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October 28, 2006

短編小説「真夏の雪」8

 小菊は彼らが近くを通ると必ず呼び止めてはグラスを手に取る。薦められるたび律儀に手を出しているうちに、ほろりと酔いが回ってきた。
「巽くんが名付けを引き受けるなんて、よほどあなたのひいおじいさんが気に入っていたのね。いわばあなたは二人分の祝福を背負っているってわけよ。あなた、今までにすごくひどい失敗ってしたことないでしょう。」
「それはどうでしょう…。でも失恋とか、受験とか就職とかで人並みに失敗してますよ。今の会社だっていつなくなるかわからないし。」
 小菊はグラスを私の鼻先に突き出すと、左右に振った。
「失敗したあと、もっとずっと好い状況にならなかった?」
 思い返すと、そのような気もする。
「目に見えるものだけが確かなわけじゃないってこと。」
 小菊はしたり顔で言うと、またウェイターを捕まえて、自分と私にグラスを受け取った。小菊は目が据わってきていたし、私はときどき床が動いているように思えた。それでも私達はグラスを交わし、小菊は更に酒を求めて席を立った。

 酔いを醒まそうと窓に寄ると、外はいつの間にか暗くなっていた。遠くに銀色の星達が瞬いている。星は綺麗に列に連なっていた。天の川が見えるのかと期待して目を凝らすと、目と鼻の先を魚が泳いだ。
 酒の幻覚かと思ったがそうではない。
 注意深く見てみると、窓の外は藍色の海で、遠く水に揺らぐ月影が銀色の光を差している。その光と窓からの灯りに照らされて、魚たちが背や鱗を銀色に輝かせながら、窓の外をゆうゆうと泳いでいるのだ。星だと思った銀色の光の正体は、魚だったのだ。
 驚くのはそればかりではなかった。
 景色も、ゆっくりにではあるが、動いている。じっと見ていると、風景は浅瀬を通り、珊瑚礁を抜け、深い海の底へと移り変わっていく。音楽がゆるやかに流れていくように、風景も変遷しているのだ。
 私は、ひいおじいちゃんの話を思い返す。
ひいおじいちゃんの語った竜宮は海の中ではなかった。しかし、不思議な屋敷であることはここと同じで、そこに住まう竜神は確かどこかに女物を身につけていたはずではなかったか。


※いかなる理由においても、この作品を無断で転載・放送・複製することを禁じます。

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