントで2000円以上。
カメラが二台買えるではないか!!
お店によって価格もいろいろらしいのだが、あろうことか、私はそこをまったく考えていなかった。
しばし躊躇して、結局現像しなかった。
カメラの中の風景は、黒いプラスティックのフィルムの中に、閉じ込められたままだ。
いったいどんな景色がうつっているのか、はたして本当にうつっているのか(それも怪しい、というところにトイカメラの醍醐味があるらしい?)、なにを撮ったのか忘れてしまった頃にふと、現像してみようと思う。
なつかしい時間を、探しに。

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May 01, 2007

2000年前のガラス。

070429_141701ある展覧会で、一目ぼれをしてしまった。
特設ミュージアムグッズ販売の片隅に、ひっそりと美しいガラスがいくつかあった。
はかない水色のガラス、お話しを聞いてみると、なんと紀元1世紀の頃のガラスなのだという。
「ローマングラスというんです」
その名の通り、古代ローマ時代に作られたガラスである。
当時は重要な交易品で、シルクロードを経てアジアにももたらされた。

そんな、地中に埋まっていた古代のガラスを掘り起こして、アクセサリに仕立てたのだというのだから。
話を聞いたら、動けなくなってしまった。
2000年前のひとの手でつくられたガラス、2000年の時を経てきたガラス。
手にとってみると、その凹凸のある表面が、ことさら美しく感じられた。
こんな、ロマンのあるアクセサリーに、私はかつて出会ったことがない。

ガラスは、数百年地中に埋まっていると、銀化現象というのを起こして、七宝のような虹色に輝くのだという。
メインはそんな銀化したアクセサリーなのだが、私は、シンプルではかないこの色に惹かれてしまった。
(少し調べてみたら、日本人はことのほか銀化したものを好むので、ローマングラスの世界ではこれを「ジャパニーズテイスト」と呼び、ドイツ人は逆に銀化を削り落として古代ガラスの風合いを楽しむので「ジャーマンテイスト」というのだそうだ)

日本にシルクロードを通ってやってきたものは、ローマングラスのひとつあとの時代、ササン・ガラスなのだそう。
(同時代となると邪馬台国の時代なので、あったとしても残っていないのかもしれない)
また同じアジアでは、『三国志』(小説ではなく、『魏志』『呉書』『蜀書のこと)には、ローマングラスの10色についての記述もあるという。

古風に呼べば、「縹色の玻璃」。
2000年の時間そのものを身に着けるようで、清廉な気持ちになる。
(日本では器物は100年たつと妖怪(付喪神)化するのだから、これは大妖怪かもしれません。
雰囲気からして、きっと、いい方の。)

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