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April 23, 2007

はなす筋肉、かく筋肉。

歴史の勉強会で、時折先生が言葉につまる。
あるときふと、「どうも、はなす筋肉と、かく筋肉は違う。」と仰られた。
はなす方が得意だという人もいるし、かく方が得意だという人もいて、たとえば先生は、はなすよりもかく方が、ご自身の言葉で言えば「頭がよさそうに思える。」
つまり、言葉が適切に見つけられる、というのだ。
(ちなみに先生は、時代小説家でいらっしゃる)

私も先生とまったく同じで、はなすのはとても苦手だ。
それが仕事であっても、友達とのおしゃべりであっても、自分で言いたいことをきちんと言葉にできているかわからないし、なによりも「何を言っているのか」わからなくなるときさえある。
かく方にもその傾向はあるのだが、はなすことに比べたらまだマシな方だ。

以前、私はこの「はなし下手」を克服しようと、試みたことがある。
それで、ラジオのパーソナリティになった。
スパルタ式である。
まあラジオと言っても、ボランティアスタッフであったし、隔週に一度、または月に一度に放送される番組なので、たいしたものではないのだが。
番組は基本的に生放送で、どうしても難しいときにのみ事前に録音したものを放送していた。
生放送というのは、なかなか大変なものである。
とっさの判断を必要とするし、気のきいた相槌をうとうとして、手にびっしょりと汗をかくことはしょっちゅうだった。

都合6年間放送に携わって、多くのスタッフと一緒に番組を作ってきたが、一緒に番組をやっていたスタッフの大半が、今FM局やTV局でプロのアナウンサーになっている。
今思うと、すごい人たちと一緒にやってたんだなぁと改めて思う。
彼らは誰もが一様に、かくよりもはなす方がずっと楽だ、と言っていた。

どの番組のときも、インタビューの名手、というのが必ずいた。
インタビュー上手の人というのは、実に的確な質問をする。
そしてそれに対して的確な相槌と、的確なコメントを、いとも自然に付け加える。
私からすると、ほとんど神業のように見えることもしばしばだった。
「すばらしい話はすべて、的確な質問から引き出される」とは有名な話だが、まさに。
裏返せば、的確な質問ができないと、話というのは、盛り上がらないのである。
もちろん私はインタビューは苦手で(的確な質問、と思った段階で既に手に汗びっしょりである)、むしろなにかテーマを設定して音楽や暮らし方の紹介をする方が(もちろん原稿は事前にかいておく)、よほど性に合っていた。
その独「走」的な世界を気に入ってくださる方もあったが、「はなし下手」は結局、解消されなかった、ということになる。
人間、そう簡単に性質は変わらないということか。

いまだに、はなしをする時というのは、私の中ではラジオの生放送のような緊張感が常につきまとう。
いや、ラジオならまだ良いかもしれない。相手の顔が見えないことがほとんどなので、マイクとヘッドフォンにすべての意識を集中できる。
それが、実際に人と向かい合って話すとなると――目線、表情、身振りや手振り、実に多くの情報が怒涛のように押し寄せる。
それはもう、大変なことなのである。

それに比べて、書くこととは、いかに楽であろうか。
ただ、書けばいいのである。
必要なものは、自分とペンと紙、あるいはPCのみ。
ある意味とても、楽である。

近頃思うのは、「はなす」ことも「かく」ことも、どちらも日々鍛錬していないと衰えるということだ。
この年になったら脳細胞は死んでいくばかりなのだから、仕方ないのかもしれないが。
「かく」筋肉、衰えないように、いや、むしろちょっとはマシなものが書けるように、精進しようと思うこのごろだ。

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