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August 21, 2006

短編小説「竜宮の夢」2

 目を醒ますと、私は同じ和室で大の字に転がっていた。
 巽の姿はなく、私の上には女物の羽織がかけられていた。浅葱色の羽織の裾には流水に珊瑚と楼閣が描かれ、話に聞く竜宮のように思えた。
 ほどなくして、音もなく襖が開いた。
 現れたのは、日本髪をきりりと結い、鼈甲の櫛を挿し、花簪をさげた美しい女だった。黒目がちの瞳は潤んだようで、緑の黒髪にいっそう白い面差しが映えた。女は滑るように私のそばにくると、手を添えて、私の体を起こした。
 流れるような所作、もの静かな佇まい。私が今までに一度も会ったことのない、美を体現しているような女なのである。艶やかな姿は、遊女か芸者か、いずれにしても華やかな世界の住人には違いない。しかしその職業からは想像もつかぬほど奥ゆかしく、ひっそりとした女に思えた。突如として、私の心臓は鼓動を強めた。激しく打ち出される血流は、普段の倍量はあるかに思われた。
 「た…巽は」
 動揺を隠すつもりが、緊張に声がかすれ、女はくすりと笑う。
 「ご主人さまは留守でございます。英吉利(イギリス)へお出かけになられました。三月は帰らないでしょう」
 女から目をそらそうと床の間に目をやると、掛け軸が色鮮やかなのである。先ほど素人目にも褪せていたあの秋草の絵なのだ。つい今しがた描き上がったといわんばかりに、女郎花(おみなえし)の黄色、桔梗の紫が輝いている。じっと見つめていると女が申し添えた。
 「そちらは昨日、狩野派のなんとかいう絵描きさんが届けていかれました。ご主人さまに。お客さまは絵がお好きでいらっしゃいますか」
 「いや…そういうわけでは」
 女にじっと見つめられると、鼓動が体をゆさぶらんばかりに強くなるのだった。反射的に目をそらすが、どうもやりきれない。会話が途切れると、女はすっくと立ち上がった。白足袋をはいている。ああ、芸者なのだなと思うと、妙に安堵した。遊女とは足袋をはかぬものである。
 女は軽く会釈をすると、そのまま部屋を去った。
 春をひさぐ女でないとわかるとなにか安心をしたものの、同時に残念なような気もした。男の情けない性である。
女が去り緊張がほぐれたのか、やおら外が騒がしいのに気づいた。窓から首を突き出してみると、すぐ横で六角の塔が骨組みの状態になっている。取り壊しているのかと思ったが、作業を見ているとどうも、建築中のようである。それだけではなく、庭には色づき始めた紅葉が風に葉を揺らし、若緑色に黄金色の混じった銀杏や咲き始めの菊とともに天を仰いでいた。
 いまは、一月のはずである。私は夢をみているのであろうか。
気を紛らそうと床の間に近づき、じっくりと絵を見ることにした。間違いなく、あの絵である。おかしなこともあるものだ。おかしなことといえば、巽もまた然りである。なぜ人を呼んでおいて突然英吉利になど旅立つのか。
 そういえば、私が唱えたあの呪文は、一体どんな魔術であったのだろう。
うすく音を立てて襖が開き、さきほどの女が軽く礼をした。女の後には膳や徳利を持った女中が並び、次々に私の前に据えていった。女は私に酌をすると、扇を手にして舞い始めた。他に芸者はいないのに、どこからか三味線と唄が聞こえてくる。夢にしては、酒の味がしっかりとわかる。父が好んで飲んだ酒に良く似ていた。舞は素人目にも、華も艶も、なかなかのものであった。
 私はようやく女を真っ当に見ることができた。女は、どこかで見たことがあるような気がした。しかし、これだけの女である。一度会ったら忘れないだろうに、不思議とどこでどう会ったのかは全くわからないのだった。私はふと我に返って懐を確かめた。大体が古本屋で本を一冊買おうとしていたのだ。ここでこんな芸者遊びをするような金を持ち合わせているはずもない。夢だとしても財布が膨れている様子はない。ますますもって、わけもわからぬ呪文を唱えさせた巽に対して苛立ちが募る。もっとも、責めるべきは巽ではなく、私だ。私がつまらぬ見栄をはり、呪文を唱えることにしたからだ。
 杯を口にやる頻度が増えたのを、女は見逃していなかった。舞を適当に切り上げると、横で酌をし始めた。
 「…ここを、どんなところとお思いです」
 女は目を見ずに聞いてきた。私が言葉を濁していると女はにこりと笑った。
 「ここは、巽さまの御屋敷。それ以上のなにものでもございません。どうぞ、お楽に構えてくださいまし。お客さまにおくつろぎいただくのが私たちの勤めですから。」
 いい女だ、と私は心から思った。この女は、今まで自分が女性に対して抱いていた感覚を根底から覆す。とうとう理想の女に出会ったことで、私の血は熱くたぎった。常に冷静であることを身上としていたが、今は例外だった。この女のことを知りたいと思った。しかしなぜ巽は、このような芸者衆を屋敷に置いているのか。女に問うても、うまい具合にはぐらかされて教えてはくれない。
酒も随分進んだ頃、酔いからくる暑さに窓に寄り添うと、冷たい風が頭を涼やかにした。女の帯留に目が留まる。珊瑚の帯留である。嫌な予感がした。それは母が、祖母の形見だと大事にしていたそれに良く似ていた。手のひらがじっとりと汗ばむ。
 「あなたの御名前は」
 聞きたいような、聞きたくないような、複雑な心境が鼓動を早めていった。手だけでなく全身が、汗ばんでいくのを感じる。女は私をじっと見て言った。
 「…梅吉と申します」
 嫌な予感は的中した。雷に打たれたような衝撃を伴って、私の目の前は真っ暗になった。その女は、若き日の母その人であったのである。そして私は、ぼんやり気づいていた通り、時間を遡ってしまったのだ。

※いかなる理由においても、この作品を無断で転載・放送・複製することを禁じます。

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