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December 30, 2005

雪椿朝 【俄病人入院記6】

静かな朝だった。
夜は同室の患者が皆入れ替わりたちかわりナースコールをし、朝もいつもより早く病室の電灯が点けられた。
私は、いつも夜にも飲んでいた痛み止めをやせ我慢したため、朝の電灯が点く頃には額にうっすらと汗の滲む痛みを、夢うつつに抱えていた。
おはようございます、と看護婦がカーテンを開けて覗き込んだ。
おはようございます、と答える口の中に、なんだか鉄錆のような味がする。
ティシュでぬぐってみると、きれいなピンク色だった。
出血しているのだ。
痛み止めをもらい、水を飲んでもしみる傷に早く薬の効果が現れるのを待った。

それにしても、その、自分達の周りの音しか聞こえない。
いつも聞こえる他の患者が廊下を歩き回る音や、外の車やバイクが走る音、そんなものが全部すうっとどこかに吸い取られてしまったかのように、しんとしているのである。
前日の診察で手術の傷の横に潰瘍ができているから退院が少々延びるかもしれないと言われたせいか、雪にはしゃぐ気持ちもどこかに落としてしまったように、私の心も静かだ。

温かいお茶を買おうと面会コーナーに出ると、大きな窓の外は白く何も見えなくなっていた。

雪が、横なぐりの風に吹かれて舞い、屋根などに積もったばかりの雪もその風にあおられてあちらこちらで砂煙のように白く舞い上がっている。
早朝から走っている車は、白く覆われた道路の上をゆっくりと進んでいく。
雪雲が灰白色に覆った天の東の方に、茜色を帯びた光が見えたかと思うと、それは雲間をゆっくりゆっくりかき分けて、いつもの美しい丸い形となって輝き始めた。
雪を透かして見える朝日は、柔らかい光であたりを一層白く染め上げる。

太陽が周りのどの建物よりも高く昇った頃、診察の時間になった。いつもは看護婦が呼びに来るのに今日は主治医が自ら呼びに来た。若干の出血の話をすると、彼は入念に傷の辺りを診察して、大丈夫です、と言った。
大丈夫です、手術の傷じゃなくて、手術の時につけちゃった他の傷からの出血ですから。
一瞬耳を疑う。
「つけちゃった他の傷」?
針の次は、他の傷か…。
潰瘍と言われた傷と、同一のものをさしているに違いない。退院延期の件を切り出すと、彼は延ばすとしても1日2日で大丈夫でしょうと明るく言い放った。
電話でそのことを話すと旦那さんは激昂した。
しかしながら私はどうにも、このイマイチ頼りきれない主治医が憎めない。
彼は、昔5年間をともに過ごした相手…プレーリードッグの蓮(ロータス)氏に良く似た容貌なのである。

部屋に戻って本を読み始めると、喉の奥の方からまた血の味を感じる。
また少し「他の傷」からの出血か、と思ってぬぐうと、赤い色がべったりとくっついてきた。
ティシュの上の血は、雪の上に落ちた椿の花のように、鮮やかな赤だった。
慌ててナースステーションに駆け込むと、ティシュに吸われた血は、着く頃には唾液で薄められて鴇色の円になっている。看護婦は「うすい色だから大丈夫」と笑いかける。

あれは一体何であったろう、小説か少女マンガかあるいは映画か。
雪の上を血を流しながら歩く人。その人の流す血は、雪に落ちると赤い椿の花になって、その足取りを彩るのだった。

窓の外の雪景色を見ながら、手元の鮮血を見ながら、そんなことを思う朝であった。

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