« 短編小説「真夏の雪」4 | Main | 短編小説「真夏の雪」6 »

October 25, 2006

短編小説「真夏の雪」5

 灯りが届かなくなり、あたりが闇に包まれそうになると、次の新しい灯りが見えてくる。しばらく歩くと、甘いようなじんと痺れるような良いかおりが鼻をくすぐりだした。やがて前方に光が見え、進むにつれてそれは美しい花唐草の形になっていった。透かし扉から、輝くような光と香のかおりがこぼれているのだった。
 巽が扉を押し開けると、隙間から生まれた一筋の光は、みるみるうちに美しく飾られた大広間の風景へと変わっていった。
あの半ば朽ちたような木造住宅と、今私が立っている場所が同じ場所とは到底思えない。この世のものとは思えぬほど、壮麗な風景に私は言葉を失った。
 高い天井の中央に据えられた大きなシャンデリアには、廊下の六角灯を小ぶりにしたものがいくつもいくつも連なって、流れるような三角形を描いている。うすい貝殻のかさは、そよ吹く風にも揺れてしゃらしゃらと軽快な音を立てた。壁紙は白く、雲母で刷られた雲龍の模様が繰り返され、シャンデリアの灯りが揺れるたびにきらきらと光を放って、広間全体を輝かせていた。輝きは床にもちりばめられている。海松色の絨毯は、明るいところで見ると、美しい松葉色と金糸が交互に織り混ざっていて、角度によって金色にも緑色にも変化した。
 遠くの方で、波の打ち寄せる音が聞こえる。見回してみると、広間の西の端には天井から床までの大きな窓があり、砂浜と波打ち際を映している。
 目を奪われている私に、巽が鼻を高くしている。
「本当に見とれて欲しいのは、そんなものじゃなく、あれさ。」
 巽の指差す先には、ひときわ美しいふたつの大きな家具があった。本棚か食器棚か、正方形の背の高い家具は背面しか見えないのだが、そこには貝殻を埋め込んだ美しい細工が隅から隅まで施してあった。見覚えがある地の模様は広間の入り口と同じ花唐草で、その上に重なるように、天に昇る竜と地に下りる竜がそれぞれ描かれていた。臙脂色の艶やかな木肌に螺鈿の虹色の貝がまばゆいばかりだ。螺鈿は、シャンデリアのゆらめく光の動きに沿って、虹色の光を立ち上らせるかのように、幽玄な美しさを放っていた。
「これを榮太郎さんに見せたいと、最後に会った時に話していたんだ。ただの家具じゃないんだ、これはね…」
 と話しかけたところで、巽を呼ぶ声が先を制した。低い艶のある声は家具の裏から響き、巽は肩をすくめると私の背を押して家具の向こう側へ導いた。
 家具と窓に仕切られた小部屋のような空間には、華やかな女性たちが五人ほど、涼やかな笑い声を立てていた。
 螺鈿の家具は、本棚だった。
 棚には上から下までびっしりと本が詰め込まれ、それぞれの棚板には、竜が雲間を飛ぶ様がやはり螺鈿で細工してある。棚だけではない。女たちが囲む楕円形のテーブルや、華麗な衣裳をつけた身を預ける背もたれの高い椅子も、皆揃いの螺鈿細工で誂えられ、そのどれもが、出来上がったばかりのように磨き上げられていた。私は  頭のどこかで曽祖父の竜宮の話を思った。
 巽が軽く手を上げると、女たちは含んだ眼差しで媚笑した。
「巽くん、遅かったこと。待ちくたびれたわ。」
 先ほどの声の主は、薄い水色の絢爛な着物を身に纏った、ひときわ端正な顔立ちの女性だった。彼女はテーブルに頬杖をつき、目が合うとかすかに口角をあげた。泣きぼくろが一緒に少し動いていた。ほくろまで綺麗だった。巽は彼女に片手で応えると、一番奥の女性に向き直った。
「りんどう、六花くんだ。」
りんどうと呼ばれた女性は軽く頷くと、目を細めて私のところまで歩いてきた。膝頭まで届く長い髪が一歩ごとに波打ち、ゆるやかな緑色の艶をなす。その身を包む淡紫色の綸子の着物と黒地の帯は他の女性達に比べて控えめで、彼女がもてなし役なのだとわかった。

※いかなる理由においても、この作品を無断で転載・放送・複製することを禁じます。

|

« 短編小説「真夏の雪」4 | Main | 短編小説「真夏の雪」6 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/83670/11089211

Listed below are links to weblogs that reference 短編小説「真夏の雪」5:

« 短編小説「真夏の雪」4 | Main | 短編小説「真夏の雪」6 »