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February 2007

February 28, 2007

誕生日に、おもうこと。

今年の誕生日は、かねてからの夢に一歩近づく期日でもあって、忙しくしています。
ちなみに今、この原稿を書いているのは午前1時半。
まもなく「うしみつ時」というやつです。
新年齢での、初日の出を拝むことになりそうです。

誕生日イブはとても素敵な一日でした。
歴史の会のお友達とランチをしたり。
とうとう携帯の機種変更をしたり(話せば長い事情があるのでした。その事情はまた今度。)
その足でモバイルスイカ登録キャンペーンのタイムトライアルで新記録を達成し非売品のペンギンマグをもらったり(つまり鎌倉界隈で私は今一番携帯のキー入力が速い女ということになる)。

誕生日イブだから、と、お参りにいった鶴岡八幡宮では、「一歩一歩確実に進めば夢はかなう」とおみくじにメッセージを見つけて、とても勇気付けられたり。
友人達からいただいた素敵な贈り物たちに、感動を覚えるのもちょっとやそっとじゃない。

そんな誕生日。
今思うのは、縁、ということ。
友人達も、生まれついた親とも、不思議なえにしでつながっているなぁ、ということ。
その縁は、人のみに限らず、土地だったり、本だったりものだったりもする。
そういう縁に守られて、暮らしているような気がするのです。
今日から始まる一年もまた、素晴らしい縁にであえる一年になりますように。
そして願わくは、自分の夢をたとえ何年かかったとしても叶えていける、地道な強さが宿りますように。
(なにせ私は短気で大雑把で面倒くさがりなので。)

生まれついた日。
改めて、さまざまな深い縁に、感謝をささげたい。

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February 27, 2007

初浅草。


初浅草!!
花曇り、はると初浅草です。
焼きたての人形焼きは表面がカリカリで温かくて、おいしかったです。
大きなお寺にはるはびっくり。

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February 26, 2007

香りのふしぎ、嗅覚のふしぎ?

香水づくりをした夜。
母とふたり、後片付けをしていると、旦那さんが興味を持ってやってきました。
彼も香りにはなかなか気をつかう人なのです。
(余談:ご存知の方もおありかと思うのですが、私と彼が結婚した裏には、130種もの香りの中から、「これが一番すき!」と選んだものが、全く同じだったという体験も大きく関係しました)
最近は、気に入った香水がなくなり、新しい香水を探しに行く時間的精神的余裕にも恵まれず…という生活だった彼が、興味を示さないわけがなかったかもしれません。

かくして、夜間部開始。
母は「じゃあ、誕生日プレゼントね」といって、もう一回講座をやってくれました。
(旦那さんは、去る22日がお誕生日だったのです。講座の準備等で、盛大にお祝いするのはこれから、ですが)
レクチャーは省いて、いきなりブレンドするところから(笑)。
それでもさすが香りに普段から興味を示しているだけあって、うまい具合にブレンドしていきます。
一人のためにやるのは、あまりにも勿体無いとこじつけて、私ももうひとつ作らせてもらいました。
こちらはこちらで、私の「誕生日プレゼント」、です(笑)。

「玉響(たまゆら)」とは全く別の種類の香りを作ろうと意識して、ブレンドしていきました。
イメージしたのは、雨。
今度は森の中に降る雨のにおいを、作ってみたかったのです。
(「玉響」は、実は今書いている物語の中の重要な人物をイメージした香りでした。人に対して、今度は自然を。そしてこの雨は、物語の中の森に降っている、雨なのです。)
使ったオイルも配合も、意識的に違えていきました。
メインに香るのは、シダーウッド。
使用したのは、ローズウッド、サンダルウッド、ゼラニウム、フランキンセンス、ベルガモット、パルマローザ、ローズマリー。
できたときは、まるで「玉響」とは違う香りでした。

ところが、です。
一晩あけて香りをきいてみたら…
全然違うはずの香りが、どこか似ているのです。
系統も、もちろん使用したオイルも、全く違うのに。
意識して、違えたはずなのに。

香りの不思議に、改めて驚かされた一日でした。
体調によって、気分によって、香りが織り成されていくというのを、改めて感じました。
嗅覚の不思議、というのでしょうか。
アロマテラピーでは、「気になる香りは必要な香り」。
うーん、まさに。とうなってしまいます。

先日ご参加くださった皆さんも、また別の機会に作られたら、きっとまた違う香りを作られ、でもその中に、なにか共通したものを感じられるのかもしれません。
香りの奥深さ、実感です。

それで、旦那さんはといえば。
とっても素敵な香りを作っていました。
名前は公表不可だそうですが、なんというか、しっとりとして、すっきりとして、うっとりもするような。
香りが人をあらわすような、彼のイメージにとても合った香りでした。
彼としては、途中の過程で「ベスト!」と思われるタイミングがあり、そこから冒険したことで香りが変わってしまって、自分のイメージそのものの香りにはならなかったようでした。
「このレシピはとっておいて、次に作るときには、ここでやめる!」と断言。
…ということは、香水講座、また「次」をのぞんでいるのだろうなぁ(笑)。

完成するのも楽しみながら、
「次はどんな香りを作ろう?」と考える過程もまた、楽しいものです。

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February 25, 2007

香水をつくること。

昨日のイベントで、香水をつくりました。
香水づくりを企画するのは3度目にして、
自分も作ったのは今回がはじめて。
(今までは、企画~事前の準備までで、当日は関わっていなかったのです・会場が仙台だったので)

来てくださった皆さんと一緒に、私もわくわくしながらの香水のブレンド。
1滴でぐんと香りのイメージがかわっていくのが楽しく、難しかったです。
ブレンドしたあとは、香水に名前をつけ、ラベルを貼ります。

実は今回、私は香水の名前を決めていました。
その名前に合った香りを作ろうとしたのですが…
ブレンドしていくうちに、香りががらりと変わってきて、
どうしたものか収拾のつかない状態に。
最後まで悩みぬいてしまいました。

参加された方々は、
それぞれに素敵な香りをブレンドされていらっしゃいました。
最後に皆さんの作った香りをぜひ聞いてみたかったのですが――
私達の力不足で時間が延びてしまい、
来てくださった方たちには申し訳ないことをしました(本当にごめんなさいでした)。
名前と香り、素敵な仕上がりになったに違いありません。

さて私の香水は、こんな感じになりました。
ベースノート/ミドルノート/トップノートで香りの配合を考えて…なんていう、レクチャーで行った部分は、頭の片隅にありながらもほぼ考慮せず(笑)気になる香りだけを選んで作りました。
070225_01350001名前は「玉響(たまゆら)」。
ペパーミント
ローズウッド
イランイラン
ローズマリー
レモン
ベンゾイン

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February 24, 2007

イベントを行っています。

今日は鎌倉・由比ガ浜で、イベントを行っています。
乙女小説の金字塔『花物語』を書かれた吉屋信子先生のお宅で、香水づくりの講座を行っています。
ハーブ研究家である母と、3年前から「アート+ハーブ講座」というのを企画して行っていて、今回はそのおまけ版。
いつもは開催が仙台なので、こちらのお友達に(特に香水講座は)「ぜひこちらでも!」と言っていただけることが多く、母を招聘しての開催となりました。
今までの母との講座は、母好みのアーティストがテーマで、モネやガレを取り上げています。

が、しかし。
今日だけは違います。
だって、せっかく、吉屋信子先生のお宅なのです。
私の大好きな、愛してやまない、大正~昭和初期!文学/建築/美術/などなどなど。
でも危険です。語りだしたらきっととまりません。
なので、話の風呂敷をあまり広げず、ごくごく小さなお話だけをして、メインである香水づくりに専念していただこうと思っています。
(できるでしょうか。/でもやらねば。)

昨日母が到着し、下準備~打ち合わせをしていると、
香りの世界の深さに、とっても驚かされるばかり!!
十人十色の香りの仕上がりが、実に楽しみです。

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February 23, 2007

とつぜん語学熱。

いま、ある言葉を勉強中である。
正確に言うと、本を買ってきてぺらぺらめくっている段階、まだ勉強前のウォーミング・アップだ。
今まで学んだどの言語よりも、難しい。
(新しい言語に向かうときは、いつもそう思う)

その言語とは、中国語、である。
なんせ、漢字が難しい。
アルファベットと違って、いっこいっこの漢字の読み方を覚えなくてはいけないのも難しい。
発音も、てんで難しい。
ふりがな代わりのアルファベットがないと、絶対に読めないような気がする。

そう思うと、はるかな昔、遣唐使・遣隋使の頃、中国に渡った人たちや、それ以前に交易に携わった人たちがいかに偉大だったかを思い知らされる。彼らには、今みたいに便利な『CD付!すぐに話せる中国語』という本だってないし、『簡単!イラスト中国語単語』だってない。
でもその彼らがやってのけたのだから。
…と、鼓舞しようとするのだが、どうも人間には、素質というものがあると思い知らされる。

私の語学の先生は、旦那さんだ。
旦那さんは、中国関係の研究をしているので、中国にもたびたび行っている。
だから、今後のために私も中国語ができないと…と思った次第なのだが、切羽詰らないと身につかないものでもある。
同じことを何度も聞いては、呆れられる。
(ちなみに発音は悪くないらしい、母音の発音が、フランス語に似ている部分があるからだ。短い間とはいえ、フランスに留学したことがこんなところで生きてくる。そういえば、中国もフランスも、同じ大陸なのだった。)

中国語ができるようになったら、上海に行ってみたいと思っている。
そもそもの中国語を始めようと思ったきっかけが、ある雑誌でみた上海のアンティーク・マーケットの写真だった。かわいいものがたっくさんあるように思えた。
一旦そんなことを思い出すと、例のごとく私の好奇心は、突っ走る。
シルクのすてきな生地が安く手に入るかもしれない、とか。
中国刺繍のすてきなファブリックでなにか作ってみたい、とか。
浮世絵の原型だと言われている中国の年画(春節のときに飾る版画・縁起物です)を手に入れたい、とか。
(全部が全部「お買い物」にひもづくあたりがポイント)

どなたか、中国語のよい覚え方(簡単、かつ、わかりやすい)をご存知でしたら、ご教授ください。
また、「このテキストはよかった!」というものがありましたら、ぜひ、お知らせください!!

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February 22, 2007

ためいき。

はるが近頃好む遊びに、「いってらっしゃいごっこ」がある。
出かけるはるおとうさんに、「いってらっしゃい、気をつけてね」と声をかける。
はるおとうさんは、車に乗ってリビングから隣の和室に出かけることもあれば、書斎からベランダへ出かけることもある。
「ぴんぽん」とベルを鳴らして帰ってきて、「ただいま」をする。
その後、「ふうー」と大きいため息を、必ずつく。
そして、「おかえりなさい」というと、お土産をくれるのだ。

「ごっこ」遊びは家庭をそのままにあらわすというが、この大きなため息がとっても可笑しい。
ため息なんてついていたかな?と不思議に思って、普段の暮らしで気をつけてみると…やはり、大きな大きなため息をついていた!
買い物帰りで重い荷物を降ろすとき、遠出してはるを抱っこし続けたとき、自分で気づかずに「ふうー」と大きなため息が出ていたのだ。
はるはそれを見て「こうするものだ」と覚えてしまったのだろう(笑)。
そして「お土産」は、旦那さんが帰りに買ってくるコンビニの袋の模写で、中身は旦那さんの飲むお酒なのだけど「お土産」と手渡されてテーブルに持っていくのがはるの役目なので、はるの「ごっこ」遊びの中には必ずお土産が含まれるらしい。

こどもの行動から自分達の「知らないうちに行っていること」が見えてくる。
楽しくもあり、ちょっと恐ろしくもあるのだが、こどもというのは、本当にいろんなことを見ているものだ。
とうの昔に「立派な親」への道を捨てたのだけれど、はるに真似られると改めて気恥ずかしいような気もしてくる。
幼稚園に入ったり、口が達者になってきたりするとなおさら顕著にそういう状況に陥るのだろう。
立派な親には「なる」わけではなくて、きっと状況から「させられる」に違いない。
そんな大きな力を持つ「こども」、改めてすごいやつだと思った。

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February 21, 2007

夢のチョコレート。

070214_10180001ヴァレンタイン、にぎわう店先に、すごいものを発見した。
なんと、映画『チャーリーとチョコレート工場』で登場した、ウォンカ・チョコレート。
普通の板チョコの1.5倍くらいの大きさがあって、厚みは2倍もある。
それもそのはずで、なんとチョコレートには、キャラメルクリームとライフパフがつまっているのだ!!
胸躍る、のは、映画の中の「夢の」チョコレートが現実に姿を現したから。
すごく嬉しくなって、「旦那さんとはるに」という名目のもと買い求め、自分もご相伴に預かったのだが――こどもと大人の違いは、心や体の成長に伴った変化の他、味覚の変化、というのもある。
すっごく甘ーいチョコレート、期待とは裏腹に、一日に一粒しか食べられない。
甘すぎて食べられないのだ。
自分の中にある「こども」の部分を失ったようで切ないような、でもその分楽しみが長く続くと考えれば嬉しいような…やや複雑な心境。
でもまあとにかく、映画を思い出して食べるチョコレートは、やはりおかっぱ頭のジョニー・デップがいかつい顔のウォンカに指示を出して作っているのだろうかとか(もちろん現実にはそんなこと、ありえないのだが)、夢を膨らませてくれる。

夢は、こどもにも、大人にも、心の糧であるに違いない。
空想とも妄想ともつかないそれを育むことは、いくつになっても、実に楽しいひとときだ。

極甘チョコレートと苦いエスプレッソを用意して、今度はじっくりと原作に読みふけってみようと思う。

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February 20, 2007

お手伝いにいそしむ。

070215_16010001はるは近頃、お手伝いをいろいろしてくれる。
中でも、買い物に行った時は特に熱心だ。
ホームセンターでは、自分の体ほどもある、オムツの袋を一生懸命レジまで運んでくれる。
(床をずるずると引きずっていく姿が、ちょっとかわいい)

また、スーパーの食品売り場では、商品に迷ったときの吟味にはじまり、買い物後にカゴやカートを返しに行くなど、私が教えたことがないのに、自発的にお手伝いをしてくれる。
「自発的に」お手伝いをする子どもなんて、初めて見た。
というのは、私は記憶にある限りそんなことをした覚えはないのであって、自分が楽しいから遊びの延長として手伝ったことはあっても、「手伝う」という意識なぞ、まるでなかったのだ。

はるにしても、これは遊びの延長線上にあることなのかもしれない。
だとしたら、その楽しさをずっと持続させてほしいものである。
それがいつか自然と「習慣」化したら、名作『若草物語』のような、心優しい人になるかもしれない。
…こうやって自分ができなかったことを子どもにさせようとして、成功した例はないとも聞くが。

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February 19, 2007

ダーツを楽しむ(本で)。

070209_21130001先日、ある文具屋/本屋さんで、面白いものを発見した。
ブック・ダーツという。
金属製の小さなしおりなのだけど、しおりの先がちょうどとある1行を指す。
本で楽しむ、ダーツというわけ。

誰かに本を贈るときや、本をお貸しするとき、あるいは自分ででも、お気に入りの一行をこれで示して、というのはなんとも粋な感じがする。

というわけで、早速箱入りのを買い求めた。
(10個くらいがついた小分けタイプと、箱入りのお徳用があった)
アルミの箱もまた、レトロな感じがたまらない。

本の楽しみが、またひとつ増えた。

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February 18, 2007

ちょっと寂しい話。

近所にある個人商店が、1月いっぱいで閉店した。
お肉屋さんと、酒屋さん。

お肉屋さんは、お芋とひき肉の入ったコロッケや、キャベツとお肉のぎっしり詰まったメンチカツ、自家製焼き豚がとてもおいしかった。お肉屋さんで買ってきたお肉は、歯ごたえが一味違っていて、我が家では時々ここのお肉をいただいていた。お肉屋さんのお肉は、「あ、今日はお肉屋さんに行ったんだね」と旦那さんが必ず気づく。
味というのは、純粋な味覚だけじゃなくて、触感にも関係があるんだと思っていた。

酒屋さんは、天然酵母のパンや、鎌倉ブレンドのコーヒーを、それぞれ他のお店から取り寄せておいてくれていた。私達が引っ越してきた頃から、あまりお客さんは見かけなかったけれど、同じ団地の人たちの中には、お昼にここで天然酵母パンを買ってくるのが楽しみな子ども達もいた。

なんだか、残念だ。

徒歩5分にある大型スーパーは、確かにものが豊富にあるし、買い物をするのも1箇所で済むから便利ではある。でも、そこにはない、なんというか「暮らしの空気」みたいなものが、個人商店にはあるような気がするのだ。
そう言いながらも、私自身利便性の方に引き寄せられているのだから、お店を畳んでしまった個人商店に対しては何も言えない。ひとこと言うとしたら「お疲れ様でした」という、なんだか無味乾燥なものになってしまうのかもしれない。
コロッケも、メンチカツも、天然酵母のパンも、確かにスーパーにも置いてはいる。
でも、やっぱり、なにか違うのだ。

便利なものというのは、心の奥にあるものを、なんだか失わせているような気がしてならない。
不便になれというのではないけれど、どうも、寂しい気持ちが募る。
「商店街」という、昔ながらの良さが、失われつつあるのが寂しい。
自分の暮らしのまわりを思うと、私が子どもの頃は、まだ少し「商店街」が元気だった。
それが大型店の進出とともにどんどん廃れ始め、今はわずかに数店舗があるに過ぎない。
上京して初めて住んだ中板橋(弟の部屋にひと月居候させてもらった)や、駒込の、活気ある商店街にひどく感激したことを覚えている。
「ああ、ここには、昔がまだある」と、変なことを思ったりもしたのだ。

ねじめ正一さんのご著書に『高円寺純情商店街』があるが、あの雰囲気が私はなんだか好きだ。
それと似た気配を感じて、いま、向田邦子さんの『寺内貫太郎一家』をじわじわ読んでいる。
小林亜星さん主演のドラマで、ご存知の方も多いと思う(だが、調べてみたら、なんと’74年の放映だった。私はまだ生まれていない)。ドラマの方は私も見たことがないのだけど、機会があったらぜひ見てみたいと思っている(『奥さまは魔女』の次のマイブームは、これかもしれない)。
いずれも、今はそんなに見られなくなった風景かもしれない。

幸い、鎌倉の真ん中では、まだ商店街が元気だ。
そこに住まう人々の暮らしも、観光の人も、全部ひっくるめて「ふつうに」暮らしている商店街は、懐が深い。
人が集い、暮らしが生まれ、商いが始まり、暮らしが潤い…等々順序もあろうが、場所柄にも、お店の商品にもよるのかもしれないが、個人商店、なんとかがんばってほしいと、つくづく思う。

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February 17, 2007

江ノ電の旅。

070213_14460001天気のよいある日のこと。
家でただ遊んでいるのもなぁ、ということで、はるのお気に入り・江ノ電に乗りに行くことにしました。
24日にイベントを開催する、由比ガ浜界隈をお散歩して、ぶらぶら楽しもうという魂胆。

なんだかこの日の江ノ電は、デコラティブな青い車両で、はるもちょっと興奮。
いつものレトロな緑色の電車もいいけれど、これははるの大好きな青なので、わくわくしたみたいです。
最近は、私のひざの上では満足しません。
自分もちゃんと座席に座りたがります。

この日は電車が動き出すと拍手をしました。
向かいの席に座っていた、高校生くらいのお姉さん達がにこやかに見ていて、はるも照れつつにっこり。
窓から差し込む暖かな日の光が、とても気持ちいい一日でした。

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February 16, 2007

かっこいいなと思うこと。

070212_17330001かっこいいな、と思うことがある。
それは、買い物の際の、マイバッグ。

ヴァレンタイン前、マイバッグ持参の買い物を煽るイベントも行われたようだけど、私が注目したキッカケは、昨年の夏に近くの市場で見かけた、素敵なご婦人だった。
夏大島をさらりと着こなして、蔓で編まれたかごを持って、市場を買い物する銀髪のご婦人。
すごく粋で、格好良かった。
背筋がシャンとしていて、あごあたりで切りそろえられた髪にはふんわりとウェーヴがかかっていて。
裾のあたりが陽に透けて、とても涼しげだった。

それで早速真似ようとしたのだけど、籠って意外とかさばるし、小さな鞄で出歩きたいことも多いので、考えあぐねていたところに、「出会い」があったのです。
インポートものの雑貨屋さんで見つけた、折りたたみ式のサブバッグ。
写真にある、鞄の横につけた、緑色のこぶりなものです。
これなら、小さな鞄にぶら下げて歩いても邪魔になりません。
柄も豊富にあって、迷ってしまうほど。
それに――とってもリーズナブルでもありました。

普段はこんなに小さいのに、いざとなると、買い物袋2つ分くらいが入ってしまう優れものでもあって、重いものを買ったときなどは、取っ手を肩にかけてもいたくならないし、とっても便利。
マイバッグは、買い物袋だらけになりがちなショッピングに一石投じてくれました。
使い勝手がとてもいいです。

いつか、あのご婦人のように、かごを持って着物で颯爽と、市場に行ってみたいという夢は、もちろん捨てていません。…いったい何年かかるやら?

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February 15, 2007

春野のパスタ。

070212_11460001最近我が家で好評を得た、「春野のパスタ」をご紹介いたします。

〔材料〕
たけのこの水煮(小ぶりのものがお勧め)
鶏もも肉
菜の花

白ワイン
白ごま
マヨネーズ
和からし

あらびきこしょう
ごま油
しょうゆ
そしてもちろんパスタ
(1.4~1.5mmくらいの細いものがおいしいです。ディチェコなら10番がおすすめ)
もしあれば、桜の花の塩漬け 1つ~3つくらい

〔1〕
パスタをたっぷりのお湯でゆでる
塩加減はほどほどで。
もし桜の花の塩漬けがあれば、沸いたお湯をほんの少しとって、桜をひたして塩ぬきします。

〔2〕
鶏もも肉をひとくち大にスライス。薄めの方が、口当たりがよいです。
(もも肉じゃなくてももちろんよいのだけど、もも肉のぷりぷり感がよく合います)
菜の花は、3センチくらいの長さにざくざく切ってしまう。
たけのこの水煮は、5ミリ厚くらいにスライス。
ひと口ふた口で食べられる大きさにする。

〔3〕
フライパンにごま油を少々ひき、鶏もも肉を炒めます。
表面に焼き色がついたら、白ワインをいれます。分量は、フライパンの底がかぶるかどうかくらいまで。
(桜の塩漬けをもどしたお湯も、ここに加えると風味が増します)
続いて、たけのこ、菜の花の茎の部分をいれます。
塩を少々加えて、よく火を通します。
火が通ったら、菜の花の花芽の部分をいれます。

〔4〕
パスタが茹で上がったら、一旦ざるに上げ、〔3〕に加えます。
白ごまを散らし、しょうゆで味を調えます。
よく混ぜ合わせましょう。
混ざったら、お皿に盛り付けてしまいます。

〔5〕
今度はフライパンに、マヨネーズ(大匙1/2くらい)と、和からし(小さじ1/4くらい・お好みの量で)を入れます。これを油の代わりにして、スクランブルエッグを作ります。
卵をといておきます。
中火くらいで、マヨネーズ・からしと合わせるように手早くスクランブルエッグにしてください。
(こどもちゃんも一緒に食べる場合は、からしヌキで作るのがお勧めです)

〔6〕
〔5〕のスクランブルエッグを散らして、真ん中に少し多めに盛って、さくらの花を飾ります。
好みであらびきこしょうを振って、さ、召し上がれ。

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February 14, 2007

カヌレをみっつ

街で時々見かける、フランス系のパン屋さん。
その看板を見かけたとき、大脳中枢から信号がぴぴっと送られて、私は無性にカヌレが食べたくなった。

カリカリモチモチの食感と香ばしいスパイスの香り、表面いっぱいにかけられた、ほろ苦さを含んだ甘い蜜。
それらが口の中で、信じられないくらいにとろけるお菓子、カヌレ。

いてもたってもいられず、店に吸い込まれていった。
店には空席がなかったが、ああ神様、まるで私のために準備されたように、一番端の席の女性が席を立った。
きっと今日という日は、カヌレを食べるためにあるに違いないとさえ思った。
それで私は幸福な誤解を胸に、ワクワクとカウンターに立ち、ショーケースを覗きこんだのだが――
ない。
カヌレが、ないのだ。
信じられなくて、店の端から端まで視線を走らたが、やっぱり、ずんぐりむっくりした黒い菓子は、ない。
仕方がないので、注文を待ちわびる店員に、カフェオレ(メニューには、ちゃんとフランス風に、カフェクレームと書かれている)とだけ告げた。

がっかりしながら本を読む店内には、店員の女の子の妙に高い声が耳に響いてくる。
持ち帰り客の注文を繰り返しているらしい。
「…パンオショコラ、それから、カヌレ…」
カヌレ?
私は本から顔を上げた。

三人いる店員のうち、どの人が今、カヌレといったのか?
目を皿のようにして探したのだけど、カヌレの姿はない。
なにかの聞き間違いだったのだろう。
ところが、また少しすると、「カヌレをみっつ」という言葉が聞こえてくる。
でも、そう言った店員は、およそカヌレの愛らしいたたずまいとは似ても似つかない、無骨な食事パンをつかんでいる。

ああ、カヌレ、カヌレ、カヌレ。
会えない時間に愛が育ち、
その日以来、とても、カヌレが食べたい。

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February 13, 2007

くまの運命。

070209_18000001みなさん。
明日は、チョコレートの日です。
かわいいチョコレートやゴージャスなチョコレート、おいしいのに風変わりなの、いろいろなチョコレートにお目にかかれる、チョコレートの祭典です。

今年は小さい子のために、くまの形のかわいいチョコレートを発見しました。
チョコで作ったテディベア、大きさも小ぶりで、はるの口でも一口サイズ。
外出の際にこれを見つけ、嬉しくなって帰ったのです。

ところが。
はるというのは不思議な生き物で、紙袋をみただけでお菓子をかぎわけるすごい能力を持っています。
この日も例外ではなく、私が着替えている間にさっさと、袋からチョコレートの箱を取り出してしまいました。
(ちなみに旦那さんにはアーモンドチョコレートとマカダミアナッツのチョコレートを買ってきたんだけど、彼も同様でした。さすが、親子と、言うべきか。)

なので、これはもう、仕方ないとして、「チョコレートの日」本番には、チョコレートケーキを焼いてあげようということに結論し、彼らはもうチョコレートを食べていいことにしました。といっても、自分の中で。だって、そんなことお構いなしに、彼らはもう食べ始めていたのです。

さすがにチョコくまはかわいいので、一枚写真に収めました。
その後、外出用のワンピースから部屋着のジーンズに履き替え、戻ってみたら…ないのです。
一匹たりとも、残っていないのです、くま。
時間にして3分ほどと思われるのですが。
それで息子はというと、これもまたいないのです。
ピンときて、キッチンに行くと、冷蔵庫の前にたたずんでいました。
…そう、一気食いしたので、口直しに牛乳が飲みたいんです、彼。

正直を言うと、一匹くらい、私も食べたかった。
旦那さんもそうだったらしい。
しかしもう、あとのまつり。
一瞬にして、くまは、すべてはるのおなかの中へ、旅立っていたのでした。

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February 12, 2007

おにぎり、おむすび。

近頃見た映画の共通点。
それは、「おにぎり」。

先日ちょっと触れた『間宮兄弟』と、ブログを読んだ旦那さんが早速借りてきてくれた『かもめ食堂』なのだけど、どちらにも、おにぎりが出てくる。
『間宮兄弟』では、兄が落ち込んだ弟につくってあげるのが「塩むすび」。
『かもめ食堂』では、メインメニューが「梅、鮭、おかかのおにぎり」。
見ていると、おにぎりがとっても食べたくなるのだ。
(そんなわけで私は雨の中、大荷物の上に米までを買い込んだ:詳細は昨日に譲る)

『間宮兄弟』は、小説がとても好きだったので、楽しめた。
小説の1シーン1シーンを思い出しながら観た。
(どちらかというと、小説の方がちょっとだけ好きだった)

『かもめ食堂』は、「絶対あなた好みだと思う」と真剣に薦めてくれた友人が3人もいた(笑)。
私が大好きな女優さんばかりが出ていて、フィンランドという舞台もとても素敵で、食器やらファブリックやらインテリアやら、ひとびとの間のなんだかのんびりとした空気も、薦めてくれた人たちの言うとおりだった。
素敵、と思ったものは数あれど、とくに、憧れの人・もたいまさこさんが着ていた、鳥の柄のシャツ。
あれは私も着てみたいと本気で思った。

さて。
おにぎり、というのと、おむすび、というのでは、同じものを指しているのでも、微妙に印象が違わないだろうか。
何かの本で読んだのだが、「おむすび」という言葉には、心と心を結ぶという意味をこめているのだそう。
だから、正しくは、その相手のことを思って、心をこめて握るのだとか。

青森県弘前市に、おむすびの上手なおばあさんがいるらしい。
おむすびに上手も下手もないのだが、心と心を結ぶ名人。
佐藤初女さんという。雑誌の記事を読んだだけで、心に響くなにかが押し寄せてきて、涙ぐむほどだった。
もし弘前に行く機会があれば、この人に会ってみたい、と思う。

ふたつの映画を見て、なんだかこの、おむすび(おにぎり)の上手な人を思い出した。
佐藤初女さんのようにはいかないが、それでも、子どもや兄弟との家族のこころくらいは、むすびたいものだ。

そういえば、映画の中にこんな言葉もあった。
「おにぎりは、人に作ってもらったほうが、おいしいんだ。」
(不埒な私などは、「だからおにぎり屋さんのおにぎりはおいしいのか!!」と頷いてしまった。)
泣きながら食べる、にいちゃんの塩むすびも、
遠い異国の地で人の心をむすび続ける梅・鮭・おかかのおにぎりも、
ただごはんを丸めただけではない「心」が、ぎゅうっと握りこまれているのだろう。

そんな、しみじみとした「心」を味わいに。
さあ、映画と一緒に、おにぎりをどうぞ。

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February 11, 2007

かわいい女房。

雨が遠慮がちにぽつぽつ降ってきた
バスから降りた私は、ぱんぱんに膨らんだ鞄と旦那さんに頼まれたアーモンドチョコレート、友達の誕生日プレゼントなどを抱えて少し途方にくれた。
傘を持ってきながら、一緒に買い物をしてくれないものだろうかと淡い期待を胸に旦那さんの携帯を呼び出すと、彼は三連休に自分が買いに行くから、帰っておいでという。
「でも、トイレットペーパーが最後のいっこだよね。」
「うん。」
「ティッシュも確か、最後のひとはこだよね。」
「うん。」
「お米も、もうないんだ。」
「そう。」
「それで、雨も、降ってきた。」
「じゃあ、気晴らしに、本屋さんに行って気に入った本でも買ってきたらいい。」
「雨の中で本を?」
ずぶ濡れで本をめくる自分を想像して笑い出してしまった。
旦那さんはさらに続ける。
「傘でも買ってさ。ゆっくりしてきたらいいよ。」
確かにありがたい話ではあった。しかし、いま一度聞いてみる。
「でも、ごはん、食べたいよね?」
彼は力強く、うん、といった。
「…わかった。なんとかする。」

かわいい女というのは、こういうとき、すなおに男の言うことに甘えるのだろうが、
そこに「房」の字がついて、
女房になると、
多少無理をしてもなんとか完遂する方が、よい評価を受けるというのは、私の偏見だろうか。

なんとかする、とは言ったものの、
それは結局は手が抜け落ちそうなのを無理して持って帰る以外にないのである。
(まさか徒歩5分の距離にタクシーでもあるまい。)
そして、なにせ小ぶりとはいえ雨なのだから、途中で荷物を降ろして一休み、ということもできない。
なかなか過酷な試練なのである。

それでもなんとか家にたどり着いた。
私は自分の中に、女の執念というやつを見た。少し誇らしかった。

「ただいま。」
家に入ると、はるがまず、サンタクロースよりも大荷物の私を見て、逃げていった。
トイレットペーパーとティッシュボックス(5個組)を入れた大きなビニール袋だけでも、はるの身長をゆうに越していたからかもしれない。
「おかえり。」と、書斎から出てきた旦那さんは、その荷物を見て、「こんなに持ってきたの?よく持てたね。信じられない。」
信じられない、である。小ぶりの中、傘をさす余裕もなく(ささないでも済む程度だったのだけど)重い荷物を持って帰ってきた女房には、褒め言葉には聞こえない。
まして、「かわいい」女房には、ほど遠い。

そんなに無理をして米まで買わなければいけなかった理由は、明日に続く。乞うご期待。

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February 10, 2007

しみじみ。

しみじみ、ということが、たぶん私は好きだ。
心もとないような言い方になるのは、自分のことなど、自分では良く分かっていないかもしれないからで、明日には全く正反対のことだって、同じような真面目さで話してしまうかもしれないからだ。
そうとはいえ、その両方には共通項も、何かしらはある。
たとえばそのひとつが、しみじみ、というキーワードなのかもしれなかった。

電車の中、本の一節に、ひどくしみじみさせられる部分を見つけた。
いわく、「仕事とは誰かのためにすること」で、「その「誰か」をできるだけ笑顔の方向に近づけること」。
ああ、本当だなぁ。
しみじみ、そう思った。

本のタイトルは――これがまたそそるのだが――『それからは、スープのことばかり考えて暮らした』。
しみじみするタイトルである。
そして中身もまたおなじように、しみじみ楽しい、小説なのである。
私の大好きな吉田篤弘氏の小説で、これを読んでいると、どうにもこうにもスープが飲みたくなってしまう。
幸か不幸か、私のすむ町の駅には、スープ屋さんがある。
思わずかけこんでしまいそうだった。
しかし、ぎりぎりのところで、やめておいた。
ここでスープを飲んでしまうことで、小説に描かれている特別なスープと、現実世界にある具体的なスープの味が結びついてしまうことを、避けたのだ(なかなかの精神力を必要とした)。

おいしいものは、人をしみじみ幸福にする。
そして、心地のよい小説というのもそれに似て、しみじみと幸福にしてくれるに違いない。
そういう、しみじみとしたものを、私は暮らしの近くにいつも感じていたいと、そんな贅沢な願望を抱いている。
願わくば、そんなしみじみとしたものを、他の「誰か」に届けられたら幸せだとも、思っている。
その「誰か」を笑顔の方向に近づけられたら――例えほんのちょっとだとしても、生きている意味というのが、ぼんやりと感じられるのかもしれない。

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February 09, 2007

ピクニック。

070205_13520001満開の梅を見つけた。
近くのお宅に、白梅がたわわに咲いていた。
あたたかくなったことだ。

はるは、家から一歩出ると、三輪車に乗りたがる癖ができたらしい。
日に何度でも、三輪車に乗って出かけていく。
これから昼食の用意をするという予定も、全く考慮されない。
通常はそこでひともめしていたのだが――
じゃあ、今日は、ピクニックにしようか。
そう言って、手抜きすることを覚えた。

近くのお弁当屋さんに行って、唐揚げ弁当ひとつ、と注文する。
揚げる時間だけ待っててね、と、店のおかみさん。
息子さんとおぼしき人とおかみさんが二人で切り盛りしている。
小さいけれども、美味しさが評判なのか、なかなか繁盛している店だ。
いわゆるチェーン店ではなくて、生粋の(?)、お弁当屋さん。
はるは紙パックのアップルジュースを、私はホットの緑茶を買って、店の外にあるテーブルに座る。店の奥のほうから、唐揚げのあがるジュワジュワいう音が聞こえてくる。それと、良いにおいも。
はるもおとなしく待っていてくれる。その場所からは、電車も見える。

大きな唐揚げ4つ。
ポテトサラダ(コーンの黄色がきれいで、隠し味にツナが入っている)。
味のしもったがんもどきと、緑の豆のひろうす。
刻んだしば漬けと、たくあん。
下には、ぎっしりひかれたキャベツの千切り。
ほかほかのごはん。

写真をご覧いただくとわかるように、唐揚げは大きすぎて、器からはみ出ている(笑)。
なかはジューシー、そとはサクサクの、おいしい唐揚げだ。

公園のベンチに座って、お弁当を食べ始めるのだが、はるは一向に寄り付かない。
彼にとっては、あくまでも、「三輪車」がメインらしい。
お弁当を半分残して家に帰ると、それまでの無関心を一気に取り戻すように、すごい勢いで食べだす。

それもまた楽しい、早春の日なのである。

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February 08, 2007

大正なもの。

070207_19200001_1ふと通りすがりの骨董屋さんで、大正時代のものという杯を手に入れた。
さまざまな種類の菊のほか、瓦の下に漢字で一字、「水」と書かれている絵柄である。
ちょっと謎めいているところが、また気に入った。

菊がこれだけ描かれているということは、9月9日の「重陽の節句」――その日に菊の花の酒をのむと邪気を払い、長寿を得るという――の日のために作られたもの?と思った。
しかし、そう考えると、瓦に「水」が分からない。
瓦に「水」――火事除けかしら?
となるとまた、菊との関わりが分からない。
分からないのだが、なんだか魔を払ってくれそうな、いい雰囲気を持っている。

小ぶりな碗型で、手にすっぽりと収まるのもとてもいい。
なにより、この杯で飲むと、お酒もよりおいしく感じられるから、重宝だ。
骨董のいろはもわからないのだが、気に入った器があるというのは、幸せなことと思う。
真贋のホドは、鑑定家に任せれば良いのであって、財産として保有するわけではない私には、こんな、日常に添った器が、とても嬉しい。
骨董というよりは、古道具。そうだ、そっちの方が、ぐっとしっくりくる言い方だ。

幸い鎌倉という場所は石を投げると骨董屋に当たりそうなところで、敷居の高いお店から気楽に冷やかせる店まで、ありとあらゆる骨董屋(古道具屋)がある。
当然のごとく私は後者のお店にしか入ったことがないのだが(前者には、入ったが最後二度と出られないような気がして)、ときどきちまちましたものを手に入れて、大満足で帰ってくる。
今年は、そんなとっておきのお店を、皆さんにもちょっとだけ紹介できればと思う(でも、ちょっとだけですよ。私自身、まだまだ知らないところばかりなので…)。

ちょっとなぞめいた、大正なものをみかけたら、ぜひ私にも教えてくださいね。

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February 07, 2007

おうち飲み会。

私のかつての自慢は、とある年の12月、31日中25日、それぞれ別の人たちと、忘年会をしたことだった。
つまりそれだけ「飲み会」というシチュエーションが好きだったのだが、酒には飲まれるタイプなので、おそらく迷惑をかけられたという諸姉諸兄も大勢いたことと思う(この場を借りてお詫び&御礼申し上げます)。

で、結婚して以来、何がなくなったかというと、この「飲み会」がまるでなくなった。
年に一度、極楽三十路堂の面々と旅行に行ったときが、せいぜいその様相を呈しているくらいのものである。
実際に、主婦が、飲み会に出かけようと思うと障害があることの方が多いように思う。
子供があるならなおさらで、かつての「飲み始め」時刻は(仕事柄一般のそれに比べるとやや遅いのも手伝って)、大抵子供の寝かしつけの時間帯に重なっている。
口惜しいことではある。

そんな状況において、束の間、「飲み会」の楽しさを味わえることがある。
そのイベントこそまさに、家で旦那さんとはると一緒に行う「おうち飲み会」だ。

つい昨日も、そんなイベントを行ったばかりである。
ことの発端は、旦那さんが仕事帰りに、私がずっと見たがっていた『間宮兄弟』のDVDを借りてきてくれたことだった。
原作小説がすっかり気に入っていた私は、そのためにわざわざ暮れなずんだ町の中を、カレーの材料と飲み会のつまみを買いに、スーパーまで出かけたほどである(『間宮兄弟』ではカレーパーティが行われるのだ)。原作ではいったいなんのカレーを作ったのだったのか思い出しきれず、相当悔しい思いを抱えながら、会計を済ませた(結局スペアリブカレーにした。奮発してワインも買った。キャンティの赤)。

そして、飲み会。
カレーができて、食卓についてからDVDをかけはじめたので、予告編が終わるまでに一杯目のカレーを食べきってしまい、少々せつなかった。はるには、ルーをいれる前の、ポトフの状態で食べさせていたのだが、意外とカレー味も良かったらしく、味のしもった大根(日曜日にちろりん屋さんから大根を買いすぎたのだ)を、もしゃもしゃと食べていた。
はるは飽きるとDVDを変えたがるので、それを阻止するためにさまざまな手練手管を必要とした。
サラダ味のうまい棒(はるはこれが世界で一番おいしいものと思っている)。サッポロポテトベジタブル(はるはこれが世界で二番目においしいものと思っている)。それから餅焼き(これは添え物らしい)。うす塩味のポップコーン(これは私の趣味)。ヤクルト。アンパンマン印の飲むヨーグルト。
時にはるの横から大きな手がひとつふたつ伸びて、一緒に平らげた。

おかげで最後までDVDは完走し、エンディングに流れるラップ(?)にはるはノリノリで、小刻みにステップを踏んでいた。
私はといえば、ワイン1/2本(でも、もともとがハーフボトルだ)、ビール1缶、カクテル1缶を開けて、実に久しぶりに、ほろほろ酔い気分。
「飲み会」こそなかなかお目にかかれなくなったけど、家での、こんなひとコマが、なんだか妙に楽しく嬉しく感じる。

その気になれば、毎日一緒に「飲み会」ができる同志がいるってことが、結婚の真髄ってやつなのかもしれん。
しかも、酔った後、家に帰る心配がいらない。なんて素晴らしい。
ほろほろ酔いの頭には、我ながら冴えた考えだと思える。

実際に「おうち飲み会」が行われるのは、月に1回もなく(シーズン1回~2回くらいだろうか)、今回も実に4~5ヶ月ぶりの開催ではあったが、改めて、楽しいなぁとしみじみ思える。
今度はぜひ、『かもめ食堂』を見ながら、近々「おうち飲み会」をしたいと、思っている。
(旦那さん、もしこのブログを見ていたら、ぜひレンタルを、どうぞよろしく。あなたの好きな油揚げのカリカリ焼きを作りますから。)

余談:12月に25日間も忘年会をやった年には、流石に少ないボーナスをすべて飲み会に投入しきって、年明け妙に懐が寂しかったのを思い出します。皆さんも、ご利用は計画的に。

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February 06, 2007

陰影礼賛…?

近頃はるが、日中リビングの電気をつけていると怒るようになった。
はっきり申し上げて、家は暗い。
南中高度の最も大きい時間帯でも、部屋のちょうど真ん中にあるリビングには光が届かず、逢魔ヶ刻くらいのうす暗がりだ。

いかにしてはるが、この時間に電気をつけないことにこだわりだしたのかは、はなはだ疑問である。
確かに彼が常に遊ぶ和室にいれば、ある程度の照度は獲得できる。
しかしそれも、光がじかに差し込んでくるのはせいぜい午前中であり、午後ののんびりしたい時間帯には既に暮れなずんでいるのが常である。

それでも、例えば外出から帰ったときなどに、暗いからと電気をつけると、激しく泣いて怒られる。
そのすさまじさといったら並大抵のものではなく、騒音計で一度はかってみたいと思うくらいである。

ソファで本が読みたいからと思っても、駄目である。
遅めの昼食や、おやつを食べたいからと言っても、無理である。

確かに日本の美の文化の根源は陰影礼賛であるかもしれないが、お茶くらい明るいところでゆっくり飲みたいものだと私は思う。片手に本を持ち、ソファに寝転び、時折カフェオレやミルクティーを飲みながらページをめくる幸せが君にはまだわからないのか、と2歳児相手につい熱弁をふるってしまったりする。
だが。
はるは誰に似たのか非常に頑固者である。
絶対に許可しない。

かくして私は、騒音に耐えるか、読書をあきらめるか、決断を迫られる。
いったい、はるに何が起こったのだ?
幼児に陰影礼賛を教え込んだのは、いったい誰だ?
もしくはエコ運動の一環?2歳児が?
と、首を傾げるばかりなのである。

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February 05, 2007

かぶりもの。

070131_22020001はるはかぶりものが嫌いだ。
帽子などは特定のものしかかぶらない。
しかし。
このモコモコセーターは、どういうわけか、かぶりたがる。

はるは眠るときに布団をかけるのが大嫌いで、真冬だろうがかまわずパジャマのみで眠りたがる。
そのためよく風邪をひくので、寝るときにはこれでもかというくらい厚着をさせて、ちょっと走ろうものなら汗ばむほど着込んでから寝せている。
いつもは大体、長袖の肌着(厚地)に、腹巻に、トレーナーに、このモコモコセーター。
ズボンは起毛のものを着せて、寝せている。

ところが、たぶん暑がりのはるは、「モコモコセーターを着る=寝せられる」という発想も手伝ってか、おとなしくセーターを着てくれない。
セーターは、頭からかぶせる→片手を袖に通す→残りの手を通す→肩のスナップをとめる、という工程で着せられる。
それをはるは知っているので、頭からかぶせられた後、自らぐいと引き上げて、セーターから頭を抜こうとするのだ。
うまくできないので、このような、羊の子のような格好になる(後頭部からだらりと垂れ下がった袖が、あたかも耳のように見える)。
ふたりほどいる親馬鹿が「迷えるこひつじ」などと喜んではやし立てるので、本人もいい気になって、遊びだす。
そういうカラクリなのだ。

そんなわけで、毎晩、ベッドのまわりをこひつじが徘徊するようになってしまった。
かぶりものは嫌いなくせに、割と楽しいようなのである。

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February 04, 2007

厄払い。

070202_20160001厄払いをしてきた。
わたくし、今年前厄なのである。
節分前までに払ったほうが良いとどこかから聞きつけて、急いで神社にいった(年中行えるそうなので、まだの人もご安心ください)。

八幡宮には長きに渡ってお世話になっている割に、初めてご祈祷していただいた。
(考えてみると自分でご祈祷を受けるのは、七五三以来かもしれなかった)
初めて本殿にあがったので、わくわくも、どきどきもした。
はると一緒に行ったのだけど、はる自身も、ご祈祷の雰囲気に嫌がることもなく、その一切を不思議そうに見ていた。

祝詞は、じつに心地が良い。
言霊の最たるものは、祝詞なのだという。
言祝ぎの詞は、本当に心にすうっとなじんで、気持ちが良い。
お祓いの過程で聞く紙垂の音も、鈴の音も、心地が良い。
はるは、祝詞が気に入ったらしく、奏上にあわせて足でリズムを取っていた。
「頭をおさげください」というと、一丁前にぺこりと頭を下げ、拍手も一緒に行うのだからおかしい。

帰りに、神様のおさがりを拝受した。
お菓子なのだけど、「ご神徳を感じつつ、ご家族皆様でお召し上がりください」とある。
お菓子は幸い3つ。
ひとりひとつずつをいただいた。

年明けからずっと「凶」「末吉」「小吉」しか出なかったおみくじが、
厄払い後に急に「大吉」だったのにも驚いた。
厄払いは気持ちの問題だとも聞くのだが、なんだかそれだけでもないようなことを思う(私自身、「思いたがり」なのだが)一日なのだった。

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February 03, 2007

小高い山からみえるもの

070128_11200001お世話になっている神奈川県立近代美術館葉山館さんの近くに、山口蓬春記念館がある。
12月葉山館での展覧会ですっかり虜になってしまった、蓬春作品に出会いに、wsの始まる前の時間を利用して、ここに出かけた。
葉山館前の大通りから、人が一人ようやく歩けるような、細い細い小道をのぼる。
二人並んでは歩けない道だな、とか、細いながらの風情があるものだな、とか思いながら。
質素な、でもわかりやすいプレートを見ながら上っていくと、すぐそばに記念館にあった。

画家の自宅兼アトリエを記念館として保存している、とても気持ちのいい場所だ。
奇しくも、ここの建築を行った方が、月末に予定しているイベントの会場となるところを作った方でもあった。
縁なのだろうか、不思議な符合である。

気持ちのいいアトリエからは、丁寧に手入れされた木々が、顔をのぞかせる。
使い込まれたソファに座って、ただぼうっと、窓の外を眺めた。
モダンな日本画はとてもすばらしくて、いつまでもじっと見入っていたいものもあった。
二階の和室アトリエにあがる。
和室を包み込むように廊下が張りめくらされ、障子を通したやわらかな光が画室に流れ込む。
廊下のガラス窓からは、景色がかげろうのように揺らいで見えた。
昔ながらのガラス、私の好きなガラスだ。
窓の外に、きらきら光る海が見えた。
ゆったりと構える海が、不意に家々の屋根から顔をのぞかせていた。
わざと廊下を行き来して、海をガラス越しに揺らす。
画家はここから何を見つめていただろう、そんなことに思いを馳せて。

とても気持ちのいい場所である。
春先は、花も咲き、さぞかし美しい場所であろう。
葉山館を訪ねられる方に、ここもぜひとお勧めしたい。
ゆたかな時間を、感じられるはずだ。

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February 02, 2007

電車と絵本と。

070121_15140001腹立ち紛れに書店に行って求めた本が、「はるベスト」の地位を保っている。
アナウンスもできる、絵本。
電車まわりのさまざまな音――ドアの開閉音やアナウンスをはじめ、走行音、踏み切り、スピードアップその他、実に詳細にいくつもの音が鳴る。
そこに加えてこの絵本の妙味は、マイクがついていて、自分でもアナウンスできるところにある。

はるはすっかり車掌さん気分である。
なぜか、取り巻きもいる(笑)。
クリスマスにお友達からいただいた、「ハイパーレスキュー」シリーズのヘリコプターと、トーマスの音の出るおもちゃ(写真にはうまく入らなかったが、はるの後方に控えている)。
大きさも違うのだけれど、同じ「クリスマス」にいただいたということで、はるにとっては兄弟のような扱いなのかもしれない。とはいえ、そんなに厳密な区切りでもないようにも思える。(同じときにいただいたはしご車は、他のトミカたちとともに「トミカ一家」とでも言うべき徒党を組んでいるからである)

絵本自体は、先日「立腹帖」という記事を書いた時に一緒に買い求めたのであるが、これははるが自身のお小遣いで買った本というところにも、今までのものとは一線を画す違いがある。
ひいおばあちゃん(ぴーちゃんと呼んでいる)からもらったお年玉で、はるはこの本を買った。
以来、毎日この絵本を、取り巻きともに、楽しんでいる。
時折アナウンスも入る。
「ううーぶふぶふ、ぷしゅー」
と、音にもならないようなアナウンスながら、確かに電車に乗るとそんなようなアナウンスをしている車掌さんもいたりするので、あながち舌足らずとも言い切れないだろう。

時々は、アナウンスを強要される。
「次は~はる駅~はる駅~」と言いながらこちょこちょするのが、とても嬉しいらしい。
忙しいからと邪険に扱うと、鼻を押される。
「め!」と言いながら怒っているらしい。絵本のマイクを通して「め!」されるときもある。
そんな様子に、ついほだされてしまう。
電車ばかり好きでいいのだろうか、と思うときもあるのだが、なんだか憎めなくて、ついつい甘やかしてしまう、だめ親なのである。

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February 01, 2007

焼きたての幸福。

070127_11500001ふと思い立って、パンを焼く。
2~3ヶ月に一度波がやってくる、「パンでも焼こうか」中毒だ。
パンを焼き始めるときは、大抵なにか煮詰ったものがあるときで、不思議とパンをこねている間に、自分が整理されてくるような気がする。発酵の時間などで、こまめに自分の時間が区切られているのも、いいのかもしれない。
手がけていたものを、ちょっとひととき休んで、10分くらいパン種をこねて、また1時間くらい机に戻って…としていると、なんだかいい具合に息抜き・ガス抜きになるようなのだった。

発酵が終わった直後の、イーストの香りが好きだ。
惑うような、甘くてなにか誘惑めいた香り(アルコールのようなにおいだからだろうか?)。
思い切り吸い込むと、眩暈さえする。
眩暈の向こう側にはふわふわのパンのやさしい甘さを思わせる香りも、ふうわりと漂う。

だいたいが、こね始めにはもっちりしているパン種が、あんなにやんわりとすること自体、面白い。
やわやわしたパン種をむにむにと引き伸ばすのも、楽しい。
ふうわりこちらを見つめているパン種に狙いを定めて一発パンチを食らわせるのも、罪悪感を伴いつつも、愉快だ。

我が家で今凝っているのは、絵本「こぐまちゃん」シリーズの中にある、『しろくまちゃん、パン買いに』をイメージして作られたレシピの、フランスパン。
おうちパンならではの、中がふうわり、表面パリパリの、ころんとした楕円形のパン。
焼きあがると、はるがいつの間にかすぐそばにいて、オーブンから取り出されたパンに拍手を送ってくれるのもうれしい。

はるは、ぱりぱりする表面をひとしきり食べてから、中のやわやわするところを食べはじめる。
薄焼きせんべいのような小気味いい音をわざと立てて、喜んで食べる。
やわいところは、御家来衆にも食べさせている。
「あむあむあむあむ」と言いながら食べさせて「あっおいし!」といってから、自分の口に運ぶ。

パンづくりを取り巻く一連の時間は、幸福なひととき。

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