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October 29, 2006

短編小説「真夏の雪」9

「綺麗だろう。」
 気づくと、巽が隣に立っていた。女物の帽子を斜(はす)にかぶり、彼はグラスを私に差し出した。中では、金色の液体が泡をゆらめかせている。
「榮太郎さんが見たがっていたよ、その景色。ここは夜会の時にしか使わない別荘でね。しかもたまにしか夜会は開催されないんだ。」
「百年に一度、ですか。」
「そう。小菊から聞いた?」
「いえ、りんどうさんに。」
「そう。」
 間違いない。ここは竜宮なのだ。私は自分が落ち着いていることに少し驚く。こどもの頃から聞かされていたせいか、怖さも感じない。それどころか、嬉しくさえあった。巽は何も言わずグラスを口元に運んだ。私は巽が弁解も説明もしないことに少し腹を立て、意地悪を言った。
「小菊さんて綺麗な人ですね。りんどうさんがいるのに、小菊さんとも仲良くしていいんですか。」
 巽はぷっと吹き出すと、体を反らして倒れそうになるほど笑った。
「君は真面目だな。六花くん、あれは男だよ。女に化けているのさ。まぁ間違うのも無理はない、あれは芸者屋をやっているからね。だが君、用心したまえよ。取って食われてしまうよ。」
 私は目を丸くした。走馬灯のように控えの小部屋でのことを思い出して、今更ながらに顔が赤くなる。巽はそれを見てまたからから笑うと、目に見えることばかりが真実じゃないさと少し遠い目をして私を見つめた。
「巽さん、ひいおじいちゃんと、どんなご関係だったんですか。」
「私も彼も本が好き、それだけの縁さ。古本屋でたまたま出逢ったんだ、二回もね。それだけなんだけど、私はどうも彼が好きだったよ。一本気というのか不器用というのか。家に招いて食事したり話をしたり、楽しかったなぁ。役所勤めらしく堅くて融通が利かない男だったけど、私は彼が大好きだったよ。…君も似ているようだけど役所勤めかい?」
「いえ、私は出版社に。」
「はは、本の虫の方の血だな。」
「そんなこと、考えたことありませんでした。」
 両親に止められながらもこの仕事を選んだのは、曽祖父の本好きを引き継いだからなのかもしれない。そう考えると、曽祖父が私の中に生きているようで、子どもの頃からの曽祖父との日々が急に生彩を帯び始める。
「私の名前を一緒に考えてくれたって、本当なんですか。」
「もちろんだよ。丁度君が生まれる頃、ばったり再会したんだ。夏の暑い日でね、たまたまこの夜会の話になったんだ。榮太郎さん、とても興味を持っていたよ。そのうち、夜会にちなんで君の名をつけると言い出して、ふたりで一緒に考えたんだ。」
「どうして、夏なのに、雪の名を?」
「それは今にわかるさ。ほら、見てご覧。」
 巽が指差す先で、部屋の明かりが少しずつ暗くなっていった。
一段階ずつ広間全体が暗くなっていく代わりに、部屋の端に置かれた螺鈿細工が輝きを増して、光りだしていた。自分の手のひらすら見えない暗さになる頃には、螺鈿の竜と花唐草は、内側から発する虹色の光でまばゆく輝いていた。
 広間は水を打ったようにしんと静まり返っていた。誰もが息を飲んで輝く螺鈿を見守っている。
 本棚以外のすべてが完全なる闇に包まれたのと時を同じくして、二匹の竜はぶるりと武者震いをしたかと思うと家具から飛び出した。
虹色に輝く竜たちは天井を旋回しながら飛び回り、口から小さな玉のようなものをいくつも落としていく。それは虹色の光を発しながら風に舞い、ゆるゆると回って私たちの上に降ってきた。
 手のひらで受け止めるとひんやりと冷たく、そのまま儚く消えていく。
 確かにそれは、雪に良く似ていた。虹色に輝く雪だった。ただし本物の雪とは違い、消えたあとにぬくもりを残す。融けて心を温かくする。消えた後もずっと、私は手のひらを見つめていた。ひとひらが消えるたびに、心の中のどこかに温かさが点っていくようだった。
 雪のような美しい玉に触れた客達は一礼をして窓辺に去っていく。そのまま海へ泳ぎ出ると、美しいドレスの裾はひらめく尾びれに変わり、色とりどりの魚の姿になって泳ぎ去っていく。
「ここに降る夏の雪は、温かいんだよ。六花くん、今日は会えて嬉しかったよ。」
 そういう巽の声が消え入るように遠くなっていった。

※いかなる理由においても、この作品を無断で転載・放送・複製することを禁じます。

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