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June 2006

June 30, 2006

似たもの夫婦。

060606_17380001久しぶりに、旦那さんとデートをしました。
もちろんはるも一緒なのだけど、途中で眠ってしまったので、ふたりでいろいろ話しながら時間を過ごしました。
今年は、旦那さんの怪我で前半が過ぎてしまったような印象で、旦那さんと一緒に外を歩くのは実に4ヶ月ぶりです。なんだかそれが、新鮮でさえありました。
藤沢経由で江ノ島に行って、江ノ電に乗って、鎌倉へ。
考えてみれば、旦那さんと一緒に江ノ電に乗るのは、これが二度目。
初めて一緒に江ノ電に乗ったのは、はるがまだおなかにいる時でした。
あれから二年半です。
本当に、早いものです。

おこめ焼き屋さんで、お好み焼きとおこめ焼きを半分こしながら、ビールで流し込みました。
庭の緑を見ながらの夕方、早めの晩ごはんです。

060606_17390001おこめ焼きは四角くて、お好み焼きは丸い。
なんだか、私たち夫婦も、こんなものかもしれないな、と思うとおかしくなりました。
形も材料も味付けも全然違うけど、
おんなじ鉄板で、おんなじ時間で、焼きあがる。
本人達は、全く違うといつも思うのですが、意外と似たもの夫婦なのかもしれません。

つい最近読んだ本に、こんなことが書いてありました。
最初の結婚は、天縁というんだそうです。
天の縁、すなわち、人智を超えた自然からの贈り物である縁。
だから、大変なことがあっても逃げ出さずに一緒に乗り越えてはじめて、本当の幸せが生まれるのだそうです。
結婚したての頃から衝突も多いけれど、あの頃に比べて、それぞれの持ち味を活かしながら生活するのにも慣れてきたこの頃――まだまだ未熟ながら、私たち「らしい」夫婦像ができてきたのかもしれません。
こどもに育てられた部分も大きい私たちですが、そのはるも、とうとう明日で2歳。
いつかはるが大きくなって、私たちのような会話をする頃には、私たち夫婦もめおとぶりが板についているのでしょうか。

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June 29, 2006

マンゴーのこころ。

060629_08550001いまうちでは、マンゴーがブームです。
生のをいただくのも、マンゴープリンなど成果物をいただくのも良いけれど、よのなか、なんたって便利なものがあるものです。

はるが生まれてから生協の個人宅配パルシステムを利用しているのですが、ここになんとも素晴らしい、カットマンゴーという文字を見つけた時は、マンゴー好きのわが屋は一気に湧きました。

早速注文、サイコロ状の完熟マンゴーが届きました。
冷凍なので、すこしだけ食べたい時にもよく、以来愛用しています。

半とけの、ぷるぷるシャリ、という食感もいいけれど、私のお気に入りはマンゴードリンク。
グラスに氷とカットマンゴー、梅シロップを注いで、炭酸水で割るのです。
飲み終わる頃にはマンゴーがちょうど良く半とけになっていて、二度おいしい。
梅シロップのかわりに普通のサイダーでもいいし、ペパミントのリキュールにしたら夏のカクテルのできあがり。
個人的には、ぺルノーなど、アニスのお酒にしてもおいしくいただけるのではないか…と睨んでいます。
(近くにぺルノーを扱っているお店がないので、まだ試していないのですが…)
ミントの葉をかざったら、いっきにカフェ気分です。
はる用には、ヨーグルトシェイクにします。ヨーグルトとはちみつ、カットマンゴー(半とけのがベスト)で。嫌がったらミキサーしてから出してあげれば、ゴキゲンで飲んでいます。

飽きたら(そんなこと、滅多にないのですが)ミルクと一緒にミキサーにかけて、寒天かゼラチンで固めてマンゴープリンにしてしまいます。

暑いときは口にひとつ放り込んで家事することもしばしば。
いまうちの冷蔵庫に手放せない品のひとつです。

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June 28, 2006

陳列癖。

060620_11510001はるには陳列癖があります。
お友達にいただいたくまちゃんのボウリングセットを、一匹ずつ並べて整列させています。
くまちゃんに限らず、クレヨンや、電車やミニカーや、とにかくいろいろなものを並べるのが趣味。
ぞろり並んだくまちゃんを見ると、大好きな絵本『くまのがっこう』シリーズを思い浮かべる私。
はるがおなかにいたときに、見て憧れていた絵本です。
12匹のくま達のおはなし、はるがもう少し大きくなったら一緒に楽しむつもりです(だって今は、塗り絵や切り絵にされてしまう可能性大なんですもん)。

早いもので、もうそろそろはるも2歳。
こどもの成長って、あっという間ですね。

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June 27, 2006

天然の花束。

060622_13280001紫陽花もピークを過ぎてきた頃でしょうか。
それでもまだまだこの美しい花は、私達の目を楽しませてくれます。
紫陽花の色の違いは土の性質の違いだといいますが、同じ場所に咲いているのに濃いピンクと白と青とがそれぞれ咲いていたりして、ここの土はマーブル模様の性質かしら?と首をかしげることも。

そんな場所の一角に、私好みのあいまいな色合いの花を見つけました。
一見ふつうの白の紫陽花なのに、花が開ききると、花びらのふちがうっすらブルーになっているのです。
緑から白へ、白から淡い青へ。
そのとりあわせは、まさに自然が作り出した、天然のブーケ。

こんな花を見つけると、その日一日とても幸せな気分で過ごせます。

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June 26, 2006

和綴じに挑戦!

060531_10000001憧れつつも、なかなか作る機会のない、和綴じ本。
自分で装丁するHOWTO本を持っているのですが、なかなか手を付けられずに眺めるばかりでした。

が、幸というべきか、活躍の時がきました。
時々私の作品をラジオで放送してくれる仙台の放送劇団の方々が、またオーダーを出してくれたのです。
「螺鈿」が出てくる不思議な話をひとつ。
という、ご注文。

早速2週間ほどで書き上げました。
昨年「過去と未来」をテーマに、とお話いただいた時に書いた作品があり(あまりに長くなってしまったのでオマケにしました、放送になったのは『ことほぎ坂』という別の短い作品)、その続編として、書いてみました。

で、原稿を送る段になるのですが。
最初はただ送っていたのが、だんだん趣味を兼ねて、何かしら表紙をつけてみたりするようになり。
今回はついに奮い立ちました。

和風ファンタジーなのだから、これはもう、やはり和綴じでしょうと。

針と糸を手に、穴が開くほど本を見つめつつ、紙と格闘です。
やってみると意外に簡単。
必要と思われた製本道具も、目打ちは画鋲で代用できたし、家の中にあるもので大体は作れることが判明しました。
和紙に糸を通していく。
その糸が形になっていく様子が、なんだか愛おしいようです。
書き上げた作品に装丁を施すのは、まるで娘の花嫁衣裳を準備しているような気持ちとでも言うのでしょうか、期待と不安がない交ぜになった、でも少し誇らしいような気持ち。
(それと、馬子にも衣装という奴で、見た目の印象によって肝心の中身がちょっとだけ良く見えるかもという少々の下心。)
紙を選ぶのも、何をするのも、悩む過程がまた楽しいという感じです。

送った先の方々も和紙好きなので、とても喜んでくださいました。
見た目よりも意外と簡単にできるので、和綴じ、おすすめです。
これから浴衣の季節です。
胸元から和綴じの手帖を取り出すなんて、ちょっと粋じゃありませんか?

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June 25, 2006

見た目に気遣うお年頃?

060618_17200003HARUBOOKの原稿をしたためていたある日。
すぐ隣でなにやら妙な音がするので、ひょいと首を動かしてみました。

するとそこには、真剣なまなざしで体重計に乗る息子の姿。
まるで値を確認するかのように、一点を凝視しながら何度も乗り降りしています。

体重を気にする年頃になったのかと一瞬、そんなことあるわけもないのに、思ってしまう自分が可笑しい。
様子を見ていると、どうやら目盛りがかたたん、と揺れ動くのが面白いらしいのです。

はるの体重は相変わらずでしたが、「お菓子ばかり食べてるとこうなるんだよ」と言いつつ体重計の一方をぎゅうっと踏んでみせると、みるみるうちに増えていく目盛りに、こどもながらに狼狽していました(いや、単にびっくりしただけなのかも)。

体重を気にしたり、外見を気にしたりするような年に、いつかはるもなるんだよなぁと思うと嬉しいような少し寂しいような日でした。

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June 24, 2006

美術的、キウイ。

060618_14150001もう十年以上も前のことです。
東京の美大に進学した中学の友人のもとに、時折遊びに行っていました。
昔からひととは違って洗練されていた彼女ですが、美大に入ってからなお一層そのセンスは暮らし全般にまで広がり、凡庸な私としては彼女がずっとずっと大人に見えたものです。
とはいえそれを鼻にかけるでもなく、いつも落ち着いていた彼女は、何も変わっていないかのように、同じ空気の密度で接してくれるのが嬉しくて、何度か押しかけていたのでした。

初めて遊びに入ったとき彼女は、写真を撮り始めたのだと言って、モノクロの素敵な写真を見せてくれました。

その何枚かのうちに、キウイの写真があったのです。
家で食べるキウイといえば、皮を剥いてスライスされた状態しか分かりません。
私は一瞬、それがキウイとは思えず、何か毛の生えたざらざらした皮と、その中に現れるひまわりのような奇妙な形のものを目の前に、少々当惑していました。
しかも切り口はぎざぎざで、まるで卵の殻のよう。

私はこれが何かモダンアートの作品なのだろうと思い、彼女に聞いたのです。
返ってきた答えは、キウイ。
え、でも、こんな形に、どうやったら?と疑問符だらけの私の目の前に、彼女は冷えたキウイを出してきました。
うぶ毛のようなキウイの側面に、スプーンをゆっくり差し込んでいきます。中心くらいまで差し込んだら、一旦抜き出して、その隣にまた同じように差し込む。そうしてぐるりと一周したら、キウイを半分に割るのです。
あの、卵の殻のような形になっていました。
果肉をスプーンで掬って食べるのです。

この食べ方に私はすっかり驚いて、美術をやろうという人は、暮らしの中にも美を探究するものなのだと強く思いました。今や彼女は書店に立ち並ぶ雑誌の一角に名前が見られるほどのデザイナーさんです。
お互いのやりとりも少なくなりましたが、今も、キウイを見るたびに、あのときのことを懐かしく思い出しながら、スプーンをいれるのです。

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June 23, 2006

キッチンドランカー、あらわる。

060618_14250001ここのところ、蒸す日々が続いて、ちょっとバテ気味であります。
いや、本当のことを言うと、バテた理由は他にあるのです。
日曜日ごとにやってくるトラックの八百屋さん――わが家でちろりん屋さんと呼び習わしている、彼――が、出血大サービスをしてくれてしまったのです。
何をサービスしてくれたのかというと、梅。

先日友人と会う際に梅のシロップを持参したところ、喜んでいただけたのに味をしめ、手土産がわりにいいかもと思って、梅の袋の前でうんうん唸っていたのが元凶でした。
「何キロもってく?」とちろりん屋さん。
「3キロか、もう一袋足すか…まだ悩み中です。」と私。
なにせちろりん屋さんの梅は、ひと袋が1.5キロなのです。2袋買ったら、普通の3袋に相当してしまいます。つけこむ容器だって、そんなに数はありません。安く梅を買っても、容器にお金がかかるのでは、枝葉末節です。
まだも腕組みして唸る私に見かねたのかちろりん屋さん、八百屋さんならではの妙案を授けてくれます。
「100円ショップにさ、おっきい蓋つきの入れ物売ってるでしょ、あれにドーンとつけちゃったらいい。」
その言葉にちょっとぐらりときてしまいました。
3袋、買ってしまおうかなぁと思っていたら。
「いいや、全部で5個あるからさ、値段は何とかしてあげるから、全部もっていきなよ。」
そしてちろりん屋さん、白髪交じりの頭から鉛筆を取り出して(耳の上にさしてあったらしい)、手のひらのメモにすらすら走らせて、信じがたい値段を私に提示しました。

いいですか、皆さん。
そのときの私の驚愕ぶりといったら、ありませんでした。
こいつは、買わなければ!!
と、強い使命感を抱かせるほど、強力な数字だったのでございます。

一度でも梅を買った方なら、梅1キロがどのくらいの値段なのか、ご存知でしょう。
私がそれまで買っていた梅は1キロが、スターバックス商品で言えばキャラメルマキアートのトールサイズとローズマリーチキンのホットサンドで軽くランチするくらいのものだったのです。
ところがどうです。
ちろりん屋さんのそれときたら、ドトールで一番安いブレンドコーヒーすらも買えぬほどの、廉価ぶりだったのです。
品物はいずれも、梅の名産地・小田原は曽我の一級品。

極めつけは、ちろりん屋さんのいつもの決め台詞、
「悪いけど、うまいよ。」
でした。

かくして私は5袋(7.5キロ)の梅を抱えて家のドアをあけたというわけなのです。
そんなわけで、既に7.5キロの梅を梅酒や梅シロップ、梅干に漬けたあとだというのに、またそれと同量の梅をつけるに至ったわけなのです。合計15キロです、マンマミーア。
うかうかしてはいられません。
梅がまだ青いうちに、漬け込まなければならないのです。7.5キロの梅のへた取りだけでも、随分時間がかかりました。更に洗って漬け込んで、半日がゆうに過ぎていきました。
夕方には、昨年つけた梅酒で気つけしなければ、倒れそうなくらいにふらふらになっていたのでした。

お陰でちょっといいことを発明しました。
おいしい梅酒の飲み方。
でも、お教えしませんよ。
ヒントは写真にあります。
ご自分で試してみてくださいね。

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June 22, 2006

戦慄する午後。

060618_16040002ある日、私が読みかけの本から顔をあげると、そこには恐怖の風景が拡がっていました。
食べかけのポッキーの残骸と、手や顔をチョコレートでべたべたにした、はるの顔がありました。
その顔はいつになく大人びて、「どうだ」と、私に挑戦を挑んでいるかのようでした。
それの何が怖いのかというと――彼の手の先です。
彼はテレビや棚やビデオデッキ、そしてあろうことにソファにその手を触れようとしているのです。
電化製品類や棚などは拭けばとれるのでまだいいとして、ソファは、生成りの布で包まれているソファは、なんとしても死守せねばならぬのでした。

私は半ば奇声のような悲鳴と哀願をはるに向けましたが、本人はそれが面白いらしく、にやりと笑いながらわざと触ろうとします。

仮に、ソファにチョコレートの染みができてしまったと仮定しましょう。
旦那さんは間違いなくそんなところにポッキーを置いておくなんてと私を責めるでしょう。
なにせ、チョコレートです。
目立つばかりではなく、私達の家を狙っている黒の帝国歩兵団(詳細)が、ここぞとばかりに襲撃してくるからです。
しかし私の方の言い分もあります。
はるは、その日まで、ポッキーなんて食べなかったのです。

かくして私とはるの追いかけっこは続き、棚の一部とディズニービデオの一部が甘い茶色に染められました。
私の決死の努力によって被害はそこから拡大せず、ソファもなんとか守りきることが出来ました。
穏やかな午後を貫いた戦慄は、ウェットティッシュの活躍によって無事平安を取り戻したのでした。ふぅ。

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June 21, 2006

ろうそくのあかりで、夜を。

普段は全然エコじゃない私ですが、一年に一度、楽しみにしているイベントがあります。
1000000人のキャンドルナイト。

2時間だけ、明かりを消してろうそくの火をともす。
そういうイベントです。

昨年も参加して、わが家もろうそくの夜を過ごしました。
17日からの5日間、夏至の今日が、最終日です。

坂本龍一氏が「地球大のアート」と呼ぶこのイベント、本来の意義に賛同して行動する人もたくさんいると思いますが、私は、自分が心地よいから参加している派。
それになんだか、たくさんの人と一緒に「くらやみの帯」を作り出すのって、楽しそうな感じがしませんか?


ここをクリックすると(安全なところに飛ぶので大丈夫です)、メッセージが見られます。
ともっている明かりは、参加している人の数?
ちなみに点滅しているのは、たぶん私の居場所です。

夏至の夜、一年中で一番短い夜を、ろうそくの明かりで過ごしてみるのも、また一興です。
百万人のキャンドルナイト

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June 20, 2006

はるの絵本。

060614_07500001先日、赤ちゃん用品専門店で、絵本キットを見つけました。
上製本されている白紙の冊子、中身は数枚しかないのですが、早速2冊ほど求めて帰りました。
はるに、どんな絵本がいい?と聞くと、彼はわかっているのかいないのか、唯一アピールできる「んーん」(はる語で電車の意)を連発します。

それでは…とはると二人で絵本づくり。

色鉛筆で絵を描いて、色を塗っていくと、横からはるもお手伝い。
はるが塗ってくれた線や色がまた、とっても良い効果になって、楽しい絵本ができました。
中身は扉含めてわずか5ページ。

自分も手をかけたのがわかっているのか、あっという間にはるのお気に入り絵本になりました。
雨で外に出られない日は、こんな遊びも楽しいものです。

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June 19, 2006

あいらしいチョコレート。

060613_17090001かわいらしいマトリョーシカ入りのチョコレートは、新潟のチョコレートショップ・マツヤさんのもの。
以前本で見てず~っと憧れていたチョコレートです。
機会あってお取り寄せしました。

その名も、ロシア・チョコレート。
親子三代に引き継がれているチョコレートは、ロシア流の製法でつくられているそう。
ほろ苦いチョコレートから現れる、おいしいクリームやマジパンなどは、今まで知っているチョコレートとは、たしかにどこか違う。
どこがどう違うとははっきり言えないのだけど、懐かしいような、こころの奥にぽつりと光を点してくれるような、そんなチョコレートなのです。
ていねいに作られて、ていねいに届けられる、作り手のまごころがぎゅっと詰まっているような感じがしました。

12種類のチョコレートはそれぞれ別の色をした包み紙の中で、ひっそりと、食べられるのを待っていてくれる。
カラフルな包み紙の中、更にアルミにくるまって、おいしいおいしいチョコレートが顔を出します。

チョコレートというと、いつも中毒症状のように次から次へと手を伸ばしてしまうのだけど、このチョコレートは違います。
ひとつひとつ、大事に食べたい感じ。
食べてなくなってしまうのが、寂しいような感じ。

大人になってから忘れていたけれど、この感覚は子どもの頃、お祝い事のときに母方のおばあちゃんがいつも贈ってくれていたチョコレートボックスにも感じた感覚です。
いろんな味のチョコレートを迷いに迷って口にするたび、お祝いの気持ちそのものを食べているような幸福感に包まれるのでした。一日一個と、たぶんあれは親に言われてじゃなくて自分で決めて、食べていました。
大事に食べたくて。
そして、なくなってしまうのが寂しくて。

お金を出せばなんでも買えるような時代ですが、こういう「ひとつひとつ、大事に」と思わせてくれるものって、貴重です。
ものがないから大事にするというのももちろん大事なことですが、むしろ今って、ものはたくさんあるけれども自分にとって特別なものを大事にする、という方がしっくり馴染むのではないでしょうか。もしかすると。
拡大して考えると、生活のいろいろなところにそう感じられるような暮らし方って、シンプルで、なにかとても居心地がよさそうな気がする。そして結果的に、ひとのこころを尊重したり、地球を守ったりすることに、ゆるやかにつながっていくのではないのでしょうか。
私は普段の暮らしではあまりエコ的ではないのですが、実は、ロシア・チョコレート、かわいらしい包み紙さえも捨てられずにとっています。なんというか、捨てられない。愛おしくて。(もっともこれは、単に私の嗜好なのですが。)

それだけの力を持っている素敵なものなのだと思います、このチョコレート。
おのずと、「ひとつひとつ、大事に」と思わせてしまえるような。
こういう素敵な感覚こそ、次の世代に引き継いでいきたいなぁと思うのでした。
いろんなところに話が飛びましたが、要は、とってもおいしいんです、このチョコレート。
060613_17120001
 
 
 
 
 
ロシアチョコレートの店 マツヤ

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June 18, 2006

父のこと。

父の日である。
父のことを少し、書いてみようと思う。

思えば昔から、父という人はどこか遠い人である。
自分のDNAの半分を与えてくれたひとを「遠い」なんて形容するのもおかしな話なのだけど、父と私の間には大きくて透明な壁のようなものがある。その壁は、私が成長するにつれて薄くなってきてはいるのだけど、それでもまだ、重厚な防弾ガラス並みの厚さがあるように思える。

子どもの頃、父に会うことが少なかった。
同じ家に住んでいて同じ部屋に寝ているのに、朝早く夜遅い父の顔を二週間以上もの間見ないことはざらにあった。当時理系の研究者であった父は、夜も昼も仕事に明け暮れていて、元旦くらいしか休みがなかったのだ。
なかなか会う機会がない父のことを、母はよく話して聞かせた。こどもたちの尊敬の念を失わせないようにするためである。
結果、私と弟の中には、父という存在は完全無欠で非常に素晴らしい、まるで神のように遠い存在としての印象だけが残った。

父との思い出は、断片的ではあるが、強い印象が残っている。
私が2歳の頃、母の兄弟家族と一緒に釣りに出かけて、父が紫色のあめふらしを釣り上げたこと(直後に大雨が降り出した)。
幼稚園の父兄参観で、ダルマレースに出てくれたこと(ダルマのハリボテを着たこどもの手を引いて走るという、妙ちくりんなかけっこ)。
中学の入学式に出てくれ、帰りに一緒にそばを食べて帰ったこと(弟の小学校の入学式と日にちが重なったので父と母が分担したのだ)。
中学二年のときに「で、お前はどこの大学に行くんだ?」と突然聞かれたこと。
高校受験の際に「なぜ自分は高校に行きたいのか」をプレゼンテーションしなければならなかったこと(義務教育は中学までなので、学ぶ意思のない輩を進学するさせる必要はないというのが、父の持論だった)。
一緒に過ごした時間が少ない分、よく覚えている。

無口でいつも眉間に皺を寄せているので、家に遊びに来る友人達は非常に父を怖がった。
父の方でも、娘の友人というのは自分の子ども以上に理解しがたい存在で、怖かったかもしれない。
少なくとも、扱いに困っていたのは確かだ。それでも父なりに精一杯もてなそうとしてくれていた。
だからなのか、遊びにくる友人達は、こわいけど寡黙でかっこいいねと言い添えて帰っていくのだった。
確かに、父は割合、ダンディである。
そんな時私は、ちょっとだけ得意になった。

私達姉弟にとってほとんど現人神でさえあった父が人間に見えてきたのは、二十歳を超えてからのことである。
ひょんなことから父が一浪して大学に入ったことがわかり――そんなこと隠さなくてもいいのに、父はひた隠しに隠していた――なんで黙っていたの、と聞くと意外な答えが返ってきた。
だってかっこ悪いじゃないか。
何をするにも他人が納得するような明確な目標を定めよと語ってきた父である。かっこいいとか悪いとか、そんな価値観は何の役にも立たないと、常々語ってきた父である。
予想しなかった一言で、父は神から人になり、なんだか親しみの持てる存在になった。
この頃から、私と父を隔てる透明な壁は少し薄くなる。

やがて就職すると、私には夢ができた。
父とデートすることである。
しかも、屋台に行ってみたかった。
仕事帰りに屋台で待ち合わせをして、おでんとか焼き鳥をつまみながら日本酒をさしつさされつしてみたかったのである。
残念ながらこの夢は一度も達成されることがなかった。
父の職場と私の職場では終了時間が一時間も違っていて、しかも私は定時に仕事を終えられるような状況にはなかったからだ。待つのが嫌いな父は、家に帰ってしまう。もともと家で飲む方が好きな人なのだ。
そうこうしているうちに私が転職で上京して、夢は遠い遠いものになってしまった。

旦那さんが、家に挨拶に来たとき。
父はじっと目を見ながら彼の話を聞いて、よろしくおねがいします、と静かに頭を下げた。
涙が出た。
わずかな間に、ぐにゃぐにゃしたあめふらしの紫色や、ダルマ姿でつないだ父の手の大きさ、雪の降った入学式の日のそばの味、そんなものがどっと押し寄せてきた。
父の一言は、普段が寡黙な分、いちいち重い。
よろしくおねがいしますの一言に、とてつもなくたくさんの、父の思いが詰まっているようで、涙が出た。
その時初めて、父と私の間にあった透明な壁の正体がわかった。
父への憧れや尊敬や愛情や、語られなかった言葉や叶わなかった夢。
でも、その壁自体も、父の一部だった。

今、父はまだ遠い。
物理的な遠さもあるが、よのなかの仕組みがだんだんわかってきた今、よのなかの枠に当てはめてみたときの父は、遠い。私など及びもつかないところにある。ひたむきな人だなぁと思う。そのひたむきさが、自分の中のどこかにも埋まっているように思えるのが唯一の救いで、私は私の見つめるところ――父とは別のベクトルの、これもまた遠い遠いところ――へ向かってひた走っている。
あれだけ厳しかった父も孫の前には甘く、ほとんど別人のようにさえ思えるのだが、相変わらずひたむきである。
なにせ、はると作って楽しもうと天体望遠鏡だか顕微鏡だかの制作キットをもう準備しているのである(ちなみに対象年齢は10歳だそう)。ある意味、遠い。

私にとって父は遠いが、父もまた、その先の遠くを見つめて走っているような気がする。
その先には一体なにがあるのか。
父は何を見つめて走り続けているのか。
私は、厚く透明な壁ごしに、父を見ている。

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June 17, 2006

眠ければゴキゲン。

060602_15030001はるは眠いとゴキゲンになる性質があるようです。
良く聞くところでは、眠くなるとぐずぐずになるもの。
まったくもって、はるは変わった子です。

妙に反応がいいな、というときに手を触るとぽっかぽか!
手が暖かいのは眠い証拠なのだそうです。
このときは、普段笑わない分、笑い溜めしているかのように笑顔の連発です。

親も嬉しくなってきてどんどん図に乗るので、はるはきゃっきゃきゃっきゃと笑いっぱなしです。
そして、笑いすぎて、目が冴えてギンギンになり、そこからしばらくは眠らなくなります。
…なにごとも、限度が大事ですね…。
わかっていつつも、ついつい、はるの笑顔が見たくて、図に乗りすぎる私達なのでした。

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June 16, 2006

吉祥のしるし。

060611_10120001日曜日の朝に、野菜や果物を積んだトラックがやってきます。
オルゴールのようなかわいらしい音を鳴らしながらやってくるので、我が家では「ちろりん屋さん」と親しみをこめて呼んでいます。ちろりん屋さんでは、スーパーよりもリーズナブルに新鮮なお野菜が手に入るのと、交渉によっておまけもあるので、ちょっとしたマルシェ気分が味わえるのも楽しみ。

今週は雨の中にも関わらず、たくさんの美味しい元気顔の野菜と果物を積んで、ちろりん屋さんがやってきました。戦利品は、ピーマン、小松菜、水菜、巨大なさつまいも、梅1.5キロ、キウイ6個、人参6本、玉葱大7個、特太きゅうり4本、オクラ2袋、葉付き大根1本。(これでしめて、1570円なり。ほくほく!)

で、その大根です。太いの100円と細いの70円と言うので、細いのでいいと答えると、
あ、そうだ!とちろりん屋さん。
「これ、大きいから、どうせならこれ持って行ってよ」
と奥の方から取り出してきたのは、なんともまぁ面白い形の大根でした。

まるで足を組んでいるみたい。
二股大根、と言うのだそう。
色白美女が足を組んでいるようにも見えます。

あれ、そういえば、こんな大根の絵を見たことがある。
と思って調べてみると、北斎の「大黒天に二股大根図」に行き当たりました。
そうそう、これ。北斎展で観たのでした。

昔は子孫繁栄のしるしとしてめでたがられたこの大根ですが、今は見た目の美しさが優先されるため、あまり売り物にならないんですって。もったいないお話です。
風や雨に負けないように、一本じゃ足りないからともう一本根を出して、命を守り通した、努力家の大根です。
お百姓さんの話によると、二股、三股の大根はとっても美味しいんですって。
うちでは半分を鰤大根にして、のこりはサラダや味噌汁、きんぴら、お漬物などで楽しみました。
たしかに、味が濃くて美味しい!
生命力の強い大根、昔の人たちが有難がったのも頷けるような気がしました。

思いがけずやってきた縁起物、しばらくわが家を明るくしてくれるようです。

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June 15, 2006

恒例の勘違い。

060608_10280001今週末は父の日です。
昨年私は父の日を一週間勘違いしました。
そして今年もまた。
先週慌ててプレゼントを作って贈ったのですが、はっと気づけばまだ一週間も先のこと…。
またやってしまいました。
母の日は2週目、父の日は3週目、なのにね。

さてところで、今年の父の日のプレゼント、悩みに悩んだ挙句、Tシャツにしました。
これからますます暑くなるし、Tシャツなら何枚あっても良いだろうし。
とはいっても、ただのTシャツじゃ面白くありません。
ここはひとつ、格別に印象に残る、度肝を抜くようなものでなければ。

ということで、モデル・はるに拍手をしてもらい、ちょっとポップなバックに仕上げて、Tシャツにプリントしました。
ソーダの泡のようなランダム水玉をバックに、はるがパチパチ拍手して誉めてくれている、通称「ほめほめTシャツ」。
さわやかでしょう?

届いてすぐに、お電話が来ました。
両方のおじいちゃん達は、
「気恥ずかしいよ~!!」
と口々に言いつつも、内心嬉しそうなご様子。
なんでも、うちの父によると、孫馬鹿な「おじいちゃん」振りを他の人に明確に知られてしまうのが恥ずかしいのだそう。なるほど。
旦那さんのお父様は、それを逆手にとって、会長をしているシニアテニスクラブに着ていくそう。話の種にしてもらえたらいいなぁと思います。
それぞれの楽しみ方で、はるのほめほめTシャツ、使ってもらえるでしょう。

夏の帰省の一足先にはるが来て、嬉しそうなおじいちゃん達でありました。

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June 14, 2006

忙しい季節。

060608_09090001青梅と顔を付き合わせる日々がここしばらく続いています。
梅の実のなる頃は、とても忙しい季節。
梅酒に始まり、梅シロップ、梅干し、梅味噌、梅醤油と、梅にまつわるさまざまなものを手作りする楽しみのある季節です。
昨年から始めたこの習慣、今年は規模を拡大して挑戦中。
黒酢でつくった梅シロップ、梅酒、黒糖梅酒、を仕込み終えました。
あとは、白梅干と、紫蘇の赤梅干、そこに梅味噌と梅醤油もついでに作る予定。
全部で6キロの梅を、今年は漬け込む予定です。

昨年は半分の3キロで、梅シロップと梅酒、赤梅干をつけました。
梅酒はまだたっぷりと残っています(私一人しか飲まないので)。このまま2年もの、3年ものになるのかも。
梅シロップは炭酸水で割って飲みきって、赤梅干はなんと、食べ頃になるという2月にはもう2粒しかありませんでした。その直前に、美味しい美味しいと食べきってしまったのです。果たしてあれは美味しさの最高潮だったのでしょうか、その前に食べきってしまっていたのではないでしょうか。
そんなわけで、今年は3キロの梅干しに挑戦。

時間を置けば置くほど美味しくなる食べ物なんて、どこか不思議な気がします。
その自然の神秘に触れられるようで、梅にまつわるさまざまな手作りは、私にとって夏を迎える儀式のようなものでさえあります。
梅酒や梅シロップになっていく青梅のすがすがしいような、固い香り。
梅干しにする青梅を黄梅に熟成させるときに、蕾が花開くように膨らむ、部屋いっぱいに漂う甘酸っぱい香り。

この季節は、おいしそうな香りで部屋が満たされて、気分も浮き立ってくるよう。
その香りにどこか涼やかさを感じる、特別な季節なのでした。

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June 13, 2006

砂の妙。

060602_11480001私達が住む建物の敷地内には、公園があります。
同じ団地に住んでいる子供達が遊べるように作られた公園には、砂場が2つ、滑り台が2つと、鉄棒とブランコがあります。

誰かがいるとはるは嫌がって近寄らないのですが、近頃はると私が外に出る時間は割と誰もいないことが多く、そんな時にはふたりで砂場に繰り出します。
砂遊び、小さい頃は大好きだった気がするのだけど、いざ遊ぼうとすると、はてさて、どんなふうに遊んだものか。

はるは自ら遊びを発見するときもありますが、やり方を見て同じように真似る方が多く、砂にも手を出しません。
砂との付き合い方を教えてあげないと、この子は砂場の楽しみを知らないまま大きくなってしまう!という危機感(本当は余計なおせっかいかもしれませんが)に突き動かされて、私も砂をいじり始めました。

山をつくってみたり。
手を砂に埋めてみたり。
終いには自分でも困って、前方後円墳を作ってみたり(意外と美しく作るのは難しいです)。
はるは真似をして工夫していたものの、やがてチラシを埋めるという遊びを思いつき、その日ポストに入っていたチラシを埋めては発掘し、発掘しては埋めていました。

買い物に出かけたついでにお店をのぞいてみたら、お砂場セットのなんと種類豊富なこと!
型みたいなものもあるし、熊手やスコップ、ふるいまであります。
中にはトラック型のものもあり、荷台に砂を積んでは荷台をひっくり返して戻すという、画期的(?)なものまでありました。
100円ショップでもお砂場セットなるものが売っていたので、試しにこれを買ってみました。
ふるいと型2つ、スコップと熊手のついたセットです。

これではると、旦那さんが開発した「砂金とり」遊び(渋い!)をします。。
旦那さんや私は、ふるい担当。
はるが手やスコップでふるいに砂をいれ、それをふるう役回りです。

たまにはるは、手で掴んだ砂が指の間から零れ落ちていく感覚を楽しんでいます。
さらさらして、面白いのかな。
今のうちに砂に慣れてもらって、夏にみんなで海に行く時には、巨大なお砂場!と狂喜乱舞してくれるように仕向ける段取りですが…うまくいくかしら。

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June 12, 2006

陽の当たる駅で。

060606_15510001江ノ電の駅が好きです。
昔ながら、という感じの、木のホームや駅舎がこころを和ませてくれます。
時間を経た木の風合いというのは、他のどんなものにも勝って、時間を閉じ込めているような気がします。
それは、本来一年ごとに自分を少し膨らませて身の内に年輪を刻むという、木の性質からなのかもしれません。

木でできた駅は、膨らみこそしないけれど、通り過ぎる時間をその隅々に留めているような気がします。
通り過ぎていく、人々、電車、風、陽の光や天からの雨、そんなものをひとつずつ大事に仕舞いこんでいるような。
もし、木に留められた時間を投影する機械があったなら、駅舎の木々は、たくさんのドラマを映し出してくれることでしょう。
その風景の片隅には、今ここに立っている、私と小さな子どもの姿も、留められているかもしれません。

人間に与えられた最大の幸せは、忘却だという人もいます。
どんな出来事も、頭の中では時間が経てば風化し、柔らかいガーゼで包まれたような朧気なものになっていきます。そうして変質した思い出は、人に優しい気がする。
時を経たものというのは、概して寛容なのかもしれません。
それが思い出であれ、木であれ、人であれ。(もちろん何事にも例外はありますが。)

江ノ電の駅をかたちづくる木々は、どんなことを留め、忘却のうちに風化させているのでしょう。
その思い出を投影したら、そこには、柔らかな風景が映っているような、その風景が私たちの心を優しくほのぼのと解きほぐしてくれるような、そんな気がしてならないある日の午後でした。

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June 11, 2006

もののけ道の怪。

060504_13270001家の南の方に、わが家で「もののけ道」と呼ばれている、小さな道があります。

車は通れないほどの小さな道は、舗装もされず、昔ながらの砂利道です。

引っ越しの下見のときに、私達は道を間違えてここに差し掛かりました。
この道が他と違う緊張感を持つ道だと、すぐにわかりました。
嫌な感じはしないけれども、なにか、人よりも静かな生き物がじっとこちらを見ているような感じがしました。
夜になればきっと、街灯がぽつぽつと照らすところよりも、深い闇が抱き込む面積の方がはるかに広く、その何者かわからない「彼ら」にとっては、格好の棲家なのだろうと思われました。
悪い存在ではないのだけれど、夏のはじまりの七月なのに、背筋がぞっと凍りつくような時間でした。

その「もののけ道」、今はもう普通に生活道路として使っているのですが、あの視線はやっぱりまだ感じます。
廃屋があるせいなのか、植物園の続きの土地で、木々が荒々しい本性をさらけ出しているせいなのか。
未だに、暗くなってからここを通るのはなるべく避けている私です。

気をつけていたのですが。
先日ついに怪異に遭遇してしまいました。
その日は嵐の次の日で、もののけ道のあたりには見知らぬ鳥達が群れをなして泣き喚いていました。
がなり声のような泣き声はなにかを警告するように聞こえたのですが、なにせ嵐は去ったのですから、私はさほど気にしていなかったのです。
初めて聞く声だな、と思ったくらいで、はると手をつないで、歩いていました。
耳障りな声はずっと響き続けていました。

すると、トン!と音がして、肩になにか落ちてきました。
…鳥の「落し物」です。
物体そのものも嫌なのですが、その時私の頭をよぎったのが、いらぬ知識。ある種のもののけは、こういう目印をつけて、相手の住処に侵入するものらしい、ということ。平安の世なら、呪詛という言葉で呼ばれたこと。
まがまがしい鳥の声が、胸の中の黒い感情をさらに大きくしていきました。
洗い立てのワンピースの肩にできたシミを必死になってウェットティッシュで拭い、公園の水道で洗い流しました。

それきり、そのことは忘れていたのです。
その晩、はるが寝てしまってから、旦那さんとソファでくつろいでいたときのことです。
旦那さんはヘッドフォンをしてゲームをし、私は横でお茶を飲んでいました。
静まり返った部屋の奥で、
トン!
と聞きなれない音がしました。

目の前の和室を見ると、何かが動いているのです。
15センチ定規のような、なにか黒いものがうごめいているのが、テレビが照らす薄明かりの中に見えました。
大きな百足(ムカデ)でした。
黒光りする身体は親指ほどの太さもあり、定規ほどの長さもある、巨大なやつです。
ヘッドフォンをしていた旦那さんは当然聞いていない音なので、彼は狼狽しきった私を見てようやく何が起こったのかを知ったのでした。
旦那さんがしとめてくれましたが、あの音は、上から落ちてきた音でした。
わが家は1階、這う生き物が入ってくるのは仕方ないのですが、それは明らかに上から畳に落ちてきました。
押入れか天井か。それしか考えられません。

なぜ、上から?
その時、私は昼間のことを思い出したのです。

百足は古来、山の神の姿だともいいます。
あのまがまがしい鳥たちは警告を発していたのか、それとも状況を知っていてあざ笑っていたのか。
あの日以来、あの鳥たちを見かけないのも、どこかそら寒い感じがする私なのでした。

もののけ道、慣れたとはいえ、いまだに少し怖いです。

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June 10, 2006

ドーナツぺろり。

060606_13250002魚好きのはるが水族館を好きなのは当然のことながら…実はそれだけでもないらしいと知ったこのごろ。
イルカショーを見るスタジアムの売店で売っているドーナツが、彼のお目当ての一つでもあるらしいのです。

旦那さんと3人で水族館に出かけたある日。
暑さに食欲がないのか、食が細くなったのか。
はるは朝ごはんを二口程度、昼食もほとんど食べませんでした。
それでも親の心配をよそに、水族館ではほとんど全部自分で歩いて、元気にしていたのです。

さあイルカショー、というところで。
急にはるが後ろを向いて泣き出しました。
以前ドーナツを食べたのを思い出したのか、売店の方に連れて行かれ、催促が始まります。

写真ではるが手に持っているのは「江ノ島ドーナツ」。
30センチはあろうかという、なかなかすごい大きさなのですが、はるはこれをひとつぺろりと食べてしまいます。
そして、おかわり!
旦那さんの許可を得ておかわりし、とうとうこの日のごはんはドーナツ1個半。
長さにして45センチものドーナツを、食べてしまいました。

イルカスタジアムに向かう道々、妙にはしゃいでいたのは、きっとこのせいだったんですね。
しかし…大人の私でもひるむ大きさなのに。しかも1個じゃ飽き足らず1個半。
まさかこれを狙って朝からごはんヌキ…いやいや、1歳児にそこまでの知能はないでしょうが。
はるの胃袋って小さいんでしょうか、大きいんでしょうか。

本当に、はるには驚かされることばっかりです。

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June 09, 2006

絶品指定、続編。

先日、「絶品」指定について書いたところ、他の6品目が知りたい!というご要望を幾人からかいただきました。
(書いている人が食いしん坊だと、読んでいる人にも食いしん坊が多いものらしい。と、面白かったです。)
そんなに変わったメニューではないので期待を裏切ってしまうかもしれませんが、ご紹介しましょう。

わが家の「絶品」
*ラグー、イタリアのマンマ風
 赤ワインで煮込む、挽肉のトマトソースです。チーズを溶かし込むのが秘訣。主にパスタ、その他トーストなどで食べます。
*鶏の唐揚げ
 料理研究家・山本麗子さんのレシピです。味がしっかりついて、外はカリカリ中はジューシーな唐揚げは、気心知れた人たちのおもてなしに大活躍です。
*黒酢豚
 お肉だけのシンプルな酢豚。片栗粉をまぶした豚肉をごま油で炒めて、黒酢と醤油で味を調えます。
*麻婆豆腐、山椒風味
 挽肉と大き目の豆腐を炒め、豆鼓と山椒の実(乾燥したもの)を加え、豆板醤と醤油で味を調えます。水溶き片栗でとろみをつけていただきます。これは好みで豆板醤を足す形にしても美味しいです。
*アボガドのシーザーサラダ
 アボガドをさいの目に切って、ベビーリーフと混ぜます。これはソースがコツ。レモン汁と塩コショウ、醤油、たっぷりのパルメザンチーズに、ほんの少しのおろしにんにくを足して、オリーブオイルで整えるソースでいただきます。好みでクルトンやベーコンビッツを散らすとさらに美味しい。
*韓国風漬けまぐろ丼
 まぐろのお刺身を、おろしたにんにくとごま油、醤油でつけます。4時間~半日くらい置くと美味しいです。食べるときには韓国のりを小さくして散らします。にんにくのかわりにショウガでもおいしいです。
*夏のスープごはん:スペアリブとキャベツのさっぱり梅風味
 (先日ご紹介のレシピ)

このほか、わが家では旦那さんが好きなカレーがよく登場するのですが、上でご紹介した絶品ラグーや絶品スペアリブスープはそのままカレーにしても美味しいです。
カレーも、時々は市販のカレールーに悪戯をして豆板醤を足してコクと深みを出してみたりします。
そのままかつお出汁も足して、アジアンカレーにしてしまうとか。

料理はとってもクリエイティヴで楽しい!です。人の数だけ料理があるかもしれません。
私は、友達などからおいしいものの作り方を聞くと、早速試してみたくなるほどの、食いしん坊です。
教えてもらったレシピが食卓のレギュラーメンバーになったりもします。
(例えば「いとうづけ」が代表例。余談ながら、このつけもの、旦那さんは「いとうさんづけ」と呼びます。聞いてみたら、自分は呼び捨てにしてしまえるほど仲良しではないから敬称を略さないのだそう。律儀です。)

おいしいものはそれだけで人を幸せにするので、おいしいものを教えあうっていうことは、きっと幸せをわかちあうってことなのでしょうね。
ぜひあなたの「わがやの絶品」、教えてください。

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June 08, 2006

ゴキゲンな気分になりたいとき。

「ゴキゲン」と、カタカナ表記したくなる特有の気分がある。
そんな気分になりたいときに、自信を持ってお薦めしたい映画がある。
その名は「銀河ヒッチハイク・ガイド」。

全く自慢にならないことだが私は世情に疎いので、世の中でこの映画がどんな評価を受けているのか知らない。
もしかするとハリウッド超大作映画を蹴散らすほどの人気を誇っているかもしれない。映画なんて全く興味のない人たちでも名前は知っているというレヴェルの、超有名作品かもしれない。
あるいは、その逆かもしれない。

だが、評価の真実なんてものは、この映画の魅力を前にして全く無力であると言っていいだろう。
多くのクリエイターやアーティスト達にインスピレーションを与え続けているという原作小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』、もとはBBCのラジオドラマ(1978年)から始まったのだという。

地球滅亡に際して、偶然にも生き残ったさえない男――それが主人公である。
ほかにもとにかく濃厚なキャラクター達が脇を固め、彼らは「生命、宇宙、そして万物に対する究極の答え」を求める旅に出る。意外にもすぐに答えは出てしまう。その答えは…。
さ、後は映画でお楽しみあれ。
(ちなみに、Googleで「生命、宇宙、そして万物に対する究極の答え」を検索しても、答えがヒットしてくるそうですよ!)

ちなみに人類は地球上で3番目に賢いのだそうである。
2番目はイルカ。彼らは地球の滅亡をことごとく警告していたのだが、人類はそれをエサがほしいための芸だと勘違いして、滅びの道を辿っていくのである。
1番目は――あなたも絶対に知っている「彼ら」である。これも映画でお楽しみあれ。

小ネタ満載のコメディーに、ついつい「ニヤリ」と片笑ってしまうのがこの映画の魅力。
ワクワクとした期待を裏切らない、小気味の良いイカレポンチな登場人物も重要な位置を占め、私達をたっぷり楽しませてくれる。

さあ、もしあなたが突然宇宙に放り出されたら?
Don't Panic.
まずは、落ち着いて『銀河ヒッチハイク・ガイド』を開きましょう。

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June 07, 2006

絶品指定。

060601_15160001わが家には、私を悩ませる、あるいは奮い立たせる、料理のランク認定制度がいつの頃からかあります。
それが、「絶品」指定。
味に対するこだわりが強い旦那さんは、優しさからなんでも「おいしいよ」と言ってはくれますが、それが真実美味しいかどうかは別問題のよう。この「絶品」指定が下されるのは、よほど彼を感動させた料理以外にはないのです。
約3年の結婚生活で、「絶品」指定が下された料理はわずかに7品。
その間、数え切れないほどの料理を作り続け…そして認定を受けたメニューが、たったの7品!私の料理の腕がいまいちなのか、旦那さんの舌が肥えているのか…そこのところはジャッジし兼ねる問題ながら、絶品指定がいかに特別なものなのか、おわかりいただけるのではないでしょうか。

絶品指定を受けた料理たちはどうなるかというと、おもてなしの際にお客様に供されます。
または、いつも「なんでもいいよ」ということが多い旦那さんから、リクエストがある。
つまるところ「また食べたいほどおいしい料理」というのが、絶品指定を受けるのです。

ところで。
一番最近この「絶品」指定を受けたのが、この写真の料理。
「夏のスープごはん:スペアリブとキャベツのさっぱり梅風味」です。

材料は、豚のスペアリブ。
キャベツ。
にんにく(1~2片)。
ショウガ(にんにくと同程度~気持ち多め)。
塩。
梅酢(またはワインビネガーや米酢)。
梅干し。

[1]
まず、スペアリブをショウガとにんにくで煮込みます。
煮れば煮るほどスペアリブがとろとろになります。うちでは、大体3~4時間くらい。コトコト火にかけたまま放っておきます。
忙しいとき、すぐ食べたいときは、お肉が硬くならないうち、火が通ったらすぐでもOK。用はお肉が柔らかければ美味しいです。

[2]
食べ頃(スペアリブのお肉が、箸でほろりと取れるくらい柔らかくなったら)を見計らって、塩と、梅酢(なければワインビネガーや好みで米酢など)で味を調えます。酸味が利いているくらいの方が、美味しくいただけます。

[3]
キャベツを刻み、ほかほかごはんの上いっぱいにしきつめます。
ごはん&キャベツの上に、とろ肉スペアリブを盛り付け、スープをひたひたに注ぎます。

[4]
彩りに梅を添えて、さあ召し上がれ。

好みで大葉の千切りなどを加えても、さらにさっぱりとお召し上がりいただけます。
お肉の旨み濃厚なスープも、とろとろのやわらかお肉も、さっぱりした梅の風味に食欲がそそられてつい食べ過ぎてしまうほど。
暑いときやビールのお供には、豆板醤を足してピリ辛にしても良いし、お肉を鶏の手羽元に変えても美味しくいただけます。

お試しあれ。

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June 06, 2006

病人の特権?

060601_13090002暑い日のこと。
前日暑い中外出したので疲れたのか、はるは胃を悪くしてしまいました。
こういうときは、何を食べても戻してしまいます。
食欲がなくならないのがありがたいのだけど、喉がいつもよりも渇くのか、多めに水分を取っては、また具合を悪くします。この日も朝からコップ2杯の牛乳を一気飲みしては、戻してしまいました。

そんな時に登場するのが、手作りプリン。
カラメル嫌いのはるにあわせて、カラメルなしの、とろけるようなプリンです。
ル・クルーゼの鍋で作るわが家のプリンは、面倒くさがり屋の私のせいで、はるが病気をしたときにしか登場しません。
でも、はるは割合このプリンが気に入っているようで、どんなにたくさん作っても独りでぺろりと食べてしまいます。

卵と牛乳、それと三温糖(和三盆のことも)。
胃に優しい材料を使ったプリンは消化吸収も良いらしく、これを食べた後ゆっくりお昼寝すれば、胃の不調は治るようです。

この日はプリン二つを平らげて、その後夜に至るまでに元気を取り戻しました。
食事のかわりにプリンが食べられる、特別なときだと本人も分かっているのか、顔中体中をプリンだらけにして、熱中して食べています。
そんな姿を見ると、もう少し作る機会を増やしてあげてもよいのかな…なんていう親心も。
その一方、いやいや、やっぱり、特別なときだからこそ、おいしいのかも?
と、ついつい手を抜きたがる私も。

とりあえず、はるが言葉をしゃべりだすまでは、病人の特権ということにしておきましょう。

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June 05, 2006

茶飲み話しの続き。

昨日、ペパミントティの話をしたところですが、お茶談義となったら、頻繁に飲んでいるこのお茶も話題にあげなければならないでしょう。
それは、アイス・グリーンティ。
…なんて横文字だと仰々しいですが、冷やし緑茶、あるいは単に冷茶と呼ばれる飲み物のことです。

近頃はペットボトルのお茶が何種類も販売されていて、私も愛飲しているのではありますが、先日天ぷらの専門店でいただいたお茶がおいしかったのです。
ちゃんといれた緑茶を冷やしたもの、あるいは水から出したのかもしれません。
きれいな翡翠色の液体は、深蒸しのお茶の濃い味が甘みをそのままに冷やされていて、とても美味しかったのです。

そこで、早速、わが家でも挑戦。
…といっても、水にいれてそのまま置いておくだけ。
二時間もすれば、きれいな翡翠色の飲み物の完成です。
お湯で入れたときよりも、甘みが強いような気がして、お気に入りの一品です。

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June 04, 2006

初夏の趣。

060529_17070001初夏の季節になると、飲みたくなるお茶があります。
それは、ペパミント・ティ。
ミントの爽快感は、ある種この季節に一番似合うと、私は思うのです。

香りから記憶が呼び覚まされることを、「プルースト効果」というのだそうですが(プルーストがマドレーヌの香りから失われた時を求めたことに由来するのだそう)、ペパミント・ティに、中学校の頃を思い出します。
図書館に入り浸って、ギリシアや中国、日本の神話の本を読み漁り、ノートに書き写していた、中学3年の頃です。
一般の中学3年生は受験準備等で大忙しなのでしょうが、私がいた学校は私立の中高一貫教育だったので、のんびりとしたものでした(もっとも、私自身はその一貫教育から飛び出して公立進学校を受験し親を嘆かせたのですが)。
思えばこの頃、母がハーブ講師として活躍をし始め、母のブレンドしたハーブティを家でよく飲んでいたからなのでした。

ペパミント・ティの香りはさらに、今も昔も一番好きな、母のポプリを思い出させます。
エルセリト、という名のポプリです。
両手で抱えるほどの大きなガラスのビンに詰められたそのポプリは、私達がかつて住んでいたアメリカの町の名。
そこは母とハーブの出会いの場でもありました。
そのポプリの香りは、確かにあの楽しい日々への愛情と懐かしさにあふれ、さまざまな花とペパミントの香りが胸にしみ込んで内側から抱きしめてくれるような、そんな香りだったのです。

あれから随分時間が経ち、母はいまや3校のハーブスクールを経営する事業家だし、私は子どもを抱える主婦になったけれど、根本の部分――母はハーブや香りが大好きということ、そして私は相変わらずそんな目に見えない存在に惹かれ続けているということ――は何も変わらないのだなぁ、と思うのです。

そんなことを思いながらの、ペパミントティ。
今もハーブティの中で一番好きなのは、もしかすると、いつも傍らにあったお茶だからなのかもしれません。

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June 03, 2006

雨にも負けず。

060527_17360001お出かけが毎日の楽しみになったはる。
雨が降っていようと、何のその。
私のもとに靴と靴下と自分の服一着(必ずしも上着ではなく、半ズボンだったりするのが可笑しい)を持ってきます。これは、「お出かけしよう」のサイン。

靴下をはかせられ、上着を着るというのが、お出かけのサインとようやくわかってきたこの頃。
靴を持ってきてせがんでいたところからの、ちょっとした進化です。

雨の日は、レインコートと長靴で、近所だけねと言いながら外に出るのですが、はるはいつもと同じスーパーへの道を辿ります。私が後ろをついていこうがいくまいが、彼は関係ないのです。
彼に見えるのは、自分の前に拡がる道のみ。
そしてその道の先には、はるが大好きな、一大エンターテイメント施設(スーパー&ホームセンター)が待ち受けているのです。
プチ水族館(ホームセンターの熱帯魚売り場)、
おもちゃの殿堂(ガチャポンがずらり並ぶコーナー)、
プチ図書館(本屋さんの絵本・玩具売り場)、
ミニカフェ(たまにスーパーでやっているジュースの試飲)、
そしてレストラン(ファミレスまたはケンチキ)。

私には自分の昼寝用ベッド(ベビーカー)を持たせて、どんどんどんどん歩いていきます。
雨の日は外に出たくないんだよと懇願する私の願いも空しく、はるはずんずん進んでいきます。

近くまでとはいえ、雨の日の外出、私はあまり好きではありません。
雨の日は、窓に打ち付ける雨粒を眺めながら、おいしいお茶でも飲んで、本でも読もうではありませんか。
晴耕雨読というではないですか。
でも、そんなの、はるには興味ありません。

そうしてはるの背中はみるみる小さくなってしまうのでした。
…梅雨がこわいような、私です。

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June 02, 2006

通りすがりの天使。

060531_15260001はると水族館に出かけた日のことです。
帰り道、江ノ島の駅で、電車の切符販売機に近づくと、隣に立っていた老紳士が近づいてきました。
「これ、今日、ひとりなら乗れるらしいんだけど。湘南台までは乗れるって話なんだけど。」
そう言うと紳士は小さな紙片を手渡して、片手を挙げて去っていきました。
私は咄嗟のことでよくわからないまま、御礼を言ってそれを受け取りました。
乗り方を聞かれたのかと思ったので、紳士が去ってしまったことに、戸惑ってしまったのです。

紙片を見てみると、株主優待乗車券。
その日までの期限が記してありました。
きっと、おひとりで使い切れずにいらっしゃったので、譲ってくださったのでしょう。

暑さに夏の息吹を感じ始めた日のことでした。
空は青く青く、海と重なっていました。
思わぬ親切に、ふと心が温かくなる出来事でした。

ホームに私達がついた頃、ちょうど一本の電車が発車しました。
切符をくれた老紳士にもう一度ちゃんとお礼を言いたかったけれど、少し遅かったようです。
誰かに親切にしてもらったら、他の人に親切にしてあげる。そうしていくと、世界が優しく変わっていく。確か映画「ペイ・フォワード」はそんなお話だったはず。(まだ観ていませんが)
実践してみよう、と心の晴れる日なのでありました。

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June 01, 2006

びりびり遊び。

060527_13570001療育グループで教わった遊びの中に、新聞をびりびり破いて遊ぶものがありました。
はるは、自分で破くよりは、破いたあとの新聞紙を放り投げるのが気に入って、両手にいっぱい新聞紙を持って大フィーバー。
そんなに喜ぶなら…と、うちでもやってみました。

一日分の新聞でも、裂くと結構な量になるもので、ごみ袋いっぱいになるくらいの新聞の短冊ができました。
はるとひとしきり遊んだあとは、お片づけのお勉強。
袋の中に一緒に新聞をしまいます。
散らかる!ので、多少勇気は入りますが、喜ぶし、お方付けの勉強になるので、時々やっています。

いろんな玩具があるけれど、意外とこんなシンプルな遊びの方が、喜んでいたりします。

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