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August 24, 2005

掌編小説 蛍草〔2〕

 思い浮かべるだけだと言っても聞かない。第一、明日以降の予定のつもりで引き受けたのだ。出なおして欲しいと言っても、今から出かけるのだと譲らない。仕方がないのでわたしは枝豆をまた冷蔵庫に仕舞い込み、言われるままにキャンバスと画材とイーゼルをまとめた。全く気乗りしない。快い晩酌を中断されたからだけではない。第一、こんな暗がりで、どうして色の具合がわかろうものか。夜のうちに描き上がるわけでもなし、そんなに急いでどうしようというのか。
露さんは、いささか機嫌の悪いわたしに構わず寄り添うと、団扇で四方を扇ぎ始めた。
 風景がぼんやりしてきたかと思うと家や庭は陽炎のように揺らめいて消え、小川の岸に姿を変えた。蛍が何匹も何匹もゆるやかに飛び回っている中、露さんは岸辺に座り込んでこちらを向く。露さんに引き寄せられるようにして、あちらこちらの草むらから、蛍たちが集まり始めた。
 イーゼルを立てると、その場所に蛍が群れ集い、電灯のようになった。キャンバスのまわりにも、画材のまわりにも、どこからともなく蛍の群れが集まってきて、わたしはその冷たく柔らかな光の中で露さんを描き始めた。
 蛍は、露さんのまわりをことさらに照らした。
 蛍の照らすちらちらとした光は、露さんを一層艶っぽく見せた。あれだけ饒舌だった露さんも水辺では何も話さず、わたしは絵の世界のなかにたっぷりと浸って、その姿を描き続けた。
 河鹿がすぐそばで鳴いていた。

 明け方になってようやくひと段落ついて、わたしたちは家に帰った。帰りは露さんがわたしひとりを扇ぐと、再び蛍の川は陽炎のように消えて、いつの間にかそこはわたしの書斎だった。
 毎日夕暮れ時に、露さんはやって来た。描きかけの絵を見に来たのかと思えば違って、絵を描いているわたしを見に来たのだという。しばらくイーゼルの横にいてわたしを眺め、それに飽きるとどこからか蛍を捕まえてきて、家の中で蛍を追った。
 一夜明け二夜明け、露さんの似顔ができた。露さんは、まるで自分の顔を初めて見るようにいろいろな角度から見入って、へぇ、ほぅ、とため息をつきながら、自分の姿を見てうっとりとしている。

 うたさん、やっぱりあんた、大した腕前だねぇ。早速婆さまに見せてくるよ。

 露さんが絵を懐に抱いて玄関を出ると、ぽつりぽつりと雨が降り始め、傘をさす暇もなく本降りになった。露さんは私の目の前で濡れそぼちて佇み、困ったような顔を差し向けた。
 青い浴衣の裾は霞がかかったようにだんだんと白んできて、やがてそれは露さんの全身を覆い尽くした。霞の中で何が起こっているのか目を凝らすが、露さんの白い肌は光るように薄れ、一瞬閃いたと思うと、無数の蛍になってゆるりと飛び去っていった。
 ひらひらと地についた絵の下に、一輪の露草が落ちていた。
 絵と露草を携えて婆さまを訪れ、露草の別名が蛍草というのだと知った。

 あの子はせっかちだからねぇ。また来年、今時分に戻ってくるだろうよ。何気ない顔をしてさ。だからいつまでも、一番下っ端のままなのさ。それでも気にしないのがあの子のいいところでもあるんだけどね。

 そのまま婆さまとふたりで梅酒を飲んだ。
 どこかで河鹿の声がかすかに、響いている。
                                     (結)

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Comments

こんばんわ、秋っぽくなってきましたね!

僭越ながら、前回の作風ともまたかわってきましたか?
すてきな和風のファンタジーですね。

ハリポタならぬハルポチャ(?)の大冒険みたいな感じで、いずれはる君も登場するのでしょうか。。

Posted by: めためた | August 25, 2005 at 01:46 AM

ありがとう~。
作風、変わりましたか?
(自覚がない)

はるは、はるとしてはたぶん登場しないでしょう。
でも、これから先書く物語に、こどもが出てきたら、
それははるに似ているのかもしれません。

Posted by: zok | August 25, 2005 at 09:29 PM

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