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October 24, 2006

短編小説「真夏の雪」4

「六花くん、君、六花くんでしょう。」
 ふり返ると、すぐ後ろに青年が立っていた。年の頃は三十半ばくらいだろうか、白い麻の三つ揃いでめかしこんでいる。見るからに知的な感じの青年なのだが、女物の帽子が似つかわしくない。足元もなぜか下駄である。見知った人物ではないのは、一見してわかった。一方青年は、切れ長の目を細めて嬉しそうにこちらに笑いかけてくる。私は当惑を隠せない。
「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「いや、君とは初めてだ。でも私はずっと会いたいと思っていたんだよ、六花くん。もうそろそろ三十くらいか、大きくなったなぁ。」
 青年は一歩こちらに近寄ってきて、更にしげしげと私を見つめる。その眼差しは深く暖かで、どこか曽祖父を思い出させた。
「二十八です」
 小声で訂正したのを聞いているのかいないのか、青年は続けた。
「ところで、六花くん、榮太郎さんはどうしたのだい。私は彼宛に招待状を出したと思っていたのだが。」
 私は目を見張った。
「あなたが――巽さんなんですか?」
 青年――巽は、笑顔のまま頷いた。
「じゃああなたが、あの、堅苦しい手紙を書いたんですか?」
「堅苦しい?あれが正式な書き方ではなかったかね。おかしいな、榮太郎さんに教わったとおりに書いたと思ったが。」
「ひいおじいちゃんを知っているんですか?だってあなた一体いくつなんですか?ひいおじいちゃんとどんな関係なんですか?」
「おっと、そんなに一度には答えられないな。順番から行けば、まず君が私の質問に応えるべきだ。今日は、榮太郎さんは、どうしたのだい。」
「榮太郎…ひいおじいちゃんは、亡くなりました。もう二十年も前になります。」
 巽は目を曇らせ、視線を落とした。俯いているのではっきりとは見えないが、瞳が涙に潤んでいるようだった。
「…それは、知らなかった。」
 巽は沖の方をじっと見つめたまま、黙り込んだ。潮の満ちてくる時間なのか、波がだんだんと近づいてきて、漣が足元を掬うようになっても、巽はそこを離れない。彼の爪先はもう何度か波に浸されていた。
「…あっけないものだな、人というのは。」
 やがて口を開いた巽は私を憂い目に見てひとこと呟くと、波が描いた水跡をなぞる様に歩き出す。
「今日はね、榮太郎さんが是非来てみたいと言っていた集まりがあるのだよ。たまにしかやらないものだからね、私も彼と楽しみたいと思っていたのだが…。いや、でも、君が来てくれて良かった。今日は榮太郎さんのかわりに、楽しんで行ってくれるね。」
 本当は、曽祖父のことを告げて帰るつもりだった。しかし、自分でもわからぬまま、頷いた。巽は口元だけで笑って、ずんずん先を歩いていった。

 入り江の海岸線は、岬の切り立った崖で途切れる。その崖の麓に、斜面に吸い付くようにして、荒れ果てた家が一軒建っていた。大きな松の木がうねるように伸び、その根本には雑草がはびこり放題になっている。背の高い雑草と松の幹に遮られて家の全貌は見えない。浜から玄関に続くいくつかの敷石が草の海の中の浮島のようだ。屋根瓦はところどころ落ち、崖上から種が落ちたのか、瓦と瓦の間に芽を出している草もある。壁を構成する飴色の木々はかろうじて形を保っているが、ちょっと大きな風が吹きでもしたら、瞬く間にもとの板切れに戻ってしまいそうに思えた。
 浮島を辿ると、潮風と草いきれの混ざったむせるような香りが鼻についた。巽はためらうでもなく玄関につき、手招きしている。戸を開けた瞬間に、家が崩れ落ちてこないかと危惧する。巽が玄関戸を開けようとするが、戸は心配を煽るように軋んでなかなか動かない。
「ちょっと古いけれども、これで意外と頑丈なんだよ。」
 巽は両腕の血管を太く走らせて、戸を引いた。
悲鳴のような音とともに現れた眺めは、外見からは想像できないことだが、こざっぱりとして綺麗だった。
磨き上げられた柱や壁はしっとりと艶やかで、天井に吊るされた六角形の照明が海松色をしたビロウドの絨毯の上に柔らかく落ちていた。照明のシェードはガラスでもなく紙でもなく、うすく半透明でありながら虹色を帯びている。この質感は貝殻だろうか。まっすぐに伸びる廊下の先ははっきりとは見えず、ぽつりぽつりとともる六角灯だけが薄闇の中におぼろげに浮かんでいた。
「さ、行こうか。」
 巽は足の砂も払わず、そのまま絨毯にあがって歩き出した。私も躊躇しつつ、彼にならって靴のまま一歩を踏み出す。ふかふかしたビロウドの上に砂粒が落とされる小さな罪悪感は、足元すらはっきりと見えない暗がりに、やがて忘れ去られた。


※いかなる理由においても、この作品を無断で転載・放送・複製することを禁じます。

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