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August 03, 2005

掌編小説 夏燕〔1〕

 このところ降ったり晴れたり天気が落ち着かない。五月とはこんなにも雨の多い季節だったかと思うほど、幾日も雨が続くのが珍しくない。いつもの年には、五月晴れの空の下、若緑を見上げながら散策などしていたように思う。
 今年がそういう気候のめぐりなのか、ここの土地柄なのかはわからない。書斎の窓から見える空にはいつも陰鬱な灰色の雲が垂れ込めているばかりだった。

 雨雲が空を覆い隠すせいなのか、気分まで影響を受けて鬱々とする。
 書斎から出て家の中を歩きまわり、縁側から庭土に柔らかく吸い込まれていく雨をとりとめもなく眺め、戸を開けて雨どいにぱらぱらと打ち付ける雨音を聞いた。季節は夏に向かってたしかに移ろっているようで、書斎の軒先には燕が小さな巣をつくり、子を育てている。
気の向くままに過ごすのにも飽きて、書斎に戻り、絵筆を取った。

 キャンバスに向かい、少しの間、何もつけない絵筆で画布を撫でる。撫でているうちに、頭に浮かぶいろいろなことが綾なして、描きたいものが見えてくる気がする。近頃は仕事もないので、自分の心の赴くままに画布に向かう。その分収入もないのだが、いくらかの蓄えでなんとか食べることはできていた。半ば、習慣のようにして、わたしはま白いキャンバスに向かっている。
 描きたいものの糸口を掴んだら、姿勢を正す。イーゼルの角度を少し直す。絵の具を混ぜ合わせる。完全には混ぜずに、画布に少しずつ色を置いていく。
雨がずいぶん続くなぁといったよしなしごとから始まり、思いは頭の中で声になる。色が声になるのか、声が色になるのか、頭の中に生まれた声をわたしは描き続ける。考えていることが色や形になって、画布に吸い込まれていく。そのうちに、絵を描くために考えているのか、絵を描いているから考えているのか、境目が曖昧になっていく。声が続いていても、全くなくなっていても、あるいは外から聞こえてくるものともすぐにはわからぬほど、絵にのみこまれていく。
 …藤御前の娘御が病らしい
 長雨だからねえ、雨が止めば治るだろうに
 水神に神馬(じんめ)を納めれば雨が止むと聞くぞ、絵でも良いらしい
 ならばお知らせ申そう、この家の主は絵師らしい…
はっと我に返って窓を開けた外を見たが、庭はもちろん通りにも人影はなく、燕の子が腹を空かせて啼いているばかりだった。

 雨は止む気配もなく、庭先では家の明かりを受けた木々の葉がぬらりと光っていた。灯りを消すと、雨音が家の外から中から響いてくるようだった。雨音に包み込まれた夜は、いつもよりず っと深く眠りに溶け込んでいく気がした。
 …もし。
 呼びかけ声で目が醒めた。暗闇の中、かすかな月の光を頼りに目を凝らすと、見知らぬ婦人が足元に立っていた。
 …もし、頼みをきいてはもらえぬか。
 何処から入ってきたのか、誰なのか、混乱して何も答えずにいると、婦人は袂から扇を取り出し、わたしの方へひとあおぎした。扇の作り出す柔らかな風は部屋の中をいくぶん明るくし、わたしは婦人が蝶をあしらった薄紫の羽織を青の着物にかさね着ていることや、二羽の燕がともにいることを知った。
 長雨で娘の病が良くならぬ。お前様、手を貸してはもらえぬか。
 昼間、得体の知れぬ声に聞いた藤御前とは、このひとのことなのだろうと思いあたった。あの燕はたぶん軒先に住んでいて、昼間の声の正体なのだろう。藤御前はわたしに絵を描いてほしいといい、葉書ほどの大きさの木片を置いていった。
 何を描くかはおのずとわかる。出来上がった頃取りに参る。頼みますぞ。
 木片からは甘い香りがほのかに漂ってきた。それ以外はどう見ても単なる木片でしかなく、いくら見つめても、何を描いて良いのかわからなかった。

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