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August 22, 2006

短編小説「竜宮の夢」3

 宴席を片付けさせ、ようやく一人落ち着いたのは夜半過ぎであった。ようやく出会ったと思われる理想の女性が、女性嫌いの原因を作った自分の母親とは。皮肉なものである。 
わからぬことばかりである。どうやってここから帰るのかもわからない。巽が私に読ませた呪文も覚えてはいない。柳橋にいたはずの母が何故神楽坂にいるのかも不明である。帰らぬ私に、もとの世界の母は取り乱すだろうか。考えてみれば今まで孝行らしい孝行もしてこなかった。母の関心が衣裳にばかり向くことへの自分なりの反発だったのだろうか。さらに思えば、母も仕入れの何のと飛び回りほとんど家にいない父への反発での着道楽だったのかもしれない。父と母の馴れ初めすら知らぬことに気づく。
夜の秋風は優しく清かで、酔いを醒ましていく。こちらは負けじと酒を呑み、まわらぬ頭でもの思いにふける。朧げな雲が月に照らされ、光の筋のようになって穏やかにたなびいた。書物の世界以外にも、美しいものはあるものだ。自分は何も見てこなかったのだということにようやく気づく。
寝待の月にならい、私も横になってひとり杯を傾けているうちにうとうとと眠り込んでいた。

目を醒ますと、また浅葱色のあの羽織がかけてあった。開け放していたはずの窓も閉まり、杯と徳利の乗った盆も下げてある。梅吉が片付けたのだろうと根拠なく思った。
階段を上がってくる足音が響いた。荒々しい足音は、梅吉ではない。それに安堵と落胆の両方を感じた。母とわかり、何やら面はゆくもあるし、未だにやりきれぬ好意を持っていることも事実だった。そして私はそれを、まだどうすることもできずにいる。
「やあ、起きたか」
声をかけて入ってきたのは、巽だった。
「君、君は英吉利へ行ったのではないのか?」
巽は口の端をつりあげた。相変わらずの女物の襟巻きがその顔を不快なほどに面白げに見せた。
「英吉利からはとうの昔に帰ってきたよ。よくよくあたりを見てご覧」
そう言われてみると、掛け軸は最初にみた時のように色褪せ、外には六角の塔が佇み、銀杏は葉を落としていた。戻ったのだ。
「私は…夢を見ていたのか?」
「そうでもないさ。どうとるかは君の自由。俺の感知するところではないよ。朝食でも一緒にどうだい」
巽のあとについて階下へ行くと、西洋風のテーブルセットに、昨日見かけた女給風の女たちが朝食の用意をしているところであった。朝食も西洋風である。焼いたパンに目玉焼き、ベーコンとみかんが饗され、私たちは珈琲を飲みながら会話を続けた。
「君の魔術というやつは、時間を遡る魔術だったのか」
「そうとも言うし、違うとも言える。あれは時間を好きなだけ行き来する魔術さ」
「君は良く使うのか」
「いいや、寿命を縮ませるからね。そう度々は使わない。おっと、心配しなくていいさ、ほんの一年縮まる程度だよ」
「それは、例えば先の世にも行けるのか」
「もちろん。呪文をちょっと変えさえすればね。実際私も先ほど戻ったところだ。百年ほど先の世に出かけてきた。面白かったよ、皆小さな箱を耳にあてて独り言を喋っていた。誰も彼も皆急いでいて、外来語ばかり話している。着物はほとんど見かけなかったな、皆洋装で、頭髪は色とりどりで、まるで異国のようだった。この屋敷はすっかり見世物になっていたよ。珈琲を出すカフェーがその六角のテラスにできていて、蓄音機もレコードも見当たらないのに音楽が流れていた。いいサラサーテだったよ。それに旨い珈琲だった」
「そうか…先の世は異国か…」
「先の世に行ってみたいかね」
「いや、今日はもう結構。それはまたの機会にするよ。…そろそろお暇しよう、無断で外泊して家のものが心配しているだろうから」
「おっと、そうでもないだろうよ」
「どういうことだ」
「君と俺は、今日の夕方にあの古本屋で出会うことになっているんだ。君の未来は、あの古本屋で止まっている。君が今日するべきことは自分に会わないようにすれ違って家に帰ることだ。」
「未来がとまっているというのは、その先の私は動いていないということか」
「いや、存在そのものがなくなっているんだ。わかるだろうか、この世というのはいろいろな可能性の未来が平行して同じ時間の上を進んでいるのだよ。そこには君のいない世界もあるし、本屋で俺と会っていない君もある。時間の中を動くと、その可能性の世界と、もともと住んでいる世界が法則なく選び出されてくっつくんだ。ひとつだけ変わらぬ法則は、同じ世界、同じ空間に君という人間は二人存在できないことだよ。だから、古本屋に行った君の未来はそこで途切れ、そこから帰った今の君が彼の代わりにそこから先の未来を紡ぎだすんだ」
巽の言っていることは理解できたが、理解すればするほどに混乱した。その様子を巽は楽しげに見ていた。こうなることが予想できていたとでも言うようだった。
「さあ、話はこのへんにして今日は帰りたまえ。また機会があれば来るといい。土産もできたし、良いだろう」
「土産?」
「女物の羽織がかけてあったろう、あれは君に良い運を運んでくれるだろうよ」
「最後にひとつ教えてくれ。君は魔術師なのか」
巽は曖昧な笑みを浮かべて、答えなかった。

※いかなる理由においても、この作品を無断で転載・放送・複製することを禁じます。

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