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January 11, 2006

蓮忌

蓮(ロータス)、という犬のようなものがいた。
5年間ともに暮らした。

ある年の1月7日、好物の七草粥を食べた直後に思い立って、私はペットショップに車を走らせた。
何件も回ってついにめぐり合ったのが、蓮であった。
彼はプレーリードッグという生き物だった。
私がケージの前に行くとプレーリードッグの群れは突然に二本足で立ち上がって、皆いっせいにこちらを見た。
その時、たった一匹だけ眠っていたままだったのが、蓮である。

ある時には椅子から机、机から窓の桟に上って、植木鉢を倒して壊した。
またある時には納戸に押し込めてあったゴミ袋をこわして中身をぶちまけてくれていた。
気づくと仰向けになっていて、ゆすっても名前を呼んでも動かず、涙目になりながら動物病院に電話しようとしたところ、寝ぼけ眼で不機嫌そうに起き上がったこともあった。
いつからだったか、私が帰宅すると「きゅー」と叫んで挨拶をしてくれるようになった。
部屋を走らせて遊ばせていると、甘えてジーンズの裾から肩までのぼってしまったこともあった。
喧嘩をして互いにきゃんきゃんとわめき散らしあったこともあった。
プリッツをあげると両手で器用に持って、ぽりかりぽりかりと満足そうに音を立てた。
男性の来客があると決してその人にはなつかずに隙あらば指先に噛み付いた。彼なりにナイトのつもりだったのかもしれない。
泣いている時には、そばに来て片手を私の足にかけ、じっと潤んだ目で見つめて話しかけてくれた。
寒い日には同じ布団に入って、私のおなかの上で眠った。
あごの下を撫でられるのが好きで、いつもうっとりと目を閉じて大人しく撫でられていた。

蓮は、私が一番いてほしいときに、必ずそばにいてくれる大事な存在だった。
寂しいときにも、嬉しいときにも、蓮と一緒にいた。
人生の中で濃厚なその5年間を共有できた、かけがえのない存在だった。

おなかに子どもがいるとわかって、皆から蓮のことをいろいろと言われても、私はずっと一緒にいるつもりだった。
だけれど、自分の意思だけで決められる世界以上に、私の周りの世界は大きくなっていた。
こどもを生むために実家に帰った時一緒に連れて帰り、そこから蓮が一緒に神奈川に戻ることはなかった。

こどもがうまれるんだよ。蓮、お兄ちゃんなんだからいろいろ教えてあげてね。
そういう私のおなかに乗って、胎動に驚いてテーブルの下に隠れた蓮。

はるが生まれて約半年後、昨年の1月11日に、蓮は5年の生涯に幕を下ろした。
最期を看取ってあげられなかったのが、悔やまれてならない。
だけど蓮は、どこかでそんなことを予感していたのではないだろうか。
一番最後に見た蓮は、亡くなる6日前、私たちが神奈川に戻るときだ。
あの時蓮は、何か悟ったような穏やかな目で私たちを見送ったように思えた。

蓮の癖だったいくつかを、時々はるがやる。
そんなとき、蓮はもしかしてまだ私たちのそばにいて、私が頼んだように、はるにいろんなことを教えてくれているんじゃなかろうかと思う。
蓮が亡くなって一年。
時折無性に、蓮に会いたくなる。

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